キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

50通の手紙と古い日記

2020年03月31日 | Weblog
雨こそ降らなかったが日も出ない寒い一日だった。
所謂、花曇り、花冷えってやつ?あまりいいもんじゃないね。
朝9時から「メジャー」があるので11時前まで観てJA湘南へ行ったが、野菜は全然無かった。
昨日の鳥の丸焼きの骨でスープを取っているので、昼のラーメン用に小松菜を買い、花を買った。
帰りに西友で鳴門巻を買うのに寄ったらすごく混んでいた。
未だ買いだめをしようなんて考えてる人が多いんだなあ。
非常事態宣言が出ても政府が食料供給してくれるわけじゃないから、買いだし禁止になるって事は無いのになあ。

家に帰ってきて机周りを整理したら、オーデコロンとトワレが10本以上出て来た。
好きなので色々違うタイプの香りを集めて、その日の気分で使っていたが、隠居してからは偶に気が向くと使っていただけだ。
いいものはイタリアかフランスの有名ブランドになるから高額なんだけど、よく買ったもんだ。
今後はもう買うことも無いだろうけどね。
一応どんな香りだったかなあと全て嗅いでみたが、匂いの記憶ってのは脳の奥深いところに在るのか忘れていないもんだね。
キーホルダーとソムリエナイフも大量に出て来た。
シャトーライヨールをフランスに行くたびに買っていたし、友人からもプゼントされたから20本以上あった。親しいソムリエにあげたりしたんだけどね。
前にも柄のところが水牛で出来ているものは結構虫に食われて処分したが、また同じように使い物にならなくなっているのがあった。日本の湿潤な気候が良くないんだろうね。
ソムリエナイフはダブルアクションが圧倒的に使いやすく、しかも廉価でれ、昔のタイプはほとんど使わない、味わいがあって高価なものなのに機能が遅れてしまって出番が無いのは残念だね。
キーホルダーも今の世の中鍵の必要が無くなって来ていて、これも無用な長物になりかかっている、思い切ってほとんど捨てた。
ボールペンも100本ほどあったが20本ほど残して棄てた。
万円筆も30本ほどあり、使えるのは数本だが、これは思い入れがあり捨てられなかったな。

昼のラーメンはまともにスープを取ったので美味かった。

プレシネは1989年暮れ公開の第42作の「男はつらいよ ぼくの伯父さん」で、マドンナは檀ふみなんだけど、既にこの頃渥美清の体調が悪く、甥の満男と泉ちゃんの恋物語に主題が移行している。
でも後久美が若さゆえ綺麗だったね。
佐賀の泉ちゃんのところへ満男がバイクで行く途中、ホモのライダー笹野高史にホテルで迫られるシーンがあり、これが嫌で観るの止めようかと思ったが、4年間毎週観ていたものだから、数か月観なかったら禁断症状が出て観てしまった。
一種の中毒だね。若い頃はかっこ悪くて絶対に観なかったのに大きな変化だ。

5時から葛川に桜を観に行った。
桜見物の人は少なかったが、犬の散歩の人が多かったなあ、犬の散歩は必要急なことなんだね。

上の息子が皮膚科に行った帰りに、マサで相模湾のいい魚があるのを見て来たとかで、妻が鮨にするといって二人で買いに出かけた。
夕飯は酢飯が出来ていて、鰤、甲烏賊、メジナがあり、チラシ鮨になった。
甲烏賊とメジナは抜群に美味かった。
このレヴェルの魚は外では中々ありつけない。

食後は札幌の文通相手からの手紙を整理した。
年代順にしたが、いくつかは消印が読めず不明のものがあった。
高1の時に文通を始めた経緯と、大学3年の時の最後の手紙が分かり、忘れていたことを色々と思いだした。
100通あると思っていたが、50通ほどだった。
拓銀に勤めていたお父上が高校時代に亡くなり、大谷高校を卒業してすぐに拓銀に勤めた。
そのことをすっかり忘れていた、大学3年の秋に会って新宿で飲んだ時には、社会人4年目だったんだ。
それ以来42年間遣り取りをしていないが、消息が分かるなら逢ってみたい。
結婚をして子育てが終わって孫の世話でもしているんじゃないのかな。
本の整理、というより身の回りの整理全体が終わったら全部読んでみようと思う。

日記は全部で20冊くらいあり、これも整理されていない、大学時代とその後数年ぐらいの発情期に女性と付き合ってふられたものはざっと読んだが、いい加減な性格故色々なところに書き込んであるので、時代がモザイク状になっている。
じっくりと読んでみると、色々な事が分かってきて、自分の事だから全部分かっているつもりでも、思いもかけないことが書いてあり、独占欲が強く狭量だったから自分勝手で嫌なやつだなあと思わせることがほとんどで、相手の女性は迷惑だったろうなと同情するが、真っすぐにすべてをかけて愛したからふられた時の傷は深く、その後心の底から女性を愛せなくなったんだなあと思う。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワイン+コニャック、アルマニャック

2020年03月30日 | Weblog
この辺りでは花散らしの雨にはならないような気がするが、昨夕から冷たい雨が降り続いている。
5時に目が覚めて音楽をセットして、日下公人「新しい日本人が日本と世界を変える」を読んだ。
前著と同様アニメの効用も書かれていた.
もう20年以上広く海外で観られているので、日本の価値観と感性が海外の子供たちに伝わり、第一世代は成人して社会の中心になっているから、日本に対する理解と共感が深まっていることだろう。
日本の哲学者や思想家が成しえなかったことを、少年ジャンプはそのモットー「友情・努力・勝利」で世界の価値観を変えたのではないか。
Sony,Panasonic,Toshibaなどのかつての日本文化輸出の花形が消え去ってしまった今、よりソフトな形で目に見えないが大きな影響を世界に発信していることが心強い。
続けて同じ著者の「独走する日本」を読み始めた。
長い間、日下公人を保守派の古びたジイサンだと思って軽んじていたが、きちんと読んでみたら独特の視点で優れた指摘をする論者であることが分り畏れ入った。
「独走する日本」の帯には「先入観を捨てると新しい光景が見えてくる」との惹句があるが、バッサリとやられたようで身の置き所が無い。

8時近くになったので起きて朝飯を作った。
エノキ、エリンギ、豆腐、青葱の味噌汁、メカジキ粕漬、納豆、麻婆茄子、ペンネ、伽羅蕗。

天気予報では雪が積もることになっているが、この辺りではきっと積もらない、でもかなり寒い。
動く気になれずボーっとして過ごし、11時から「メジャー」を観た。
「メジャー2nd」のほうが面白かったが、昨日から観だしたので慣性で観ている。きっと来週いっぱい見てしまうだろう。

上の息子が車に乗って行ってしまったので、しかも冷たい雨が降っているので妻は買い物に行かず、家にあった稲庭うどんで鍋焼きにするという。
細麺なので煮込みに向かないから出汁を取って油揚げと青葱でサラッとしたうどんをと要望したが、もう身体が味噌煮込みうどんに向かっていて修正が効かなかった。
案の定、くたくたになって美味くなかった。

午後雨が上がり、やや気温も上がったようなので本の片付けを始めた。
時間も短く細かい作業が多いので捗る感じがしなかったが、それでも確実に終わりが見えてきている。
翻訳の岩波文庫の棚を整理したが、かつてはこの文庫はパラフィンが掛かっていて紙カヴァーが無かった。時間が経ちとひどくみすぼらしくなっていた。
本文が読めれば本としての機能は損なわれないが、見た目ってのも重要だなあと思う。
40年位前のものが殆どで、例えば「ドン・キ・ホーテ」は永田寛永の旧訳で、牛島信明の新訳と比較しながら読んでみると面白いのだが、老い先短い限られた時間でそんな贅沢できるかなあ。

雨が上がり、妻が贈答用に芦の屋に菓子を買いに行った。ついでに、シュークリームと食パンを買って来た。
午後のティータイムにアールグレイを淹れて好物のシュークリームを食べた。
6個あったので2個食べたが、昔は3,4個食べても太らなかったのになあ。

5時前に下の息子と散歩に出かけ、晩飯の足しにでもしようと魚を覗きにマサに寄った。
鯨の刺身を買い、今日は29日で肉の日だと息子に言われ肉売り場に行き、鶏1羽、鶏もも肉、イベリオ豚ロース6枚を買った。
帰りに葛川の桜を見物したが、いよいよ満開が近い。雨の害より風で少し散っていた。

家に帰り、喉が渇いたので、新種の夏ミカンを食べた。
房が大きく食べやすく、糖度を上げて酸を軽減するのが品種改良の方向だが、その通りの夏ミカンだった。
最近の果物は十分に糖度が上がっているので、これ以上やると砂糖水を飲んでるのと同じでダイエットを考えている人が避けるだろう、しかも酸が少ないから味にしまりが無くなる。

鯨の刺身は柔らかくて脂が乗っていて、すごく美味かった。
捕鯨を再開したのでいいものが流通しだしたのだろうか、とすれば日本の未来は明るい。
鶏はオーブンで焼いた。やっぱり丸焼きは肉汁が保たれていて美味い。
野菜スープ、スナップエンドウ、蕨、赤ホウレンソウ、食パンのトーストだったので、ディエゴのワインを開けて飲んだ。
月初の娘たちの壮行会で飲んだ時に、香りが弱くなって落ち着いてきたと感じたが、今一番いい状態に入って来ているのではないか、酸の角が取れて丸みが出て奥行きを感じて実に美味い。
飲む?とお誘いしたが、妻は身体の具合をよっぽど気にしているようで飲まなかった。
ボトル半分ほどで辞め、久し振りにシャトーボーロンVSOP、タリケXO53.5°、シャトーボーロンNPを飲んだ。
やっぱりNPはランシオ香が実にいい。

TVドラマの「金魚姫」面白かった。荻原浩の原作だ。
僕より一つ下でサラリーマン生活をしたこともあり、同時代の感覚だからか。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ペンパル

2020年03月29日 | Weblog
コロナで外出を控えめにしろということだから、ちょうどいい時期に本の整理をしていたわけだ。
既に長い間やっていて飽き飽きしているが、やりだすと本だけの整理って訳に行かず、机周りだとか雑多なものが放り込まれている戸棚などを整理するから、手紙、写真、その他の思い出深いものが出てきて、古い時間をほじくり出すことになって結構愉しい。
その時間が層になっていたりすると更に味わい深い。
若い頃からやり残したことが沢山出てくるが、隠居したら読もうと思った本が3,000冊はあり、既に興味を失ってしまった事柄もあるが、死ぬまでにはやりたいと思う課題も多い。
釣り道具も、何時かこれを使おうと思って買ったルアーが100本以上あり、20年も経っているので、今ではもっと性能のいいのが出回って、時代遅れを上の息子に馬鹿にされるが、息子も毎日のようにAmazonでルアーを買って無用なルアーを溜め込んでいる。
男の収集癖は殆ど無駄だが、妻が買ったサイズが合わなくなった大量のブランドの服からみると些細な出費だ。

高校時代に札幌の女の子と文通をしていて、彼女から来た手紙が100通以上ある。
一度整理をして読んでみたいと思うが、そろそろ実行に移さないと一生やらないで終わりそうだ。
数年前に札幌の知人と、うろ覚えの住所の辺りを訪れてみたが、それらしき家は見当たらなかった。
大学3年の時に、彼女が友人を連れて東京にやって来たことがあり、先日古い日記を読んでいたら、上野で待ち合わせて新宿の「ぼでごん亭」で飲んで京王プラザホテル迄送ったと書いてあった。
すごく印象的な出来事だったので鮮明に覚えているつもりだったが、上野で待ち合わせたことは完全に忘れていた。
連れてきた友達がものすごい美人で、僕が連れて行った友人が目を見張った。
仕事で札幌に頻繁に出かけているときに連絡をして会えばよかったのだが、仕事というのは大切なことを後回しにしてしまう傾向がある。

今日は母の誕生日だ。
1995年、母の誕生日祝いの晩飯の後、梅沢海岸で初めてのシーバスを釣り上げて、夜中に家族でスズキを刺身にして祝杯を挙げたことを思い出す。
ちなみにその時のルアーはK-10鮎カラー9㎝フローティングだった。
母もまだ若くて直ぐにスズキを捌いてくれたが、今年は施設の中で誕生日を迎えることになった。
ただし、2年ぶりに歩行器を使って歩いたとのことで明るい気持ちになっているのではないか。

昼はナンとカレーがセットになっているレトルトを3個買ってあってそれを食べた。
キーマカレーとバターチキンだったらしいが、鍋に開けて豚ひき肉と昨夜の残りのポークサイコロステーキを入れて煮込んで、ガラムマサラを入れて味を調えたら結構美味かった。
ナンはオーブンで焼き直したが、不味い店のナンよりマシだった。

午後から雨の予報だったので、食休みをして下の息子と一緒に桜を観に出かけた。
何時もと同じ葛川沿いの染井吉野だが、不要不急以外の外出をするなとの事だが、オバサン達が結構逍遥していた。
感染経路不明の感染者が増えていて困ったことだが、地道に感染者と濃厚接触した人を洗い出し、マークすることだ。
長期間均質な緊張を強いていると人間飽きが来て気が緩むから、メリハリをつけて感染予防をするべきだ。
桜はかなり見頃になって来ていて、火曜日当たりに満開になるのではないか。

3時ころに帰って来たので晩飯までベッド周りの掃除をした。
ベッドと壁の間に本が10冊ばかり落ちていたが、ベッドの下にはなくなったスリッパが2種類、郵便貯金の通帳も出て来たが、現金は500円玉だけだった。
時々ベッドの下を見ないといけないね。
本の整理もあれこれ考えるのに飽きて空いているところへ入れだしたら思いの外捗った。

下の息子の情報で、妻が平目と鮪を買って来たとのことだったが、平目が特に美味かった。
3月平目は猫マタギと言われるが、相模湾の平目は3月一杯は美味しい。
山芋のざく切り、スナップエンドウ、マーボーナス。
7時からアリスの歌番組を観た。
70年代から活躍していたんだなあ、まあ、だから知っているんだけど、ついこの間の事のように思う。
9時からドラマの「居酒屋兆治」を観た。
兆治を遠藤健一、妻を真矢みき、さよを井川遥がやったが、小説とも映画とも異なっていた。
映画での大原麗子のさよが薄幸の感じが良かったなあと思う。
92年にも民放がドラマ化していて、その時の妻役が桜田淳子だったらしいが、観てみたいなあ。
若い頃はあまり好きじゃなかったが、年を取ったら好きになった。
それでも「はじめての出来事」「しあわせ芝居」「追いかけてヨコハマ」はよかったな。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鯛の押寿司

2020年03月28日 | Weblog
春風が随分吹いた。
丸一日本の整理をやっていたら4時ころにどっと疲れが出て机で音楽を聴きながらい眠ってしまった。

今日は2階の天井に近いところの本棚の文庫本を椅子に乗って全部出してみた。
水上勉、半村良、小林秀雄、源氏鶏太、鳴山草平、下村胡人、黒岩重吾、筒井康隆、大藪春彦など出て来た。
二十代前半に半村良のSFと人情小説に夢中になり、伝奇ロマンという初めてのカテゴリーにも惹かれた。バーテンを辞め物書き一本でやりだして間もなくだったと思うが、吉行淳之介などが後押ししていた。
水上勉も同じころ熱中して読んだが、「雁の寺」「五番町夕霧楼」など暗い情念が込められた物語だった。
黒岩重吾は株で大儲けして小説書くようになったと記憶しているが、学生だったので異質な世界が面白かった。
小林秀雄は当時の学生がほとんど読んだのではないだろうか、大学入試の問題にも良く取り上げられていた。「考えるヒント」全4冊は、改版されたのを持っているが、20年前に読み込んだ文字の小さい文庫本が愛おしい。
下村胡人は「次郎物語」全5冊だが、初めて平塚の近代書房で母に買ってもらった文庫本で、12歳の頃だったと思う。
源氏鶏太はサラリーマン小説だが、気楽な読み物で中学か高校の夏休みに読んだ。最近、見直されて文庫化されたものが多いが、「三等重役」「新三等重役」は絶版のままでやけに高値がついている。
映画化されたのをプレシネで観たなあ。
鳴山草平の「カミナリ先生青春帖」は、学園小説で江の島へ海水浴へ来るシーンがあるからか夏休みになると何度も繰り返し読んだが、今日、調べてみると、作者は戦前平塚高等女学校、今の平塚江南高校で教師をやっていて、終戦の年に希望が丘高校に移っている。湘南の明るさを持った小説だったのは、そういうことだったのか。
筒井康隆も10数冊あったが、これは若い頃に読んでいた分で、その後も折に触れて買っていたのが10冊ばかり別にある。纏めて読んだ記憶が無かったが、気が向くと買って読んでいたのに文体や世界に馴染んでいたのはそういうことだったんだ。
大藪春彦は、きっとハードボイルドの流れで、ハメット、チャンドラー、スピレーンと読んできて日本回帰したんだろうなあ、10歳で終戦を迎え一家の長として苦労して朝鮮から帰国した。その体験が書かせたんだろうなあ、暴力を描くが反権力を貫いている。
先日、古い日記が出てきて読み返したが、高校大学と全く勉強をしなかったが、思ったより多くの本を読んでいることが分った。
読んだことも忘れてしまっているものが多いが、何処かで生きる糧になっていたのかもしれない。

昨日、妻が鯛をたくさん買って来て酢〆にしてあったので、昼は寿司にすると言っていたが、鯛の押寿司、海苔巻き、稲荷寿司と出来てきた。
お茶を淹れて摘まんだが、美味かったので随分食べてしまった。
生姜も妻が夏に仕込んだが、カビが生えて駄目にしてしまったらしく、ガリが無いのがちょっと惜しかったな。
桜の時期の鯛は刺身にしても美味いが寿司もいいねえ。

午後も考えたり摘まみ読みをしていることが多かったが、一応本の整理をし、5時に葛川の桜を観に出かけた。
風が強かったが暖かだったので一気に花開いていた。
満開までに後2日といったところだが、薄暮に浮き出た白い花が幽玄で良かった。

結構汗をかいたので風呂に入ってさっぱりしてから飯を食べた。
この間から妻が鯖の水煮を喰いたいと言っていたが、大根おろしを添えて出してあった。
マルが今日は違う皿で水を熱心に飲んでいるなと思って、今日は皿を変えたのかと妻に聞いたら、鯖を盛んに舐めていて、妻の慌てぶりと言ったらなかった。笑っちゃったね。
とろろ芋、ブロッコリー、豚のサイコロステーキ、豆と自家製ハムをトマトソースで煮たのにペンネがあった。
昼に作った鯛の押寿司が残っていたので食べたが、これが一番美味かった。

7時半まで中野剛志の対談本を読み、9時から「新日本風土記」東大、10時からドラマ「ゴールド」を観た。
疲れてたんだろうな、「新日本風土記」は半分居眠っていた。
母は僕を東大法学部から大蔵省に入れる事を夢見たが、高校に入って全く勉強をしなくなったので、早くから期待を裏切った。
マザコンなので、思い通りにはいかないぜって気概があったわけじゃなく、怠けたかっただけだ。
高校時代見事に勉強をしなかったので時間があったはずなのに、何かに熱中して青春をエンジョイしたという記憶が無い。
「ゴールド」は藤竜也が主演だった。
「時間ですよ」で梶芽衣子の恋人役をやった時に既にオジサンだったが、あれから大して年を取ってない感じだった。
何てったってこの人「横浜ホンキートンクブルース」の詩を書いてるから、それだけで浜っ子にとっては忘れられない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

葛川の桜

2020年03月27日 | Weblog
今日もものすごくいい天気だった。
日差しが強く暖かだが少し風が冷たい時があった。
昨日飲み過ぎたので5時に目が覚めたが、音楽を聴いてベッドの中で過ごし、7時に起きて久々に朝風呂に入った。
朝日が差し込んで清々しく、ボーとした頭が暑い湯と光で覚醒した。

エリンギ、エノキ、油揚げ、葱で味噌汁を作り、韮の卵とじ、納豆、伽羅蕗で朝飯にした。
何時ものようにマルのトイレの掃除をして、JA湘南へ出かけた。
今日から新しいレジのオバサンが入ったので、何時もの人と2人いた、研修ですね。
分葱、黄色のユリ、韮、胡瓜を買った。

家に帰り糠床を久し振りに開けて見たら黴で酷いことになっていた。
上のほうを厚く取って棄て、新しい糠を入れて攪拌したが水分が足りなかった。
取り敢えず胡瓜を入れて様子を見ることにした。
ユリを活けてから本の整理にかかったが、なんだか精神的に疲れていて、やる気が出なかった。
でも、午後「メジャー2nd」を観るので、午前中に少しやらなきゃと思い始めたが、気合が入ってないからだらだらしちゃった。
残っているのは数冊の本を持っている作者のものなので何処へ入れてもいいのだが、それが決断を鈍らせる。
探すときに大変なので、目に付くところに置きたいなあなんて考えるから手が動かなくなるのだ。
せめて40年前にPCがあればリストを作っていたのだろうが、今となっては出来上がる頃には、もう先が無いなあなんて思うからその気にならない。

昼は春キャベツで回鍋肉にするとやけに妻が張り切っていた。
昨日外で飲んだから機嫌がいいのだろう。
春キャベツは甘くて美味かった。

「メジャー2nd」は火曜水曜と見逃したので、途中が抜けて今日4作やっていきなり終わってしまった。
NHKのアニメは1作22分なんだね、「映像研に手を出すな」も0:10から始まるので、眠いのを我慢して待っていてもあっけなく終わってしまうのはそのせいだ。
4月から中学校篇が始まるらしいが、その前にこの小学校篇を土曜の午前中から纏めて放送するらしい。
25作あるから550分、9時間余だけど一日で放送するのかなあ。
女の子が二人野球をやっているが、小学生にしてはやけに色っぽい。
思い起こせば、日吉の予備校で6年生を教えていた時に女の子で色っぽい子がいたなあ。
成長の早い子は初潮が始まるからホルモン分泌が変わって異性の興味を惹くような風情になるんだろうね。
スポーツアニメとはいえ友情とか努力とかと共にこういったところがあるのがいいねえ。

2時間弱だらだらと本の整理をやり、下の息子と一緒に葛川へ桜見物に行った。
かなり開花が進み、川に覆いかぶさるように咲いている花に夕日が当たって綺麗だった。
東京が感染爆発の恐れが濃厚で、週末の外出を控えるように要請を出したので、弁当と酒を持って花見に行きにくい雰囲気になった。
それでも来週の良き日に花見を実行したい、人里離れた山の中の桜を愛でるなら文句も出まい。

晩飯は、妻がおしつけの刺身と牡蛎をたくさん買ったので牡蛎の炊き込みご飯と言っていたが、カワハギの刺身もあり、これがおしつけより断然美味かった。
葱ぬた、スティックブロッコリ―、伽羅蕗。

今宵も観るべきTVが無く、7時過ぎには2階へ上がり、音楽を聴きながら日下公人「新しい日本人が世界と日本を変える」を読んだが、どうも歌のほうに気が取られ本に集中出来なかった。
著者は情が一番大切だと言ってるわけだから、歌に感情を揺さぶられているほうがよっぽどいいかもね。
そんな訳で2時間ばかり読んだら飽きちゃって、机の中の整理を始めた。
古いボールペンが20本ほど出てきたが、ほとんど駄目で数本だけ生きていたが、ブランド品は流石に古くなっても使えるので感心した。
万円筆も20本ほど出てきたが、古いのは駄目で、唯一セーラーのちょっと高価なやつがインクを変えたらすらすらと書けた。
万円筆が好きで買い集めたり人からいただいたが、それぞれ思い出があり中々捨てられないでいる、でも処分しないといけないなあ。
今はプラスチック製の万円筆、パイロットが1,000円くらい、プラチナはなんと300円くらいのを使っているが、書きやすくて不便を感じない。
もう万円筆など使う人はおらず、廉価にしても需要が無いんだろう、最近西友の棚から消えてしまった。
万年筆は知性の象徴で、入学や入社の折にグレードアップして持ったが、今はそういった意味を失った。
これと同様な運命をたどったものに、ライター、カフスボタン、ネクタイピンがあるが、それも机の中から大量に出て来た。

気が付くと零時に近かったので風呂に入り、本を持ってベッドに潜り込んだ。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

酒解禁

2020年03月26日 | Weblog
朝から素晴らしい天気だ。
5時に目が覚めてYouTubeで時事解説を一通り視聴して7時に起きて台所へ行くと、すでに下の息子が居た。
エリンギ、椎茸、豆腐で味噌汁を作り、煮た鰯を焼き、肉豆腐を温め、昨日買った崎陽軒の焼売、搾菜で朝飯を食べた。
JA湘南へ自転車で行ったが、春っぽい服装だったので風が冷たかった。
椎茸、蕗、ブロッコリー、絹さや、紅夏みかんを買い、帰り道の農家で八朔を6コ買った。
家に帰えると来客にい備えて妻が母の居間の掃除をしていた。
蕗を洗って火にかけてた、タイマーがあるからそのままほっとけば自然にあく抜きが出来る。
後で2時間水に晒してから煮ればいい。
母の居間と隣の6畳が散らかっていたので妻と一緒にかたずけたが、妻は何でも捨てるので片付くのが早い。
本の整理が同時進行なので6畳のベッドの上の本をかなり片付けたが、まあ、移動したに過ぎない。
それでも本の数が多い阿川弘之と川上弘美を2階から1階の納戸の本棚に移動したら、後のスペースに雑多な本が入れられそうで、ある種のゴミ箱のような感じだが、ちょっとだけ捗りそうだ。
川上弘美の「センセイの鞄」をチョットだけ読んでみたが、やっぱりいいねえ、奥付けを見たら2001年だったから、川上弘美とは思ったより最近の邂逅だったんだなあ。
会社の近くのイタリアンバーに愛ちゃんという湯河原出身の女の子がいて親しくしていたが、何お勧めの本と言われてこれを紹介したら、時々今トキコさんがああだこうだと読書の進捗状況を話してくれた。
これは、もう20年近く前の事なんだと感じるから不思議だ。

昼は妻にアイデアがなく、鍋焼きうどんとなった。
近頃、妻お気に入りの味噌煮込みうどん、このために八丁味噌を常備している。
名古屋にいたころはよく食べたが、硬い麺と八丁味噌の組み合わせがきっといいんだな、家で作るのはちょと違うけど、本場の味噌煮込みうどんを喰ってなけりゃ結構美味いと思う。

午後も部屋の片づけをした。
何時も部屋の中がごたごたで気持ちよく整理されたことがなく、家の掃除は妻に任せっきりだったから性格故しょうがないと諦めていたが、一緒にやってみるとてきぱきとやるので驚いた。
僕のほうは本の中をちょっと覗いてみたり、写真を眺めたりで手が止まり、そいううことやってるから何時まで経っても終わらないのよとぶつくさ言われたが、結局2時半に綺麗サッパリと部屋が片付き、恐れ入りました。

3時半に母が入所している施設の人が見えて、トイレやベッドの状況など、家での生活パターンをチェックした。
コロナで1か月以上面会が禁止になっているが、足の指の傷は治り歩行器を使い歩いているというので驚いた。
もう2年以上前から歩行器を使わなくなり、歩いていなかったのに、本人も今回は以前のように足がいうことを聞かず、一人で立ち上がり便器に移譲することができないと諦めていたのに、七沢リハビリセンターでお世話になったリハビリのオネエサンMさんの提案で足の指の傷に触れないようにとサンダルを購入したが、それが功を奏しているらしい。
秋田横手出身の訛りが可愛い熱心で親切なMさんありがとう。

張り切り過ぎたのか妻はすっかり疲れてしまい、来客が帰った後は二階で横になり、今日はどこか外へ食べに行こうと言い出した。
二宮は美味いところが限られているが、奮闘に敬意を表して妻が好きなイタリアンの「アンティカ・ティッタ」に行くことにした。
野菜の酢漬け、トリッパのトマト煮、自家製ソーセージ、ピザはシラスと葱ピザ、ロマアーニを頼み、ワインはファランギーノを頼んだが、どれも美味かった。
ソーセージは腸をネットで入手できるからやってみようかと言ってたが、叉焼とハムに飽きたので、それに元々ソーセージが凄く好きだからやってくれると二重に嬉しい。
ファランギーナは酸が穏やかで美味しいと満足していた。
ワインは1本で足りず、赤ワインをグラスでもらった。
シラとのことだったが、スペインの樽のような甘く強い風味があり好みじゃなかったが、妻は何もコメントしなかったが気に入っていたようだ。
イタリアはコロナで酷いことになっていて、日本では外食産業が惨憺たる状況なので、イタリアンは厳しいんじゃないのかと思っていたが、予約した時に、席は用意できるが1人でやっていてフルハウスなので、料理に時間が掛かるがそれでよければと言っていた。
6時に行ったら既に女子6人がピザを食べワインを飲んで盛り上がっていた。
美味いところはコロナに関係無く繁盛しているんだなあ。

次は焼きトンで串を1本と酒を1本飲んで帰ろうと表に出たが、結構食べたので焼きトンはなあと、取り敢えず二宮の飲み屋を散策しようと北口へ渡り、5,6軒覗いてからワインとビールが売りのバーに入った。
外からはカウンターにそれっぽいオニイサンが3人いて、妻は嫌がっていたようだが中々いい店で、3人は音楽関係の人たちで、4月24日にそこでDJのようなことをやるらしい。
マスターは8年前に二宮に来て3年前にその店をオープンしたが、二宮は保守的で中々人が来なかったが、最近は10人くらいは来るようだ。
ブラジル音楽が好きで楽器がそこいらに置いてあった。
松任谷由実じゃなくて荒井由実と言ったところに皆さん反応して、音楽の話をした。
最初に僕は音楽が好きだけれど横好きで音痴ですと断ってからね。
お客のTさんは荒井由実に会った事があり、声が低くて男ぽかったと言っていた。
マスターにボサノバが好きで小野リサを聴いていると話したら、直ぐにYouTubeで出してくれた。
もちろんZARD、竹内まりや、荒井由実の曲も話題になると直ぐに出してくれて聴きながらああだこうだと話すから愉しかったな。
妻と二人でつまみも取らずビール6本飲んだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

買ってはいけない本を買う

2020年03月25日 | Weblog
久し振りに横浜までお出かけしました。
天気も良く、車内は空いていてぽっかぽか、気分良く桜木町へ着き、今日の目的であった馬車道クリニックへ向かったら、何と数日前から今日まで臨時休業、車先生コロナにでもやられたんでしょうか。
10日間の禁酒の成果を得る機会とそれを破る機会を失い大ショック。
採血したら駒で酒を呑もうと思っていたのに、その計画もおじゃん。
でもまあ「半鐘はいけねえよ、おじゃんになるから」って落ちを思い出してニタッとしていたので余裕があったんでしょう。

馬車道から吉田橋を渡り伊勢佐木町へ、JRAの会場には椅子が並んでおらず、TJLは中止の様子。
中に入って告知を見たら今月いっぱいここで行われる木曜落語、金曜クラシックも全て中止。
この中止は予想してたけど、わずかに望みをかけていたからほんのちょっとショック。

二つ隣のBO伊勢佐木町へ寄りCDと本を眺めた。
ここのところ本の整理で苦労していて、もうよっぽどのことが無い限り買うの止めようと思っていたのに、3冊買ってしまった。
これでも絞ったんだよ。

日下公人「独走する日本」PHP 2007年
リーマンショック前の本で、その当時の日本をどのように位置づけていたのかすごく興味があった。

日下公人「新しい日本人が日本と世界を変える」PHP 2017年
トランプが大統領になった直後の評価が愉しみで買った。
あとがきに岡潔の「春宵十話」を引用して情緒について論じていたのを見て、ああそうだった、岡潔は日下が情について書いた本で読んだんだ。
つい最近読んだばかりなのに失念していました。

高山正之「アメリカと中国は偉そうに嘘をつく」徳間書店 2015年
内容は予想されるが実名を出して、こいつがこんな酷いことをやっていたんだと書いてあるから痛快だ。
朝日新聞がいつもターゲットにされるが、こんな酷い新聞がいまだ存続していることが不思議だよ。
戦前戦中はあれだけ大東亜戦争を煽って、敗戦と同時に180度態度を変えて平気でいる胡散臭い新聞だが、何でこうまで日本を貶める立場に立って書くのだろう。この類の輩を売国奴と言う。

ちょっと気分が持ち直し、大岡川へ出て桜を眺めたが、これがいけなかった、二宮の桜より咲いてないじゃないの、湘南より横浜は開花が早いはずなのに何でだ。

気を取り直し、桜木町駅前のぴおシティB1の美濃屋へ行き、煎餅を3種買う。
久し振りに従業員のちょっと太めの美人に会い10分ばかりくだらない話をした。

一周して駒に戻り、握り1.5人前を食べた。
隣のオネエサンも1.5人前を注文したので、エッと思いつい見てしまったが、小柄で痩せていた。
軍艦にホタルイカが二個乗っていて、見てくれが悪くて嫌だなと思いながら喰ったが、思いの外美味かった。
本来はイクラなんだけど、ツーファーのため魚卵が駄目なの知っていて気を利かして替えてくれた。
でも、ホタルイカも同じくらい駄目なんだよね。

古い日記を読んだせいで1982年7月から12月までの短いが熱烈だった恋の舞台となった横浜スタジアム横の宮下ビルまで歩いた。
Mと「ウエストパーク」で飲んだと日記にたびたび出てくるが、一体何処だったのだろうかと辺りをうろついたが38年前の店があるはずもない。
今も一緒に人生を歩めなかったことを後悔しているが、もし一緒になっていたら、そんな熱い気持ちになったことも忘れて暮らしているだろう。

関内南口で崎陽軒の焼売を買い、根岸線に乗り大船へ出て下車した。
松竹撮影所跡のBOでCDと本を観た。
買っちゃいけないと思っているときに、何で欲しい本があるんだろう。
4冊も買ってしまった。

松田哲夫「縁もたけなわ」小学館 2014年
筑摩書房の編集者で「ちくま文学の森」「ちくま文庫」などを立ち上げた名編集者。
新潮文庫の100年間の短編を川本三郎、池内紀と共に編んだ当代を代表する読み巧者。
出会った作家とのことが書かれている、買わずにいられないでしょう。

丸谷才一「闊歩する漱石」講談社 2000年
この本の存在を知らなかった、と言いながら書棚の奥から文庫本が出てきたらショックだ。
年を取ってから記憶力が減退したわけでなく、若い頃から物覚えが悪かった。
装丁はコンビのような和田誠だが、地味で素朴で厳かな感じがあると言えばある。
漱石を論じた本だからかなあ。

森見登美彦「夜は短し歩けよ乙女」角川書店 平成18年11月初版 19年6月10版
7か月で10版だから良く売れた本だ、新刊の頃も文庫化された時にも良く店頭で見かけたもんなあ。
こういったベストセラー、しかも本屋大賞2位、山本周五郎賞受賞だもん普通は避けるんだけど、アニメで観て、ほのぼのしていて展開が面白くて嵌ったので、ぜひ原作をと思っていたんだけど、それが目の前にあったから買うよね。

「井上ひさし 柔らかく、時に劇的に」KAWADE夢ムック 2013年
巻頭に直筆の「鴻ノ台だより」があり、稲毛に下宿していた大学の教養学部の時、松戸にある学部の授業に市川からバスで通ったが、その道すがらに鴻之台はあり、手書きの地図に書き込まれた野菊の墓、和洋女子大など思い出深く、本を棚に戻す気になれ無かった。
「パロディ志願」と「吉里吉里人」読まなきゃなあ。

Zard「君とのDistance」2005年
これ最後のオリジナルアルバムだと思うと何だか哀しいね。
生きてりゃ53歳で流石に美貌も衰えているだろうけど、綺麗なうちに死んじゃうと何時までもそのままだからね、夏目雅子も同じだなあ。
人前から姿を消したのは、原節子、山口百恵か。
坂井泉水はコンサートツアーでは、ほとんど喋らないが「桜が満開で綺麗ですね」と言って恥ずかしそうに苦笑いした映像がある。
あがり症で話すのが苦手なためこれが精いっぱいなんだけど、たまらなく可愛い。

血液検査が出来ていれば、大船で飲んだんだけど、呑む気にならず家に帰ったら3時半過ぎだった。
明日の来客に備えて、母の居間の片づけをしたが、こまごましたものが多くて捗らなかった。
5時前に下の息子と一緒に大磯方面へ散歩に出て、葛川の桜を観た。
大岡川が空振りだったので、何本かは見応えがあり、挽回した気分だったな。

大船から家に帰った時にシュークリームとソーセージパンを食べミルクを飲んだが、歩いているうちにやけに腹が減り、帰る早々台所で八朔を食べていたら、徐々に料理が出来上がってきた。
芹、鮪山掛け、カワハギ刺身、肉豆腐、煮鰯焼き、禁酒を続けるかどうか決めかねていたが、結局呑まなかった。
食後に蜂蜜ナッツヨーグルトと煎餅を食べた。

7時過ぎに食べ終わり、酒を呑まないと終わるのが早い、2階に上がって買てきた本を綺麗に掃除して、触ったり捲ったりして遊んでいたら零時を過ぎていた。
拾い読みしているだけで内容が頭に入るわけじゃないけど、作者と深く触れ合った感じがある。









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花冷え

2020年03月24日 | Weblog
丸谷才一の「日本語のために」が思いもよらぬところから出てきたので、しっかりハタキをかけ汚れをぬぐった。
奥付けは発行昭和49年8月30日、13刷昭和50年4月20日となっていて、あの頃はこういった本が8ヶ月で13刷もされる真っ当な時代だったのだ。
多分これが丸谷才一を買った最初で、小説家というより旧かな使いの頑固ジジイと思っていたような気がする。
日本語に関する言論が喧しかった時代で、言語学者の大野晋や井上ひさしなどの発言をよく聞いた。
一番最初に「国語教科書批判」があり、子供に詩を作らせるなと、その理由を展開しているが、ああ、その通りだと実感する。
僕が未だに詩というのが良く分からないのは、多分小学校で詩について教わったことに起因している。
それで詩集があると見境なく購入してトイレの書棚に並べて安心しているのかもしれない。
教えている先生が良く分かっていないから、教わるほうだって何が何だか分からないのは当たり前で、詩作には相当洗練された言語感覚が必要で、そんなものはよっぽどのことが無い限り小学生が持ちあわせているはずがない。
その頃にやるべきことは、いい詩を読ませることだ。
こういった詩を読ませたらいいと山之口貘がでていて、ファンとしてはチョットニタッとした。
全部を読んでいる場合では無いので、次の現代落語家論を開いたら、酒をちいさい猪口でちびりちびり呑む落語家の記述にあたった。
馬生かなと思ったらまさに馬生で、直ぐに最初に戻り読み通した。
落語家で誰が一番好きかと言われれば、間違いなく馬生であり、落語もいいが、日常の立ち居振る舞いが堪らなくいい。
僕もいい年になって来たので、何時までもがさつにしてないで最後くらい馬生を真似てみるのもいいかもしれない。
形から入ってあの風情にまで達することが出来れば、内面もそれに引きずられる可能性がある。

結局、昼から雨が降り出し寒い一日だった。
この辺りは未だ桜が咲ききっていないから心配することも無いが、満開のところは雨が気がかりだろう。
朝の内にJA湘南へ行き、赤軸のほうれん草、分葱、春キャベツ、黄色のユリなどを買った。
相変わらずゆっくりと本の整理をしているが、メインの作家とカテゴリーを片づけたので、後はこまごましているのが残ったが、これがかえって厄介なんだ。
呆然と本を眺めていることが多くなってきている。
物事ってのは、ここからが大変なんだけど、エイヤーっていい加減にケリをつけるからいい仕事にならない。

昼は昨日の持ち越しとなった炒飯を作り妻と二人で食べた。
叉焼、長葱、ピーマン、玉葱、人参、卵、味付けは塩と胡椒。
ウーロン茶を淹れて飲んだ。

プレシネは「Sergeant Rutoledge」1960年 アメリカの西部劇、黒人が被告の裁判劇だったが面白かった。
1960年はまだまだアメリカでも差別が露骨だったろう。
今も表向きは平等だが実際は差別が酷く、そこを突かれると反論が出来ないので巧妙に隠蔽されている。

1時間半作業をやったが、本と共に色々なものが出てくる。
なるべく本を処分しないようにするには他の嵩張るものを処分しちゃうことで、外出する機会にはコッパンとシャツとセーターといったカジュアルなスタイルだから、ズボン、スーツ、コートなど着る機会も無いので纏めて処分した。
3年も持っていたが、隠居したばかりで処分するアイディアはまったく浮かばなかった。
価値観が随分変わってきたってことか。
ちなみに靴はウォーキングシューズ2足を一日おきに履いているので、黒の一足を残して随分前に全部捨てたけど、冠婚葬祭の折にそれだけあればいい。

雨が止んだので5時前に散歩に出た。
葛川べりの染井吉野は木によって斑があるが、いくつかの木は五分咲くらいまでに開花が進んでいた。
確かに桜は満開がいいが、この程度の時の可憐さも捨てたもんじゃない。

家に帰ったら既に妻が晩飯をかなり作り込んでいて、下の息子は待ちきれずにそこらにあるものを喰って二階へ上がっていた。
葱ぬたが出来ていたので、酒が吞めれば最高の肴だが、食べてみると白い部分が甘くて美味かった。
その内かカワハギの刺身が出てきて、これも酒の肴だろう。
肉豆腐が出来ているから自分でよそってくれと言われ、面倒だなと思っていたら葱ま鍋が運ばれてきた。
最近和食の料理が多くなったような気がする、本人も結構気を使っているんだろうな。
肉をバタ、チーズ、クリーム、赤ワインなどで調理した諄いのが2年ほど続いてうんざりしていたが、いい傾向だ。
30分ほどで喰い終わり、観るべきTV番組が無く早々に二階に引き上げた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最後は情だ

2020年03月23日 | Weblog
本を読んでいたら岡潔の本からの引用があり、本の整理をしていたら岡潔の文庫本が2冊出てきたので、夜,Zardを聴きながら小林秀雄との対談本「人間の建設」を読みだした。
批評の本質は、直感と情熱でしょう、と岡が小林に問いかけ、そうでしょう、と答えている。
小林秀雄の評論は論理的でなく印象批評だと批判されることがあるが、本人が直感と情熱と思っているわけだから間違いない。
だが、直感は知力から生まれ、勘で発見したものを主観で書いてゆくうちに内容が流れる。
数学というのも最後は情だ、知とか意とかがどう主張したって、情が同調しなかったら人は本当にそうだと納得しない。
うーんと唸った。
唸ったままZardのコンサートの映像を2時間視聴していた。
魂を揺さぶられるんだよね、若いピュアな垢の付いてない心で書いた詩は稚拙だという人がいるかもしれないが、技巧を凝らしたところで情に響かなければ張りぼてだ。

8時に起きてエノキと椎茸で味噌汁を作り、塩鮭を焼き、韮玉を作り朝飯を食べた。

お茶を飲みながら母の居間で荒井由実を聴いて少し休む。
天気は今日も抜群にいい、でも休んでから本の整理だと思ってたら、下の息子に吾妻山に登らないかと誘われた、意志は自分でも呆れるくらい薄弱だから直ぐに誘いに乗った。
3月も下旬になり空に霞が掛かっていて富士山はもとより期待できなかったが、案の定ようやく形が分る程度であった。
風が強く、相模湾には船もなく風波が立っていた。
登った道を引き返し、西友までの途中の農家で芹を買い、西友では鰹のたたきと中華まんじゅう、歯ブラシ、歯磨きを買った。
最近、歯の具合が悪かったので真面目に歯磨きをしたら思いの外早く消耗したのだ。
帰り道、山下でバケット2種類買った。

昼は妻が叉焼を焼いたので拉麺にしますと、すでに材料を揃えてお湯を沸かして準備していた。
息子と冷蔵庫に大量に飯が残っているから昼は90%の確率で炒飯だ、と話していたのではぐらかされた感じだったが、ここで異を唱えると面倒なので従順に従った。
ウーロン茶を淹れて豚まんとあんまんを温めて食べ、太麺で叉焼麺を作って食べた。

食休みを兼ね「メジャー2nd」を観たが、4話いっぺんにやったので3時近くになってしまい本の整理の時間が大幅に短縮された。
それでも2階にあった歴史の本50冊を階下に下ろし、1階にあった50冊と合わせ、簡単に日本とそれ以外に分別して棚に入れたのでほんの少しだが前進した。
相撲の千秋楽を一緒に観て、それが終わったら下川窪の染井吉野を観に行こうと下の息子と約束してあったので4時半から相撲を観た。
44回目の優勝は大したもんだが、観ているほうとしては飽き飽きした。
これだけ弱っている横綱を引きずりおろせない若手力士がだらしない。
桜はこの3日間の高温でかなり開花が進んでいた。
TVニュースでは都内は満開とのことで宴会が無い名所の満開の桜を映していたが、この辺りは来週半ばに満開かなあ。
葛川の川筋を下流に飛翔した小鷺が美しかった。

バケットがあるので、スペイン風に鰯を焼いてトーストしたバケットにニンニクを擦り付け、鰯と玉葱を載せオリーブオイルをかけたのを妻が食べたがり、結婚記念日の晩餐は鰯となった。
他にトマト+玉葱、グリーンサラダ+自家製ハム、鰹のたたき、アーモンド豆腐と割と健康的だった。
禁酒の禁を破ってワインを飲むかと訊いたら、止めておくと言ったので驚いた。
よっぽど医者の脅しが効いたらしい。

観るべきTVもなく、二階へ上がり机の前でZardを聴きながら少し仕事をした。
Zard2004コンサートツアーを視聴していたが、音程がずれるのと歌詞を忘れるのはあがり症だからかなあ、もっともファンとしてはハラハラドキドキして、ただただ可愛いって思うだけなんだけどね。
イヤホンで聞いていたが、岡潔の本は集中しないと理解できないところがあるので、階下に降りて、掃除をしていたら出て来た父が買ったと思われる古いケーブルを持ってきて、父のラジカセとスマホを繋いだ。
テープもCDもちゃんと再生されなくなっていたポンコツだが、スピーカーだけは生きていた。
ロートルだってやりようによっちゃあ仕事が出来るんだぜ。
あの頃はPanasonicも今みたいに落ちぶれちゃいなかったが、その片鱗をうかがわせ、まあまあの音が出た。
そうなると好みの曲を一通り聴いてみたくなり、結局零過ぎまで本をほっぽり投げて聴き入っていた。
最後は情だよ。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心に垢が無い人

2020年03月22日 | Weblog
今日もものすごくいい天気だった。
下川窪の染井吉野はこの2日間でかなり開花が進んでいて、プリンスホテルのゴルフ場下の2本の染井吉野は既に5分咲き、異なる品種の白い桜は満開だ。
ついにこの時がやって来たなあ。
この分だと来週火曜日の馬車道クリニックの帰りには大岡川の桜がかなりいい感じだろう。
去年は未だちょっと早くて、しかも鳥伊勢本店で女友達二人と飲んで悪酔いし、エスカレーターから転落したなあ、あれから1年か。

娘たちが昨日ポルトガルから帰ってきて、自宅待機を強いられているので、JA湘南で野菜を買ってきて妻に届けさせた。
また蕗を買ったので、下茹でして水に晒し、午後酒、醤油、味醂で煮た。
この辛い関東風の佃煮が飯と良く合い実に美味い。
本来酒の肴なんだけど、あと三日ばかり禁酒だから、濃く煮て白いご飯と一緒に食べているが、これが本来の喰い方かもしれないなあ。

本の整理が急かされているが、割と簡単に整理がつく段階を過ぎ、残された本を何処に何を如何に置くかが問題で、いいアイデアが浮かんで綺麗に片付くと実に爽快だが、そのいいアイデアがなかなか浮かばないんだ。
二階のベッド脇の本棚でスペースを取っている鹿島茂と山本夏彦を一階の納戸の天井近くのスペースに移すことにした。
そういや、この本棚の上に二段ほどの本棚を載せて天井までのスペースを有効に使うのを考案したの、鹿島茂じゃなかったかな。
7年ほど前に「たる」の企画で銀座のバーで対談したことがあり、その時には家族論を話していたけどマニエル・ドットの受け売りで、得意なパリ話が聞けなかった。
50冊ばかりあるが、同時代の人の著書は新刊の単行本で買うので、これが嵩張り一区画にちょっと入りきらなかった。

山本夏彦は15年位前に熱中して買い集めたが、既に故人だったので文庫本が多く、しかも古書だったから、50冊以上あるが大して費用が掛からず、しかもワインのコラムを執筆するのに、切れのいい文章を参考にしたから、かなり読みこんだので思い入れが深い。
代表作に「夢想庵物語」があるが、この夢想庵は一時期家から200メートルくらいのところに住んでいたから、親近感もあった。

ベッド脇の空いたスペースにいろいろな著者のエッセイを並べたら、収まりが良かった。
机の右手のガラス戸の付いた本棚には歴史の本が入っていたが、一階の酒置き場にある本棚に纏めることにしたら、空いたスペースに隣からはみ出した芸能関係の本が置け余裕が出来た。
だが、相変わらず8畳の本の行方が決まっておらず、頭が痛い。

昼はオーブンでピザを焼いていて一人1枚ずつ食べた。
焼けた順に皆で分けない?冷めたピザほど不味いものはないよと提案したが、下の息子も妻も嫌だと言ってデカいピザに嚙り付いていた。
見ると、どのピザも玉葱、ピーマン、ベーコン、チーズで同じだった。
例えば家にある素材で、ブロッコリーとシラス、新玉葱と豚肉くらいのヴァリエーションを考えりゃいいのに、料理の才能ないなあ、とつい口に出したから酷い目にあった。
グリーンサラダとアールグレイ。

昼が遅かったので明智光秀の時代劇を観てしまった。
名前知らないけど女優さんたち綺麗だったな。
これが終わり「メジャー2nd」を観た。
小学校に入った時に父からグラヴとバットを買ってもらい遊んでいたので野球は好きだった。
父は昭和石油で実業団野球をやっていたので、僕か弟を野球選手にしたかったらしいが、弟が中学時代に軟式野球部に入って3年やっただけで、夢儚くも敗れた。
今回このアニメを観ていて、子供の頃野球に夢中だった気持ちを思い出しやけに力が入っている。
すっかり隠居モードになっているなあと思う。

4時半に散歩に出て帰ったら5時10分前で、最後の2番だけ相撲を観た。
千秋楽で横綱が優勝をかけて対決するってのは理想的だが、無観客ってのはやっぱり盛り上がりに欠けた。
風呂から出てきたら下の息子と妻が飯を喰っていた。
とろろ芋、鶏の腿のグリル、鰤塩焼き、胡麻豆腐、伽羅蕗、葱ぬた、エシャレット。
春野菜が美味い。
観るべきTVも無いので二階へ上がりPCで遊びながら、YouTubeでZardを視聴する。
久し振りに映像を観たが綺麗だなあ。
机と椅子がきちんとしたので昔のように机で遊ぶことが多くなりそうだ。

日記を毎晩読み返しているが、思っていた過去の自分と随分違うので再度今の自分を見つめ直している。
退職をしてから、纏っていた鎧が徐々に取れて行き、純真だったころのコアな心がむき出しになってきて、なんて詰まらないまやかしの生き方をしてきたのだろうと愕然となったが、若い頃も嫌らしい人間であったことが分り、何れにしても碌なもんじゃなかったなあと思っている。
しかし、墓場に入る時にいい人生だったなあと思いたいから、どうにかしてみたいが、一体どうすりゃいいんだろう。

時代遅れを気取っているわけではないが、毎日飽きもせずZardを聴いているのは、純真な魂に触れられるからかなあと急に思った。
坂井泉水=蒲池幸子さんて、心に垢が無いんだよね。
これって岡潔の随筆で柏戸が好きなのは垢が無いからだと書いてあって、実に巧い表現だなと思って直ぐに使ったんだけど。
柏鵬時代に優勝回数が断然少ないにもかかわらず柏戸が好きだったのは、負けっぷりがいいからで、白鳳のように張り手やかち上げで相手の当たりをかわせばいいのに、胸を出してゆくから無残に負けることが多かった。
でもそんなこざかしいことは最後までしなかった。
そうやって胸を貸して勝った後で、土俵下で胸にくっきり赤い跡が残っていて、それを観るのが何ともいえず良かったんだなあ。
垢が無い人を毎日見ていれば、こびりついた垢が解けて行くかもしれない。

ちなみに、今日は結婚記念日だ。
新婚旅行から帰ってきて、二階の8畳間にダブルの布団をひいてあって、妻が布団の脇に座っていた時には奇異な感じがしたなあ。
二階の8畳、6畳、3畳間を一人で使っていたのに、タンスが3棹とグランドピアノが運び込まれ、しかも一人増えたんだから、急に狭くなってね。
今はその8畳が妻の部屋となり、僕は増築した12畳に陣取っているのだが、何せ本棚が6本とタンスが2棹、両袖机と補助の机が2個、セミダブルのベッドがあるから独身時代のような広々とした自由な感じはまったくない。
半年前に見合いをして良く分からず結婚をして、良く分からないままに33年が経ってしまった。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする