雨こそ降らなかったが日も出ない寒い一日だった。
所謂、花曇り、花冷えってやつ?あまりいいもんじゃないね。
朝9時から「メジャー」があるので11時前まで観てJA湘南へ行ったが、野菜は全然無かった。
昨日の鳥の丸焼きの骨でスープを取っているので、昼のラーメン用に小松菜を買い、花を買った。
帰りに西友で鳴門巻を買うのに寄ったらすごく混んでいた。
未だ買いだめをしようなんて考えてる人が多いんだなあ。
非常事態宣言が出ても政府が食料供給してくれるわけじゃないから、買いだし禁止になるって事は無いのになあ。
家に帰ってきて机周りを整理したら、オーデコロンとトワレが10本以上出て来た。
好きなので色々違うタイプの香りを集めて、その日の気分で使っていたが、隠居してからは偶に気が向くと使っていただけだ。
いいものはイタリアかフランスの有名ブランドになるから高額なんだけど、よく買ったもんだ。
今後はもう買うことも無いだろうけどね。
一応どんな香りだったかなあと全て嗅いでみたが、匂いの記憶ってのは脳の奥深いところに在るのか忘れていないもんだね。
キーホルダーとソムリエナイフも大量に出て来た。
シャトーライヨールをフランスに行くたびに買っていたし、友人からもプゼントされたから20本以上あった。親しいソムリエにあげたりしたんだけどね。
前にも柄のところが水牛で出来ているものは結構虫に食われて処分したが、また同じように使い物にならなくなっているのがあった。日本の湿潤な気候が良くないんだろうね。
ソムリエナイフはダブルアクションが圧倒的に使いやすく、しかも廉価でれ、昔のタイプはほとんど使わない、味わいがあって高価なものなのに機能が遅れてしまって出番が無いのは残念だね。
キーホルダーも今の世の中鍵の必要が無くなって来ていて、これも無用な長物になりかかっている、思い切ってほとんど捨てた。
ボールペンも100本ほどあったが20本ほど残して棄てた。
万円筆も30本ほどあり、使えるのは数本だが、これは思い入れがあり捨てられなかったな。
昼のラーメンはまともにスープを取ったので美味かった。
プレシネは1989年暮れ公開の第42作の「男はつらいよ ぼくの伯父さん」で、マドンナは檀ふみなんだけど、既にこの頃渥美清の体調が悪く、甥の満男と泉ちゃんの恋物語に主題が移行している。
でも後久美が若さゆえ綺麗だったね。
佐賀の泉ちゃんのところへ満男がバイクで行く途中、ホモのライダー笹野高史にホテルで迫られるシーンがあり、これが嫌で観るの止めようかと思ったが、4年間毎週観ていたものだから、数か月観なかったら禁断症状が出て観てしまった。
一種の中毒だね。若い頃はかっこ悪くて絶対に観なかったのに大きな変化だ。
5時から葛川に桜を観に行った。
桜見物の人は少なかったが、犬の散歩の人が多かったなあ、犬の散歩は必要急なことなんだね。
上の息子が皮膚科に行った帰りに、マサで相模湾のいい魚があるのを見て来たとかで、妻が鮨にするといって二人で買いに出かけた。
夕飯は酢飯が出来ていて、鰤、甲烏賊、メジナがあり、チラシ鮨になった。
甲烏賊とメジナは抜群に美味かった。
このレヴェルの魚は外では中々ありつけない。
食後は札幌の文通相手からの手紙を整理した。
年代順にしたが、いくつかは消印が読めず不明のものがあった。
高1の時に文通を始めた経緯と、大学3年の時の最後の手紙が分かり、忘れていたことを色々と思いだした。
100通あると思っていたが、50通ほどだった。
拓銀に勤めていたお父上が高校時代に亡くなり、大谷高校を卒業してすぐに拓銀に勤めた。
そのことをすっかり忘れていた、大学3年の秋に会って新宿で飲んだ時には、社会人4年目だったんだ。
それ以来42年間遣り取りをしていないが、消息が分かるなら逢ってみたい。
結婚をして子育てが終わって孫の世話でもしているんじゃないのかな。
本の整理、というより身の回りの整理全体が終わったら全部読んでみようと思う。
日記は全部で20冊くらいあり、これも整理されていない、大学時代とその後数年ぐらいの発情期に女性と付き合ってふられたものはざっと読んだが、いい加減な性格故色々なところに書き込んであるので、時代がモザイク状になっている。
じっくりと読んでみると、色々な事が分かってきて、自分の事だから全部分かっているつもりでも、思いもかけないことが書いてあり、独占欲が強く狭量だったから自分勝手で嫌なやつだなあと思わせることがほとんどで、相手の女性は迷惑だったろうなと同情するが、真っすぐにすべてをかけて愛したからふられた時の傷は深く、その後心の底から女性を愛せなくなったんだなあと思う。
所謂、花曇り、花冷えってやつ?あまりいいもんじゃないね。
朝9時から「メジャー」があるので11時前まで観てJA湘南へ行ったが、野菜は全然無かった。
昨日の鳥の丸焼きの骨でスープを取っているので、昼のラーメン用に小松菜を買い、花を買った。
帰りに西友で鳴門巻を買うのに寄ったらすごく混んでいた。
未だ買いだめをしようなんて考えてる人が多いんだなあ。
非常事態宣言が出ても政府が食料供給してくれるわけじゃないから、買いだし禁止になるって事は無いのになあ。
家に帰ってきて机周りを整理したら、オーデコロンとトワレが10本以上出て来た。
好きなので色々違うタイプの香りを集めて、その日の気分で使っていたが、隠居してからは偶に気が向くと使っていただけだ。
いいものはイタリアかフランスの有名ブランドになるから高額なんだけど、よく買ったもんだ。
今後はもう買うことも無いだろうけどね。
一応どんな香りだったかなあと全て嗅いでみたが、匂いの記憶ってのは脳の奥深いところに在るのか忘れていないもんだね。
キーホルダーとソムリエナイフも大量に出て来た。
シャトーライヨールをフランスに行くたびに買っていたし、友人からもプゼントされたから20本以上あった。親しいソムリエにあげたりしたんだけどね。
前にも柄のところが水牛で出来ているものは結構虫に食われて処分したが、また同じように使い物にならなくなっているのがあった。日本の湿潤な気候が良くないんだろうね。
ソムリエナイフはダブルアクションが圧倒的に使いやすく、しかも廉価でれ、昔のタイプはほとんど使わない、味わいがあって高価なものなのに機能が遅れてしまって出番が無いのは残念だね。
キーホルダーも今の世の中鍵の必要が無くなって来ていて、これも無用な長物になりかかっている、思い切ってほとんど捨てた。
ボールペンも100本ほどあったが20本ほど残して棄てた。
万円筆も30本ほどあり、使えるのは数本だが、これは思い入れがあり捨てられなかったな。
昼のラーメンはまともにスープを取ったので美味かった。
プレシネは1989年暮れ公開の第42作の「男はつらいよ ぼくの伯父さん」で、マドンナは檀ふみなんだけど、既にこの頃渥美清の体調が悪く、甥の満男と泉ちゃんの恋物語に主題が移行している。
でも後久美が若さゆえ綺麗だったね。
佐賀の泉ちゃんのところへ満男がバイクで行く途中、ホモのライダー笹野高史にホテルで迫られるシーンがあり、これが嫌で観るの止めようかと思ったが、4年間毎週観ていたものだから、数か月観なかったら禁断症状が出て観てしまった。
一種の中毒だね。若い頃はかっこ悪くて絶対に観なかったのに大きな変化だ。
5時から葛川に桜を観に行った。
桜見物の人は少なかったが、犬の散歩の人が多かったなあ、犬の散歩は必要急なことなんだね。
上の息子が皮膚科に行った帰りに、マサで相模湾のいい魚があるのを見て来たとかで、妻が鮨にするといって二人で買いに出かけた。
夕飯は酢飯が出来ていて、鰤、甲烏賊、メジナがあり、チラシ鮨になった。
甲烏賊とメジナは抜群に美味かった。
このレヴェルの魚は外では中々ありつけない。
食後は札幌の文通相手からの手紙を整理した。
年代順にしたが、いくつかは消印が読めず不明のものがあった。
高1の時に文通を始めた経緯と、大学3年の時の最後の手紙が分かり、忘れていたことを色々と思いだした。
100通あると思っていたが、50通ほどだった。
拓銀に勤めていたお父上が高校時代に亡くなり、大谷高校を卒業してすぐに拓銀に勤めた。
そのことをすっかり忘れていた、大学3年の秋に会って新宿で飲んだ時には、社会人4年目だったんだ。
それ以来42年間遣り取りをしていないが、消息が分かるなら逢ってみたい。
結婚をして子育てが終わって孫の世話でもしているんじゃないのかな。
本の整理、というより身の回りの整理全体が終わったら全部読んでみようと思う。
日記は全部で20冊くらいあり、これも整理されていない、大学時代とその後数年ぐらいの発情期に女性と付き合ってふられたものはざっと読んだが、いい加減な性格故色々なところに書き込んであるので、時代がモザイク状になっている。
じっくりと読んでみると、色々な事が分かってきて、自分の事だから全部分かっているつもりでも、思いもかけないことが書いてあり、独占欲が強く狭量だったから自分勝手で嫌なやつだなあと思わせることがほとんどで、相手の女性は迷惑だったろうなと同情するが、真っすぐにすべてをかけて愛したからふられた時の傷は深く、その後心の底から女性を愛せなくなったんだなあと思う。