キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

買い物三昧

2010年05月31日 | Weblog
昨日は朝、西友の中のクリーニング屋にジャケット三着、コート二着を持ち込みましたが、ジャケット二着がカシミヤ100%のためロイヤルクリーニングになり一着1,200円も払わされ、何時ものように財布が急激に軽くなり、何時ものように次回からはカシミヤ素材の生地は止めようと年に一度必ずする決意をいたしました。まあ、五年も着ているのでいい加減に捨てちゃえばいいのですが、買いに行くのが面倒なのでまたこの冬もへなへなしたジャケットに身を包むことになりそうです。ついでに炭酸水2本とアーモンド、ピーナッツ、クッキーがミックスされたつまみを買いました。

わくわく広場という農家が産物を展示販売するスーパーで、糠漬けようの胡瓜6本、小松菜二把、空豆、蓬餅を買いました。このようなところでも売れ残りの野菜果物があり、鮮度の確認をしてから出ないと買ってはいけません。収穫した日時を明記して欲しいものです。空豆はこの時期近在の露地ものが出ておりますが、まさに今が旬、滋味深く格別の味わいでした。胡瓜は旬の味わいには程遠いものの、朝取りの新鮮さを味わいました。

午後は二宮から平塚まで歩きましたが、途中のスーパーでマンボウ、和牛カルビ、島原そうめん、黒棒を買い、平塚の何時ものパン屋では、あんぱん、メロンパン、白あんぱんを買ったところ、お姐さんが卵パンを一袋おまけしてくれました。さくら書店で「おばあちゃんの台所修業」阿部なをを買い求め東海道線で帰ってまいりました。

夜はウイスキーソーダを飲みながら、野球とサッカーをテレヴィ観戦して、目がやけに疲れました。
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梅雨間近の湘南散策

2010年05月30日 | Weblog
昨日は曇り空にときどき霧雨が落ちる露を前にした典型的な五月末の湘南のお天気でした。この時期、カラッと晴れると日差しが強すぎて暑いので、曇り空嫌いではないですね。

雨具をリュックに詰めて辻堂まで東海道線で行き、増幅なったプラットホームを見て、北側の広大な更地にマンションが出来たら乗降客も凄く増え、今でこそゆったりとしたプラットホームも、近いうちにぎっしりと人が立つことになるんだろうなと思いながら西口を出て、馴染みの古書店に向かいました。買い付けのため本日14:00より開店しますとの張り紙、せっかく来たのに、とがっかりしながらも時計を見れば、既にその時間を過ぎているではないですか、おやじ二人ともいい加減なやつなので待つことをせず直ぐに今来た道を駅に向かい、途中の薬屋で歯磨き粉、歯ブラシ、歯間ブラシ、日焼け止めを買い求めました。

駅の側の和菓子屋では今が本当の旬の柏餅を半ダース買い求め、そのうち一個を歩きながら食しましたが、作り立てで温かく実に美味いものでした。お茶をリックに入れてこなかったのを悔やみました。此処はいなり寿司も美味いです。

辻堂から藤沢まで歩きましたが、緑が濃くなり噎せ返るほどで、生命力が横溢した季節です。やはりこの中を歩いてそのヴィゴアの一部なりとも吸収して明日の力とするのはとても大切なことと思われます。藤沢農協で糠漬けにする胡瓜を買い求めたかったのですが、最近店が開いていることが無く、こんなことなら朝の内に二宮の農協で買い求めておくべきだったと少し後悔いたしました。気温が上がり私の糠床の乳酸菌は活動を再開して今絶好調、早く何か付けてやらなければエネルギーの無駄遣いです。

藤沢さいか屋で魚を見ましたが、江ノ島の朝獲り鯵が僅かしかなくがっかり、鰹は前日いただいたので避け、生鮪のいいのがありましたが小型ゆえ油が乗っておらず止めました。結局何も飼うものが無くがっかりいたしました。

しかし魚を買うこととジュンク堂で植草甚一を買うのが目的でしたから、気を取り直してビックカメラの上に登り書店の中を徘徊いたしましたが、書籍が充実していて実に楽しかったですねえ。気を許していると何万円も書籍を購入することになってしまうので、目的のもの以外は立ち読みだけとし、民俗学の宮本常一さんや落語の諸々を、そのうち手に入れたいなあと思いながらもぐっと堪えて、「JJおじさんの千夜一夜物語」「植草甚一日記」の二冊の購入にとどめました。

本を買ったらまずはざっと目を通すために、腰を下ろすところを物色いたします。何時もの改札脇のバーは盛況で席が無く、やむを得ず駅ビルの二階のイタリアンでキリン生ジョッキ二杯、フレンチフライとクリームコロッケ、揚げ物は体に良くないのは分かっていてもビールに良く合うこと。お隣の席のお嬢さんは、有隣堂で購入した書籍二冊にやはり目を通しながら、紅茶とスイーツを召し上がっていらっしゃいました。同じ趣味を持った人の行動パターンというのは似るものでして、とても好ましく感じ読書の様子を眺めておりました。

帰りに駅側のスーパークイーンズ伊勢丹でマンゴージュースと、そのネーミングに惚れて「憚りながら 絶対美味い ごぼうてん」を買い求め下りの東海道線に飛び乗りました。








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高度成長の陰

2010年05月29日 | Weblog
昨日香港の空港で朝食をとりましたが、これは毎回香港帰りの楽しみとなっておりました。香港の空港にはファーストフードの食堂が幾つかあり、其処でいただくヌードルと粥がいかにも簡便でしかも伝統に基づく確かな味があり、ファーストフードとはいえ食大国中国の実力を示すもので、旅の終わりにいただくのに如何にも相応しいものでした。しかし、思わぬところで高度経済成長のゆがみを見ることになり、物事は一直線で良い方向には向かわないことを改めて認識させれれました。

ヌードルは湯で麺で、さっとお湯をくぐらせ温め、出汁を掛けて、何らかのトッピングをして出てくるのですが、昨日の麺は乾麺を茹でたもので、カップヌードルかインスタントラーメンの麺に近い物でした。まずそれを見てがっかりいたしましたが、トッピングされていた牛肉が缶詰の大和煮のようなもので、実に不味いものでした。もっと驚いたのが、隣のテーブルの若い空港職員がこのヌードルを注文し、美味そうに喰っていた事で、観光客であれば仕方が無いとしても、リピーターであるこの男性がこの味をもってして了としていることでした。生産性の追及によって確かに料理人の仕事は楽になり、給与も上がったのかもしれませんが、失ったものの大きさに気がついてないのかもしれません。

とてもがっかりいたしましたが、この半世紀で日本が失ったものの多くのことを考えると、人様のことを言ってられません。失うのは簡単ですが、取り戻すためには気の遠くなるような時間と努力が必要になります。しかも取り戻せないものが多いことを、此処に銘記しておきたいと思います。
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香港便りⅣ

2010年05月28日 | Weblog
今朝の眼下の海峡も何時ものように明けてきて、庶民の動脈となるフェリーがボツボツ走り始めます。早朝の鏡のようになった海面に朝焼けが映る光景は、一瞬の事ですが心を洗われる瞬間です。昨日夕刻ヴィネスポ香港は閉幕し、既に出展者は夫々の国を目指し帰り始めており、我々もこれから久しぶりの日本へ向かいます。祭りの後は何時も寂しいもので、日常の規則正しい時間がそれを癒してくれるはずですが、先ずは週末に疲れた身体を癒すことにいたしましょう。

昨日は朝一のスイスのワイン業者との商談から一日が始まり、かつてヴァルフォルモサの輸出部長であったラファエルが、奥さんの母国フィリピンでワインバーをせ成功させ、同時に酒類の輸入卸もやっているので、清酒の販売の可能性を当たってくれることになりました。清酒は今回飲むのが仕事としては初めてで、商品の研究をしながら、国内の状況を当たってくれます。古くからの知り合いというのは頼りになります。同時にヴァルファルモサを離れたので、カバのメーカーのことや原価について詳しく知ることが出来ました。

引き続きクラブの同じ商談室でスサーナバルボとの商談を行い、再来週のドミニオ・デル・プラタ・ウイークの打ち合わせを行い、ベンマルコとの離婚のことや、ブドウ栽培、醸造について、随分盛り沢山にお聞きいたしました。久しぶりに会ったので、お互いに懐かしかったですね。

ディナスティア・ヴィバンコ、アライアンス・ロワール等数社のブースで試飲商談を行ないました。中でも山西省のワインメーカーのグレイスワイナリーがかなり高品質のワインを造っているので驚きましたが、若き責任醸造者はオーストラリアでブドウ栽培と醸造を学んだかたで、強い印象を受けました。タリケでアルマニャックを飲んでいたら閉幕となり、最後はオリビエ・トリコンとホテルバーでビールを飲みながら商談を行い、今回の全ての商談が終了いたしました。

良い事と悪いことが相半ばする商談結果でしたが、そんなことよりなりより、既にワインの商談の中心が日本にはなく、香港あるいは中国に移っていることを強く認識いたしました。高度成長期の日本と同じく、中国人の活気と自信は当分続き、内陸部の人達の生活も向上して、素晴らしい国になることを隣人として願いたいですね。
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香港便りⅢ

2010年05月27日 | Weblog
ヴィネスポも二日目を迎えて、昨日は来場者も多く充実した商談があちこちで出来上がったのではないかと思います。我々も10:00からクラブの商談室を借りて、タリケのお馴染みイチエとオーナーのレミーとの商談をいたしました。レミーは先日来日したアーミンの弟で寡黙でハンサムな好青年、この様な青年が今後の酒類業界を引っ張ってゆく一人に成長してゆくのでしょう。見ていて楽しみな一人です。

11:00からはカスターニョのダニエル、ここ数ヶ月売り上げが対前年を切っているのでその対応について話し合いました。私も最近薄くなってきておりますが、彼も家族の伝統を受け継いで益々禿て来ておりますが、全く気にしていないところが日本の禿げと違って実にどうも堂々としていて良いです。私もうろたえずダニエルを見習って見事に禿て行きたいと思います。

会場に戻りモニクのブースで試飲と商談。クラブに戻ってヴァルフォルモサのご存知ジョナサンとオリオールと商談後、チェッヴィコのブースへ一緒に赴き新商品のスプマンテ・ロゼットを試飲、組織小売向け低価格商品でカバとの品質の違いは大いにあるものの、現在日本の消費者が求めているものを素直に実現するとこれになるんだと説明。

会場内をイタリアブースからフランスブースへ移動してセラー・ド・マレノンで試飲商談、4年前から醸造責任者になっているフィリップさんを紹介され、彼の方針でスタイルガ一新された赤を試飲しました。そのスタイルは現在消費者の多くが求めているもので、ここは今後一気に坂を駆け上がるかもしれないなあと予感させられました。



夜は街の「赤いトウガラシ」でアグリ主催のディナーパーティーを行い、サプライヤーの方など総勢26名の騒がしい会となりました。皆さんに夫々ご自慢ののワインを持ってきてもらい、鳥の唐辛子炒め、春巻き、北京ダック、鮑のうま煮、蒸し鯛、豆の炒め物、チャーハン、バナナとリンゴの天麩羅などに合わせていただきましたが、店名からも想像がつく通り四川料理の強烈な辛さで、ワインでは料理に太刀打ちできず、私は初めはにごり酒、後半はタリケのアルマニャックをストレートでいただきました。アルマニャックは四川料理にかなり合う事が了解されました。最後は皆さんに随分練習をさせた甲斐があって、実に見事な三三七拍子の〆となり、香港の夜の街へと綺麗な散会になりました。
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香港便りⅡ

2010年05月26日 | Weblog
昨日初めてヴィネポの会場に行きそのまま一日おりました。受付のコンピュータシステムが壊れていて大混乱の中、クラブカードを持っておりましたので、長い列を尻目に直ぐに会場に入ることが出来ました。お陰で中は空いていて、取引先のブースをざっと20社ばかり位置確認のために廻ることができました。さて何処へ行って誰とあったのか、入ってすぐにマレノンのウストリックに会い、ジャン・フィリップ・マルシャン、オリビエ・トリコン、モニク、イチエ、レミー、ダニエル・カスターニョ、ヴィバンコの二人、ラウルとレアンドロ、ジョナサンとオリオール、フランチェスコ、ヴェルジニエ、モンテスキュー、ミッシェル・レヴォー、モレナ親子、ブリジット等々、これ以外に日本から来た方に数人お会いしましたが、今回は前回に比べて日本人がとても少なく感じました。来場者の主流は中国人で、幕張のモーターショーも日本から中国に完全に移ってしまったことを思いながら、もはや日本はアジアの中心ではなくなっていることを再確認いたしました。フーデックスに昨年辺りから中国人の来場者が少なくなってきていたのは、自国の食品展で間に合うからで、わざわざ日本の展示会にやってくる意味が薄れてきていたわけです。経済状態が悪くなってバイヤーが来日を差し控えていたわけでは無かったのですね。

  

アナケナ、トゥティヤックなどの仕入先との商談をいたしましたが、今回の大きな目的である清酒の売り込みのための商談をインドのインポーター2社、香港のインポーター2社と行い、初めて売りの営業を行い嬉しかったです。物を仕入れるときには仕入先に対して気をつけてはいるのですが、語学力の無さからどうしても高所から物を言うようなところがあります。売りとなると、より丁寧な物言いを心がけるのですが、語学力の無さが決定的になり、どうもいけませんでした。それでも物を売るのは凄く楽しいですね。もう少し英語をブラッシュアップして、世界中に売り込んでみたくなりました。ちなみに濁り酒が結構受けたのには驚きでした。日本でもマッコリが売れているのも何か関係が有るのかもしれませんね。

レックスとロビーがホテルのバーでインド人との商談が終わるのを待っていてくれて、ビールを一杯飲んで、慌てて本島から九龍地区へのフェリーに飛び乗り、ペニンシュラホテルのミーティングに向かいスイス料理の会食をして一日が終わりました。



今朝も日の出から良いお天気で、眼下の海峡をフェリーが走り回っているのを観ながらとてもご機嫌でPCに向かっておりますが、今日は佐和さんに拠れば、清酒の売り込みのアポは無いとのことです。しかし、顔見知りがこれだけ居るのですから、その機会はあるはずで、さてどうやって売り込んでやろうかと今からとてもうきうきしております。ちなみに何時ものように佐和さんは和服姿で会場入りしておりますが、清酒の売り込みほど和服姿が効果的な局面は今までありませんでした。

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香港便り

2010年05月25日 | Weblog
昨夜零時を過ぎて香港本島のルネッサンス・ハーバーヴューホテルにぐったりとして着き素晴らしい朝を迎えました。香港に居ても日本にいるのと同様朝は早く、36階の窓から見える対岸の九竜との間に横たわる海峡を眺めながらの日のでは中々いいものでした。



4時間ほどは眠られたのでしょうか、朝日が差し込んでからは、読みかけの川上善兵衛伝異聞を読了いたしました。大きな物事を成し遂げた方は何処が俗人とは違う崇高なところをお持ちで、現在の葡萄酒造りの礎はこのような方無くしては出来得なかったであろうと思われます。

昨夜香港空港について、この国が大きく変わったことを二つ実感しました。イミグレーションが円滑に進んで荷物の引き取り所に着いたときには、既に私の清酒サンプルが入ったスーツケースがターンテーブルの上で廻っていたこと、成田より素晴らしいオペレーションの迅速さです。これは優れたロジスティックシステムが確立していることを意味します。タクシー乗り場で、整理員が数名居て荷物を持ったお客を夫々の車に誘導しているのですが、お客に使用するタクシーの番号を書いたカードを渡してくれます。それには消費者委員会、警察の電話番号が書かれていて、雲助を抑制する効果があります。海外からのお客様を大切にしようとの心が表れています。ヨーロッパの空港では、なかなか感じられないことです。

実は一寸前まで中国なんて数に物を言わせた経済成長が著しいだけ、と馬鹿にしていたところがあります。しかし今回香港ではありますが、同じ漢民族がここまで相手に気を使ったもてなし振りを示したとなると、これは上海でも北京でも同様な流れとなるはずで、あるいは既に同じ流れで動いているのかも知れず、うかうかしていると日本の将来はかなり危ういところにあるのではないかと気にかかりました。

元来四書五経を持った国柄で、一時その伝統を蔑ろにしたようなところがありましたが、今後この大きな文化遺産を最大に活用しながら最新技術の取り込みに成功したら、向かうところ敵無しの世界NO1国家として栄えることは間違いないでしょう。遅まきながら日本へ帰ったら、多少馴染みのある論語くらいは再読三読をして、頭に叩き込むくらいのことをしなけりゃあいけませんね。
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2010年05月24日 | Weblog
いよいよ夏になり、行きつけの駒でも平目から鰈に白身の種が換わりました。関東では星鰈が刺身や鮨種には一番といわれていたのですが、今では漁獲量が極端に少なくなって高額の魚種になっていて、キロ数万円もいたします。とてもじゃないがそんなタネを扱えないと、駒ではマコガレイを使っているようですが、それでも一匹二万円すると聞きましたから、とても食べる気にはなりません。しかし、財布が急激に軽くなった時だったと思うのですが、何かの拍子にいただき、やはり白身好きにはとても美味しく堪えられませんでした。時々、やってはいけないと思っていることを、吸い込まれるようにやってしまうのですね。

四月に八戸で一軒目の割烹で焼いた花魁鰈を、二軒目の居酒屋で煮たナメタ鰈をいただきましたが、焼きと煮はまさにこの種類の鰈でやるのが正しいと、二軒目の番屋の女将が仰ってました。そのときの焼いた花魁鰈が美味しかったので、横浜で食べてみたのですが、関東に出回っている花魁鰈は、まさに百戦錬磨の風貌通り、その臭いもきつくていけませんでしたね。鮮度が悪いと煮ても焼いて喰えないということになるようです。ちなみに八戸では鰈の刺身といえはマツカワですが、星鰈の近縁種のようです。

25年前、札幌へ始めて出張して、お取引先に連れられていった居酒屋で進められたのが、宗八鰈の干物でした。大分の城下鰈も有名ですね。鰈は日本全国夫々の地域でご自慢の種類がある様で、夫々に一番美味しい食べ方が確立されており、この魚種が皆さんに愛されている事が分かります。まあ、美味いからそういう事になっているのでしょうがね。

今日はこれから香港へ出張ですが、彼の地にも自慢すべき鰈が存在するのでしょうか。日中はメーカーとのミーティングでほとんど会場の外へ出られず、夜は日本酒の商談でホテルのロビーから動けそうにありませんが、鼻を利かせて調べてくることにいたしましょう。

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新聞を読もうと思い立ったが

2010年05月23日 | Weblog
先日、たまにはゆっくりと目を通してみようかと、まだ夜が明ける前に配達員が届けに来るのを待って新聞を取りに行きました。新聞なんて読んでると普通の人になっちゃうからなるべく読まないようにしているのですが、ここのところ新聞が置かれた状況は酷く変わってきて、2008年にアメリカで相次いで新聞社が倒産しており、日本は大体三年後にアメリカで起こった事が再現されるそうですから、2011年辺りに大きな変化があるだろうとの予想がされております。既に、最近では新聞を読む方が急に少なくなっているので、それならちょっと真剣に読んでみようかなとの気を起こしたわけです。

しかしながら、読売新聞一面の竹内正明さんの「編集手帳」に目を通し、最下段の広告欄を観て、二面の最下段の広告欄、三面の最下段の広告欄に移って、そこで終わりでした。これは何時ものパターンで、興味というか習慣というものはそうは急に変わらないことを示しています。3面最下段の小学館の広告に「越後 えびかずら維新」日本ワイン葡萄の父川上善兵衛異聞 小関智弘著が出ていて、これワイン業者として買わなきゃいけないなあと、近頃働きの悪い記憶装置に情報を強く送り込みました。著者の小関智弘さんて何処かで聞いた事あるなあと引っ掛かりながら、隣の書籍広告を観ると、何と今読んでいる「十代目 金原亭馬生 噺と酒と江戸の粋」石井徹也ではありませんか、中々読み応えのあるいい本だったので、買って良かったなあと思いながら新聞の頁を閉じて無意識に折りたたんでいたわけです。

朝飯の後PCの前に陣取って“小関智弘”を調べてみると、1933年生まれ、1951年から2002年までの51年間大田区の鉄工所で旋盤工として働き、手工業や職人についての著書を多く書かれているかただと分かりました。書店で「町工場巡礼の旅」中公文庫、「町工場、スーパーなものづくり」ちくま文庫を手にとって、買おうかどうか迷った事があり覚えていたんですね。今回「越後 えびかずら維新」を購入して読んでみるのが契機となって町工場、職人者に手を出すことになるかも知れません。また積読本の候補が増えるわけですが、植草甚一さんの30,000冊に較べたら気にするほどの事ではありません。

新聞は、竹内さんのコラムと新刊案内の宣伝を見るという二つの事が目的で、その他の情報収集は書籍から得ているというまどろっこしいやり方をしている訳です。時代遅れになりがちなのもうなずけますね。


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晩年にブレイクしたJJ

2010年05月22日 | Weblog
植草甚一さんの昌文社から出ているスクラップブックは、41冊あるいくつかが現在でも書店に並んでいて、時々興味のあるタイトルに出くわすと買い求めています。高校時代にブレイクして、ジャズと映画好きな人を魅了しましたが、私の場合、いい加減に聴くジャズは好きですが、系統立てて聴くとなると色々五月蝿いこというやつが居て、どうも避けていた節があります。映画も学生時代に見たのはもっぱらピンク映画で、大蔵、ミリオンなどの作品でした。せめて日活ロマンポルノでも観ておけば先年ブームがあって、ポルノ女優年鑑だとか各種書籍が出版されて、特に団塊の世代が争って買い求めていたような気配があり、懐かしく顧みることがあったと思うのですが、ピンク映画の方は論じる方もほとんど無く、懐かしさを共有する事ができず詰まりません。ま、そんなわけで映画の方も疎く、41冊あるスクラップブックのほとんどが、ジャズと映画をタイトルにしたものですから、今もこの二つがタイトルとなっているものは避けております。しかしながらそれ以外のタイトルのものも多く、文体の軽妙さは格別で、一度嵌ると時々読まないと強い欲望不満になります。個性は夫々違いますが、私にとっては吉田健一、開高健、色川武大、田中小実昌、種村季弘、川本三郎などと同根です。

今持っているのは、1976年から80年にかけて出版されたスクラップブックの新装版で「JJ氏の男子専科」2004年11月刊「植草甚一自伝」2005年10月刊の二冊ですが、通読する事は無く、開いたところから気の向くままに読んでおります。先日、何時ものようにベッドにひっくり返って小難しい歴史書を読んでいたのですが、当然飽きて、つい自伝のほうに手が伸びて一時間ほど目を通していたら、子供の頃、生家があった小網町で馬が糞をすると、朝顔の肥料にして大輪を咲かせるために拾わされた箇所に出くわしました。1908年生まれの植草さんが子供の頃ですから、大正時代の小網町あたりには馬力が運搬道具として利用されたいたようです。私の場合は、牡丹の花を咲かせるために、家の前の道に落ちた馬糞をシャベルで掬っておりました。湘南の片田舎では昭和40年代まで馬力が残っており、そこに50年近い隔たりがあるものの、同じように馬糞拾いをしたのかと懐かしい気分になりました。馬糞の効果たるや絶大で、いまや数個しか咲かない牡丹が、当時は百数十咲いて、道行く人を立ち止まらせたものです。

そのJJこと植草甚一さんは、1966年ころ平凡パンチで人気の火がくすぶり始め、1971年頃からその火が燃え上がり、本格的なブームとなったのですが、私は16歳で高校一年、JJは何と63歳でした。当時の63歳はかなりの老人で、若者の間でブームになったのか今の感覚では不思議でしょうが、当時は若者が大人を憧れの対象としていたのです。

残念ながら団塊の世代が、新たなる規範をを提示する事無く、無闇に過去の規範を壊してしまい、続く80年代後半からの大量消費社会が女と若物を神様に仕立てたため、このような事は起こりえなくなったのですが、実に詰まらない世の中になったものです。ちなみに大人の男が逃げこむ場所は二箇所、パチンコ屋と居酒屋だと「追悼『広告』の時代」で佐野山寛太さんが仰られてますが、道理で私、居酒屋に入り浸りになっているはずです。こういうことじゃあ文化は衰退して行くばかりですね。






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