電脳筆写『 心超臨界 』

憎しみを鎮めるのは憎しみではない
愛のみによって鎮まるのだ
それが永遠のルールである
( お釈迦さま )

上善は水の如し――老子

2024-05-13 | 07-宇宙・遺伝子・潜在意識
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「上善如水」は白瀧酒造の吟醸酒。夏の酒として売られている。「上善は水の如し」はもともと老子の言葉。神渡良平さんの『マザー・テレサへの旅路』でこの言葉を知った。酒の名前としては、すこし変わった名前なのかもしれない。よく検索のキーワードにのぼる。そこできょうは、谷沢永一さんの『名言の智恵 人生の智恵』から「上善は水の如し」を学んでみることにします。

◆上善は水の如し

『名言の智恵 人生の智恵――古今東西の珠玉のことば』
( 谷沢永一、PHP文庫、P182 )

  上善(じょうぜん)は水の如し、水善(よ)く万物(ばんぶつ)を
  利(り)して争(あら)そわず。衆人の悪(にく)む所に処(お)
  る。故に道に幾(ちか)し。

  居(きょ)には地を善(よ)しとし、心は淵(えん)なるを善しと
  し、与(あた)うるには仁なるを善しとし、言(げん)は信なるを
  善しとし、政(せい)は治まるを善しとし、事には能なるを善(よ)
  しとし、動くには時なるを善(よ)しとす。

  夫(そ)れ唯(ただ)争わず、故に尤(とが)なし。

  【意訳】
  最上の善は、水のようなものである。水は円い器に入れば円くなり、
  四角な器に入れば四角になるといったように、決して万物と争わな
  い。しかも衆人がいやがる低い位置に身を置く。だから、水こそ道
  に近い存在と言える。

  ところで善といえば、住居は大地のごとく安定しているのが善い。
  心は淵のごとく静かでおだやかなのが善い。与えるには報いを求め
  ることなく仁愛をもってするのが善い。言葉は必ず実行して信義が
  あるのが善い。政治は平安無事に治まるのが善い。事をなすには能
  力のあるのが善い。動くにあたっては時にかなうのが善い。

  そもそも水は決して争わないからこそ、他からもうらまれず、最上
  の善と言えるのだ。


一般に善とか正義といった言葉を口に出す人には我の強い人が多い。しかも、支配慾が強い。つまり、これが正しいのだから、これが善なのだから、それに従えと言っているのである。しかし、よくよく聞いてみると、その主張の多くは、善という表現法を用いているが、実の所その人の好みであることが大半である。

そもそも人間は支配慾と嫉妬心の産物だと言われる。常に自分が相手より上位に達したいと願っている。親友同士の間でも瞬間瞬間の心理を分析すれば、この支配慾とその逆の心理である嫉妬心が往来していると言われる。それほど強い慾望なのである。だから、自分の支配慾を善という言葉や倫理に置き換えていないかどうか自分を冷静に見つめるとともに、蕎麦(そば)にするかうどんにするかといった単純なレベルの問題まで、善とか正義といった論理を使わないように注意したい。
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