邦楽科存廃の危機 その3
この頃の東京音楽学校長唄科の主任教授は、
稀音家浄観(2世。3世六四郎の隠居名)の弟子、六治(後、本名の山田抄太郎に)。
唄は杵屋六左衛門(14代目)。助教授は吉住小十郎後任の小三八。
今のように、1・2年生は誰々、3・4年生は誰々という教え方ではなく、
六左衛門に習いたい者は六左衛門クラスに、
小三八に習いたい者は小三八クラスに入るというシステムだったらしい。
そのため、生徒も同門の人間が集まるという具合で、
外からみれば、家元の東京音楽学校出張稽古場という印象が強い。
それが邦楽科廃止を推す大きな理由の一つで、
邦楽は、所詮家元組織の中でしか成り立たない世界なのだから、
何も大学に邦楽科を設置する必然性はない、という考えだ。
〓 〓 〓
tea break
photo by 和尚
この頃の東京音楽学校長唄科の主任教授は、
稀音家浄観(2世。3世六四郎の隠居名)の弟子、六治(後、本名の山田抄太郎に)。
唄は杵屋六左衛門(14代目)。助教授は吉住小十郎後任の小三八。
今のように、1・2年生は誰々、3・4年生は誰々という教え方ではなく、
六左衛門に習いたい者は六左衛門クラスに、
小三八に習いたい者は小三八クラスに入るというシステムだったらしい。
そのため、生徒も同門の人間が集まるという具合で、
外からみれば、家元の東京音楽学校出張稽古場という印象が強い。
それが邦楽科廃止を推す大きな理由の一つで、
邦楽は、所詮家元組織の中でしか成り立たない世界なのだから、
何も大学に邦楽科を設置する必然性はない、という考えだ。
〓 〓 〓
tea break
photo by 和尚