とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

宣伝はチート、そして金が集まる。

2017-11-23 09:41:14 | 哲学・社会
街に税務コンサルが3つあったとする。
かつての税務コンサルは地域密着型だった。

一番目に腕のいいコンサルが最大手クライアントを抱え、次に腕のいい二番目のコンサルがその次のクライアントを抱え・・・

さて、料金を支払うクライアントが3社だけで、それぞれ1:1の割合でコンサル:クライアントと言う図式になっているのであれば話は簡単だ。

だが、これがコンサルが数万社、相手はクライアント(顧客としての企業)ではなく、カスタマー(顧客としての個人)の数万人だった場合、どうなるだろうか? 

上から順に割り振られていくと言うのは簡単な図式なのだが、数万人のカスタマーはそれらの腕の良さのランキングや、あるいはアフターサービスやサポートなどの充実度合いをどうやって知ればいいのだろうか? 

本来であれば、公的に算出されたその値を用いて人が判断するのが公正だが、しかしそのような公的ランキングというものは存在しないし(ウェブサービスで比較サイトがあればそれに当たるが)、多くの人はそれで判断しない。

それでは何によって判断しているのかというと、それは「単純に自分が知っているか否か」(社会的側面から見た場合の知名度)、倫理的忌避感の有無(汚職や悪いイメージがないか)、使用前の周囲の口コミ、使用後での周囲に対する自分の扱いを気にする、あるいは(ここでやっと商品価値の実態が出て来るが)使用感が良かったので二度目もリピートするか、と言った要素が、購入やサービス享受の対価としての支払いを判断する。

これらが相まって、実態ランキングとは全く別の、「結果としてのランキング」ができあがる。この「結果としてのランキング」はどうやってできあがるのかというと、上記に上げた個人の印象要素、つまりは使用感や便利感はほんのわずかに、その前の認識有無、倫理的イメージ、口コミ、周囲承認などであり、これらが多大な結果を占めて、「結果としてのランキング」を形成する。

そんな中、この虚空とも言えるランキングを操作する方法がある。
宣伝である。

実態とはかけ離れた企業イメージを作り出し、そして、消費者に購買させ、短期的経済を生み出す、と言うのが、この現代社会におけるルールであり、正義であるのである。
ただ、それと同時に長期的信用もある程度は評価される。日本製品の安全性がそれだ。


本来は実力で評価されなければならない。ただ、口先の表現だけで、人間の事前認識が動き、社会のありようが決定される、と言うのもまた、人間社会のルールであるのだ。

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