とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

社会業績で注目すべきは、個であるか集団であるか

2017-12-10 10:56:51 | 哲学・社会
1.
昔話から入りたい。

上長Oさんと私 - とめどもないことをつらつらと
http://blog.goo.ne.jp/booter/e/e4f230a534ec6196fbf9c70d5c13f300


上記記事には過去の経緯を書いたのだが、当時の上長であるOさんが言いたかったことと、その場での概況を要約すると下記のようになる。

・私は当時潰れており、仕事らしい仕事ができなかった。
・のを、Oさんは何か別の方向から自主的に動けるように発破をかけたかったようだ。
・Oさんは「マズローの5段階欲求説」に従い、○○(私)自身の自己実現をせよ、と言う説教をしたかった。
・けれどもそれは基本的な解釈からは間違った解釈で説法していた。
 (マズローの5段階欲求説では、周囲承認がなければ自己実現ができない、と言う仮説であるが、Oさんは周囲承認がなくても自己実現はできると言う見方であった)


と言うことで、人の15倍仕事をするなど、私は私なりの努力を持って承認されるように頑張っていたのだったが、しかし努力はそれでは足りなかったようで、私はそのまま倒れて潰れてしまった。

私なりにまとめるとするならば、どうもその当時の職場では、他者から見れば私は努力が足りない人間であったのだが、私から見れば、評価制度が全く機能しておらず、私はそれなりのことをしていたのだからそれなりに評価はしてほしかったのに、その辺りが怠惰怠慢で何にもしないという無為無策無能であったとしか言いようのない扱いを受けた(そして潰れて倒れた先に承認が待っているならば、あそこの職場は全員何らかの理由で半死半生になっていたり、障害を負っていなければおかしいのだが、そういう風になっていない)。
尚、当時の私が担当していた仕事の数字は他者の15倍仕事をしていたのだが、それが報告した以上に上に上がっておらず、横にも連携されていないと言う状況だった。

無論私にもそれなりの非があって、単に仕事を回して差配するだけではだめで、印象づけや適切なアピールなどが不足していた、と言う出世の作法を全く知らないという問題もあったのだが、それにしても数字も出して、実際の仕事をあれだけ回していたのだから評価もそれなりにして欲しいというのが私としての人情であり、あるいは実際の企業の人事評価はそうあるべきであるし、そして個人と組織の間柄と言うのはそういうものでできていはしないのか。

ともあれ、このOさんと、それを取り巻くこの職場企業と言うのは、当時の言動から察するに、集団をどうこうするよりも、個の発芽を優先していたように思われる。
つまりは、その環境がお前をどれだけぶったたいていても、お前自身が強く伸びなければいけないんだよ、と言うことである。


2.
POWER OF TWO ジョシュア・ウルフ・シェンク P15

 孤高の天才という神話は、どこから生まれたのだろうか。ごく簡単に説明すると、17世紀後半から18世紀後半にかけての啓蒙時代に生まれ、ロマン主義の時代に広まり、近代のアメリカで完成した。そもそもの始まりから、人間はほかの人間や社会から切り離された存在だという原子論的個人主義と絡み合っている。自分はどのように成長し、どのように生きていくのか、自分は何者なのかということについて、私たちが信じていることの大半は、人間は自己完結している孤独な存在だという間違った概念の影響を受けている。
 現代の心理学には、精神分析学や生物学的精神医学、バラス・フレデリック・スキナーの行動主義心理学、ジャン・ピアジェの発達理論など、さまざまな分野がある。しかし、対象となるのは個人の経験が圧倒的に多い。アブラハム・マズローの「欲求5段階」は、このような心理学の前提をわかりやすく形式化している。マズローは人間の欲求を5段階のピラミッドに見立てた。最下層は生理的欲求(食事、排せつなど)で、その上が安全欲求(見の危険を回避するなど安全で安定した暮らし)。上から二段目は尊厳欲求(自尊心、自信)で、最上層が自己実現欲求。その中間に挟まれているのが、帰属や愛情などの社会的欲求だ。マズローは他人とのつながりを、トイレに行くことや住まいを構えることより進化した欲求だが、人間としての成長や自己実現よりも下位と見なした。
 こんにちでは社会科学が発達して創造性の研究も盛んになり、新しい理解が進んでいる。17世紀と18世紀に孤高の天才の神話が生まれた大きなきっかけは、国家の出現や市場経済の誕生、日常生活における宗教の役割の変容など、政治と経済、文化で大規模な変化が次々に起きたことだ。そして、今この時代も、似たような大規模な変化を経験している--インターネットが誕生し、グローバル経済が広がって、科学の進歩は子供の成長や複雑系など、あらゆることに新たな洞察をもたらしている。そのなかで、創造性に関する根本的な概念も、ついに崩れ始めた。近年は社会心理学や人間関係論、集団創造性など、人のつながりについて新しい系統の学問が台頭している。スティーブン・ジョンソンは著書『イノベーションのアイデアを生み出す七つの法則』(日経BP社)で、人間の業績に関するネットワーク理論を生態学的に捉えている。すなわち、『最も価値のある資源--情報--を衝動的に結びつけて編纂する』目に見えない多くの力が、つねに関連し合い、化学反応を起こして、イノベーションを生むのだ。


Oさんの主張と比較してみよう。

Oさんはマズローの5段階欲求説での「承認欲求が満たされた上で自己実現ができる」と言う法則を無視した上で、「集団が認めなくても、ひたすらお前自身で頑張れ」と言うことを主張した。

しかし、実際のマズローの説では「承認欲求が満たされた上で自己実現ができる」と言うのが舷側なのであり、集団での個の立脚とその承認ありきで、個の自己実現ができることになる。

そして上記の引用からすれば、「社会制度の有機的ネットワークを整備し、有効技術の革新を起こしやすい環境を用意する」と言うことになる。
集団こそが社会胴体の基軸であり、本質なのであって、個と言うのは、象徴的に見えているただ一つのアイコンに過ぎない、と言うことなのである。



3.
この時、下記のどちらの施策が社会にとって有効であるか。

「集団が認めなくても、ひたすらお前自身で頑張れ」

「社会制度の有機的ネットワークを整備し、有効技術の革新を起こしやすい環境を用意する」


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