とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

風邪と虫歯と肥満とADHD --DNAは設計不備か

2017-01-23 02:00:13 | 哲学・社会
風邪と虫歯と肥満とADHDを考えてみよう。

人がウィルス感染によって風邪の症状が出る。
これはウィルスに生体が侵食されたままになると、ウィルスがヒトのタンパク質を無尽蔵に使い、死に至らしめるので、熱を出してウィルスを殺し、咳・鼻水で除外しようとするからだ。

これはその機能を持っていた脊椎動物、更にその子孫である人間が生き残った結果である。
人間は、繁殖ごとにその固体差としてDNAのブレが生じるように出来ており、そのブレが生き残りの淘汰圧による生存選択を得られた時に、生き残る。今の我々の持っているDNAは、生き残りの為に何重万回も試行錯誤した最適解なのである。

そうした”生存に邪魔である要素”については、そのような試行錯誤の最適解が得られた結果、今の我々は、さほどウィルスに苦労しなくて済むようになっている。

それではその他の要因はどうだろうか? 風邪はいいにしても、その他の要因である、虫歯はなぜDNAの働きによって何とかならないのか。
それは、単純にDNAのブレと、自然選択による淘汰圧を経験していないからである。
もっと言い換えれば、「DNAのブレと、自然選択による淘汰圧を経験」する前に、農業革命の進行速度と、それに伴う人口増加による社会発展、人類繁栄の速度が速かった為、DNAの修正が間に合わなかったから、ともいえる。

肥満も同様で、飢餓を克服する為に、「食物を摂れる時期に、より多く摂っておこう」という人間の習性が、収穫逓増によって一方向の形へと進化させたからである。あるいは、肥満による人類全体の淘汰が起こっていないからである。

ADHDはどうか。これも人類社会に常に起こっている現象で、アメリカでは人口の9%がこの状態になっているということである。あるいは多動はどうであろうか。学習障害(LD)、識字障害、ゲルストマン症候群の失認はどうか。共感覚はどうか。これが現代で疾患と見なされるのはなぜか。DNAに不備があったのだろうか。答えはノー。
これはもはや、疾患というよりも、人間が生き残る為に、DNAに継承してきた能力の一つとして見ることもできる習性だろう。
何か我々が疾患と見なす時、それは社会の中央値集団や平均値から見た欠損を指しているだけなのであって、それは足が速い遅い、頭がいい悪いの範疇であるのではないのだろうか。

それを現代社会の都合に併せ、能力値に満たないからそれは疾患である、と我々が勝手に、自分の思い込みの尺度を利用して、疾患と決め付けているのではないのだろうか。

もしそれが通るのであれば、三色色覚である多くの人類である我々は、ごく稀にいる四色色覚の人間と比較して疾患があるということになる。
北欧や中央アジアにいる、AIDS体制のある人達と比較して、我々はそれに耐性の無い、疾患のある人間であるということになる。

しかし我々はいつ疾患になったのだろうか? そう、勝手に疾患であるかどうかを、中央値集団である他者から勝手に線を引かれて障害を認定されているだけなのである。

共感覚とは、数字と色の認識が同一の認識範囲として主体者から観測される現象で、ごく稀に発生する。
共感覚を持つ人が「1は白い感じで、2は黄色、3は緑かな」と言っても、共感覚でない人からは理解が得られない。
共感覚では、数字や音や文字に色を感ずる。
もし仮に、この共感覚者と非共感覚者の人口比が逆転した場合を考えてみよう。
中央値集団の殆どが共感覚であり、それに漏れる人がいたならば、今度はそちらが疾患であるということになる。しかしそれは、本当に疾患の定義として妥当なのであろうか。

そこにはDNAの不備はない。ただただ人間の判断があり、時代ごとにぐにゃりと曲がる判断の物差しがあるだけなのである。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 内部から外部は規定できない... | トップ | (学会発表の質問で)「素人... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

哲学・社会」カテゴリの最新記事