とめどもないことをつらつらと

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草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

統計と情報の本懐--変化にこそ真実が内在する

2017-10-14 18:12:45 | 哲学・社会
これは大阪大学の社会学統計の考えで使用されていると思うが、記載してみよう。

現行政治体制における支持率調査の結果を見ると、本来であれば報道各社の調査は同じ母集団をサンプルにしているのだから、似たり寄ったりの結果になり、各社が競争するとするならば、その精度や正確性ということになるのだが、実際問題、「そうはならない」。

人間は、その狭い頭脳から広い世界を完全に認識することはできない。
アリが象の巨体を登る時、象の巨体の全容を一瞬で捉えられないのと同じだ。
もしそのアリが、鼻の先に行ったり、目のそばを通ったり、足に行ったり尻尾に行ったり、あるいは他の象に行ってみたりした時に、初めてぼんやりと「象はこういうものかな」という程度のことが分かる。
その世界の限界を知ったり、あるいは外と比較したり、あるいは同種のものと比較しない限りは認識ができないのだ。

この意味で、人間は世の中のことを完全に認識することはできない。
資本主義の黎明当初、資本主義が資本主義と名乗らず、社会主義から見て初めてその呼称が与えられたのと同様、人間は人類が一体なんであるのか、と言うのを本質的に説明できない。
よって内部から内部を観測して内部に賛同したり、あるいは批判したりしなければならないハメに陥るのだが、それがなぜ、どこか心もとないなと言うような心情を抱くに至るかというと、「外部の足場」がないからである。あるいは外部での同種との比較ができないからである。

人間が社会を論ずる時、それは外部を足場にした「普遍的解」が存在しないので、尻尾の先からああだこうだと行ったり、鼻の先からああだこうだと言わざるを得なくなる。

その意味で、報道社とは、普遍的な人類解を持たないイデオロギー集団になる性質を本質的に備えている。
このため、政党支持率などが各社で異なる結果を要することになる。

それではそんなバラバラの統計情報の中で、真実をどう見定めればいいのか? 
不安定で、脆弱な足場から何を判定すればいいのだろうか? 

答えは「変化」である。

もし政党支持率が下落や上昇をした場合は、各社が違う初期値を出していたとしても、その変化は同じタイミングで同じくらいに下落・上昇する。この変化を見れば良い。


同様に、ネットでの情報も、その変化をたどればいい。
ネットの情報とは流動的で軽薄だ。
その変化をたどることで、「あっ、ここで変化させたんだな」と言う真実が分かる。

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