とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

WW2米戦略、対日「オレンジ・プラン」 、国家の政策個性と予測

2017-04-23 17:36:31 | 海外・国内政治情報等
WW2当時より、アメリカが対日本用の戦争戦略である「オレンジ・プラン」はその存在が知られつつも、今の日本の体制強化、正当性の強化を良しとしない歴史観点を持つ人からは、ある種、陰謀論・謀略論として揶揄されたり、あるいはそういう鋳型に整理されてしまっていたような気がする。

ここで改めて、オレンジプランの紹介をすると共に、それが今となってどのように国際戦略が決定されているかの文章が出てきているのでメモ。対日戦略として、ルースベネディクトの「菊と刀」の孫引きも含めて書き出して行きたい。

世界観 佐藤優 P27

 さて、米国は、日露戦争で日本が勝利した直後から、来るべき対日戦争を想定し、「オレンジ・プラン」という秘密計画を立てていた。
 <太平洋戦争の四年間、米国は「オレンジ・プラン」と呼ばれる船りゃkうにおおむね沿った形で戦争を遂行した。二十世紀初頭、米国は仮想敵国を色で著すいくつかの戦争計画を作成、なかでもオレンジ・プランは最も卓越したものっだった。各国に色別のコード・ネームを割り当てたのは大統領の諮問機関である陸海軍統合会議で、日本はオレンジ、米国はブルーで表された。色名は名詞・形容詞のいずれでも用いられ、オレンジは「日本」あるいは「日本の」、ブルーは「米国」あるいは「米国の」を意味していた。>(エドワード・ミラー著、沢田博訳『オレンジ計画 アメリカの対日侵攻50年戦略』 新潮社、1994年、5頁)
 もっとも「オレンジ・プラン」という名称は1940年末に消えて、「レインボー・プラン」に変わった。来るべき世界戦争では、見方と敵が入り乱れ、図上演習では二次のようにさまざまな色が現れることが想定されたので、このような名称変更がなされたのである。
 米国が「オレンジ・プラン」を立てた時、日米関係は友好的だった。両国間の懸案は外交交渉で平和的に解決することが可能だった。それにもかかわらず、米国はなぜ日本との戦争を想定した国家戦略を策定したのであろうか。その理由は簡単だ。1950年、日露戦争に勝利した日本が、強くなり、帝国主義競争の入場券を得たからだ。将来的に日本が国力をつけアジア太平洋地域における米国の支配的地位に影響を及ぼすようになると、日本との戦争が不可避になると米国は考えていた。
 <米国と日本は歴史的に友好関係を保っているが、いつの日か他国の支援なしの二国間戦争が勃発する、というのがオレンジ・プランの地政学的前提条件である。開戦の根本理由は、極東の土地、人、資源の支配を目論む日本の領土拡大政策であろう。米国は自ら極東での西欧勢力の守護者をもって任じ、民族の自決と貿易の自由を何よりも大切にしているからである。日本は極東支配の野望を達成するため、フィリピンとグァムの米基地を攻略し、米国の軍事力を日本の海上輸送から一掃することが必要と考えるようになるだろう。>(前掲書7頁)
 米国は太平洋地域を根拠地とする帝国主義国家である。それだから、太平洋地域における米国の覇権に挑むようになった国家を叩き潰すというのが基本戦略だ。裏返して言うと、日本が太平洋地域における米国の覇権を脅かすことができない状態が出現すれば、米国の目的は達成されることになる。「オレンジ・プラン」にもこの考えが如実に反映している。
<三十五年間にわたり、オレンジ・プランの根底を成す観念は、海からの上陸攻撃で島々を無力化し、同時に経済を壊滅することによって得られる勝利であった。包囲攻撃の哲学は一九〇六年の計画の最初の草稿に書かれ、何度となく繰り返されてきた。その帰結するところは、日本への侵略は避けるべきだということであった。侵攻の必要性もなく、補給上不可能で、それによって引き起こされる流血と世論の反感を考えると自滅的な作戦になるというのである。計画官たちは、米国は数年んお期間を与えられれば、日本を侵略するための十分な兵と軍事分子を送り込むことが可能であると考えていた。しかし第二次世界大戦以前には、その全保有商船をもってしても、極東にわずか百万人しか維持することができず、密集した敵軍を相手に占領を勝ち取ろうにも、一回の移動で十分な兵を運ぶことも、補給を続けることもできない。米軍の重い自動車化装備は、日本の水田や山岳地でぬかるみにはまりこむのがせいぜいだろう。彼らは、侵略は「物理的に不可能であり、成功は全くない」という結論に至った>(前掲書369~370頁)
 細かい点では、異なる出来事もあったが、「オレンジ・プラン」の線に沿って日本は追い詰められていったのである。


日露戦争後に日本が歩んだ道を「百年遅れ」で歩む

 現在、世界的規模で、国際秩序の帝国主義的再編が展開されている。主要国が核兵器を保有している状況で、国際紛争を戦争によって解決することに対するハードルが大東亜戦争時と比較すると格段に高くなっている。戦争がdけいない帝国主義という状況で、TPPが21世紀の「オレンジ・プラン」としての機能を果たすであろうと筆者は見ている。
 ただし、この場合、「オレンジ」のコード・ネームで現されるのは駐呉kうだ。11月17日、キャンベラのオーストラリア議会で米国のオバマ大統領が、「(米国は)太平洋国家であり、ここにとどまる」と宣言した。オバマ大統領は、アジア太平洋地域を基盤に広域帝国主義政策を展開するという米国の国家意思を明確に表明したのである。東西冷戦終結後、唯一の超大国となった米国は、世界各地の紛争に首をつっこみ、手を広げすぎてしまった。
 特にイラク、アフガニスタンは米国にとって泥沼になってしまった。そこで伸びすぎた戦線を縮小してアジア太平洋地域に回帰し、帝国主義国としての基礎体力を強化するというのが米国の基本戦略だ。


ここに米国の国家としての個人的性格がある。
世界はアメリカに支配されるべきという傲慢な思想が、アメリカにはある。
「極東の土地、人、資源の支配を目論む日本の領土拡大政策」は許せなくても、本質的には同じことであるが、「その悪事を征伐して解放し、自由にする」というアメリカ自身の態度は許容できるものらしい。
太平洋はいつからアメリカのものになったのだ? ん? 

と言っても始まらない。要は倫理性はともかくとして、強者であり、勝者であるから、倫理性すらをも従えた強弁を行えるのである。

別角度から見れば、もし稼動するのであれば、米国は日本に戦車投入するのも厭わない。
農家が手入れをして長年使っている田んぼを、必要と有れば、目的地まで一直線、田んぼを斜めに突っ切って、車輪の轍で稲をダメにすることもやぶさかではない、ということになる。

牙を研げ 佐藤優 P22

 捕虜になった日本人はなぜしゃべるのか

 ちなみに日本軍が降伏しないというのは、じつはうそだということに、アメリカは戦争の途中で気づいた。アメリカ軍は、戦争の途中までは日本兵をほとんど殺していた。だからアメリカ軍は決して人道的でも何でもなかった。ところが、ある状況から、日本兵、特に将校は捕まえたらよくしゃべるということに気づいた。日本兵は死に物狂いで戦うけれども、一旦捕まってしまうと、なぜ、ぺらぺらしゃべるのだろうと。要するに、捕虜になることがないという前提なので、捕虜になったときのマニュアルがないわけです。
 国際法では、捕虜になった場合は、捕虜は自分の氏名と階級、生年月日と所属部隊の認識番号と個人番号のみ言えばよくて、それ以外のことを言わないでいい。部隊の配置については言わないでいいし、拷問で聞き出したりすれば戦時国際法違反だった。ところが、日本人は全体か無かという発想で仕事をしているから、捕虜になってしまったら、ぺらぺらしゃべる。宣伝新聞などに自分の顔出さないでくれ、日本側に自分が捕虜になったことを通報しないでくれという願いが受け入れられれば、いくらでもしゃべる。このことに米軍の情報部は関心を持った。
 そこでつくられたのが、アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトを中心とするチームです。ルース・ベネディクトは社会学者だけれども、日本の専門家ではありません。日本人がなぜこういうふうにして投降するのか、日本人をどんどん投降させてしゃべらせるにはどうすればいいかということで調査させた。その結果生まれたのがいまや日本人観の古典ともいえる『菊と刀』です。
 彼女は、日本の軍紀物、戦記物など、戦国時代の研究を中心に行います。その結果、日本人はよく寝返るし、降伏するということがわかる。殿様は自分が切腹すれば家臣が出す駆るという場合には城を明け渡すといった事例を研究して、日本人に埋め込まれた文化というのはそう簡単には変わらないという結論に至ります。 
 アメリカは、日本研究とは別に沖縄研究もおこなっています。ルース・ベネディクトたちとは別の社会学者のチームをつくって、沖縄の占領に向けて、特別の人類学調査をおこない、「民事ハンドブック(CIVIL AFFAIRS HANDBOOK)」という報告をまとめている。これは沖縄県が翻訳して、沖縄県史の資料編として入っています。
 長年の差別政策に対して沖縄人は不満に思っているけれども、劣等感は持っていない。このところに、日本は気づいていない。したがって、日本との分断はそれほど難しくない。そういう観点あkら沖縄統治をおこなうべきというのが、「民事ハンドブック」の基本的な内容です。
 だから、戦後政策のなかで、アメリカはある時期まで、対日離反政策を取り、いわば沖縄のアイデンティティーを強化する政策を取っています。このときに刷り込まれた遺産が、じつは二一世紀になって芽を吹いてきているという面もあります。


さり気に二項対立の文章を書いているね。日本と沖縄、という独立した地域の二項対立ではなくて、包含する関係が今の状況であるが、そこからどうも、二項対立論への認識を加速させたいようである。

同前 P4

 世の中には、法則化できない事柄がたくさんある。その一つが歴史だ。歴史について、まったく同じ出来事がくりかえされることはない。しかし、それぞれの民族や国家の歴史には個性がある。くりかえし実験ができる法則定立的な科学(体系知)とは別に、歴史、民族、文化、文学など、それぞれの個性を記述する形態での体系知があることを本書では強調した。


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