と言うことで、無駄な時間は無駄なのか? タイパについて考えたい。
タイパとはタイムパフォーマンスの略で、同じアイスを買おうとして1時間並ぶのと、1分で買えるのでは、後者がタイパが良いと言える。
こうして、娯楽やエンターテイメントに困らない世界になって、タイパを重視する若者が増えたのだという。
「無駄な時間は無駄なのか? 」と言う問いにはあまり意味がない。
と言うのも人間は死ねば誰しもが白い骨になって意味がないものになるのだ。
そしてそれが今80億人分もの白い骨が120年後に出るもんだから、その一つ一つには意味がないとも言える。
ただ、その白い骨となる予定の1つである自分にとっては、それが全てであるので、白い骨になるまでの、そこで得られた経験や残したものというものが、本当に意味のあるものであると言えよう。
それではタイパの良いものをとことん選択すれば自分がより良い人間になるだろうか?
より良い人生を送れるだろうか?
他人よりより効率的な人生を送れるようになれるか?
答えはイエスでノーだ。それぞれのシチュエーションで自分が判断をくだせれば良い。
今の若い人は何でもかんでもオンラインで済ませようとする。
住宅の内覧、面接、面談、会議、映画試写会・・・
いやこれは想像を言っているのではなく、実際にもうあるサービスであり、社会動態だ。
ただ、私は「両方使う」と言うのをお勧めしたい。
実際にそこへ行ってみる、実際に会ってみると言うのは全然違う。
実態はどういうところなのか、実際の人間はどういう人なのかは会ってみないと分からないのである。
それで、「パッと見るだけでいいや」だとか「情報を得るだけでいいや」と言う場合にはネットを使えば良い。
逆に実態として内蔵をすり合わせるくらいに深い関係としてやっていきたいと思うのであれば絶対に直接会っておいた方がいい。
あるいはそこの会社でずっと働いていたいだとか、引越し先はここで骨を埋めるとかの場合もそうである。
基本的に社会はコストが低減する方向で動いてきた。
音楽のムーブメントで考えれば分かりやすい。
大昔は、音楽とは、演奏会で聞くものであり、自宅などでは聞けなかった。
特定の場所のワンタイミングで、ちょっとしたお金を払って一度きりに聴くものであった。
ラジオが発明され、自宅で媒体を持たなくてもいいようになった(ただ曲は選べない)。
レコードが発明され、自宅で何回でも聞けるようになった。
テープが発明され、録音できるようになった(ただ頭出しはできない)。
CDが発明され、自分が聞きたい曲の頭出しが一瞬でできるようになった。
MDが発明され、自分が聞きたい曲の録音が出来、頭出しが一瞬でできるようになった。
MP3が登場し、媒体の場所をとらなくなった。
配信サービスが登場し、購入のために店へ移動しなくてよくなった(時間と体力の節減)。
これらは一体何が変化したのかというと、社会が持っていた潜在的コストの削減である。
アニメで言えば、映画館でしか見られなかったものを、村の金持ちの家で見るものになり、それが自宅でワンチャンスで見られるものになり(録画ができない)、ビデオの登場で録画ができるようになり(それでもテレビ放送がなければダメ)、DVDの登場で高画質・頭出しができるようになり、配信で自由に自分の見たいものが見られ、定額サービスかつ購入のための移動がなくて済むようになり、かつ2倍速で見られるようになった。
今後は10倍速+字幕+横に字幕タイプのスクロール(どういう字幕が出るか)のサービスがあればありがたいがどうだろうかとは思う(文字を読むのはまあ大丈夫なので)。
実験してみたが、2倍速は聞き取れても4倍速はもう聞き取れなかった。
だが字幕があれば問題ない。
あと10倍速であれば、アニメが1シーズン50話構成の場合、1話が22分だとすると、全体を2時間弱で見られる計算になる。これはいい。
ラスカルとハイジと若草物語と赤毛のアンとトムソーヤを見るにはこれしかないんだよおおお! あとあれだ、名探偵ホームズか。
あれか? 宮崎駿担当回だけ見ればいいのか? それがタイパいいのか?
タイパとはタイムパフォーマンスの略で、同じアイスを買おうとして1時間並ぶのと、1分で買えるのでは、後者がタイパが良いと言える。
こうして、娯楽やエンターテイメントに困らない世界になって、タイパを重視する若者が増えたのだという。
「無駄な時間は無駄なのか? 」と言う問いにはあまり意味がない。
と言うのも人間は死ねば誰しもが白い骨になって意味がないものになるのだ。
そしてそれが今80億人分もの白い骨が120年後に出るもんだから、その一つ一つには意味がないとも言える。
ただ、その白い骨となる予定の1つである自分にとっては、それが全てであるので、白い骨になるまでの、そこで得られた経験や残したものというものが、本当に意味のあるものであると言えよう。
それではタイパの良いものをとことん選択すれば自分がより良い人間になるだろうか?
より良い人生を送れるだろうか?
他人よりより効率的な人生を送れるようになれるか?
答えはイエスでノーだ。それぞれのシチュエーションで自分が判断をくだせれば良い。
今の若い人は何でもかんでもオンラインで済ませようとする。
住宅の内覧、面接、面談、会議、映画試写会・・・
いやこれは想像を言っているのではなく、実際にもうあるサービスであり、社会動態だ。
ただ、私は「両方使う」と言うのをお勧めしたい。
実際にそこへ行ってみる、実際に会ってみると言うのは全然違う。
実態はどういうところなのか、実際の人間はどういう人なのかは会ってみないと分からないのである。
それで、「パッと見るだけでいいや」だとか「情報を得るだけでいいや」と言う場合にはネットを使えば良い。
逆に実態として内蔵をすり合わせるくらいに深い関係としてやっていきたいと思うのであれば絶対に直接会っておいた方がいい。
あるいはそこの会社でずっと働いていたいだとか、引越し先はここで骨を埋めるとかの場合もそうである。
基本的に社会はコストが低減する方向で動いてきた。
音楽のムーブメントで考えれば分かりやすい。
大昔は、音楽とは、演奏会で聞くものであり、自宅などでは聞けなかった。
特定の場所のワンタイミングで、ちょっとしたお金を払って一度きりに聴くものであった。
ラジオが発明され、自宅で媒体を持たなくてもいいようになった(ただ曲は選べない)。
レコードが発明され、自宅で何回でも聞けるようになった。
テープが発明され、録音できるようになった(ただ頭出しはできない)。
CDが発明され、自分が聞きたい曲の頭出しが一瞬でできるようになった。
MDが発明され、自分が聞きたい曲の録音が出来、頭出しが一瞬でできるようになった。
MP3が登場し、媒体の場所をとらなくなった。
配信サービスが登場し、購入のために店へ移動しなくてよくなった(時間と体力の節減)。
これらは一体何が変化したのかというと、社会が持っていた潜在的コストの削減である。
アニメで言えば、映画館でしか見られなかったものを、村の金持ちの家で見るものになり、それが自宅でワンチャンスで見られるものになり(録画ができない)、ビデオの登場で録画ができるようになり(それでもテレビ放送がなければダメ)、DVDの登場で高画質・頭出しができるようになり、配信で自由に自分の見たいものが見られ、定額サービスかつ購入のための移動がなくて済むようになり、かつ2倍速で見られるようになった。
今後は10倍速+字幕+横に字幕タイプのスクロール(どういう字幕が出るか)のサービスがあればありがたいがどうだろうかとは思う(文字を読むのはまあ大丈夫なので)。
実験してみたが、2倍速は聞き取れても4倍速はもう聞き取れなかった。
だが字幕があれば問題ない。
あと10倍速であれば、アニメが1シーズン50話構成の場合、1話が22分だとすると、全体を2時間弱で見られる計算になる。これはいい。
ラスカルとハイジと若草物語と赤毛のアンとトムソーヤを見るにはこれしかないんだよおおお! あとあれだ、名探偵ホームズか。
あれか? 宮崎駿担当回だけ見ればいいのか? それがタイパいいのか?