美人の定義というのはある種の傾向はあるのだが、しかしそれは絶対ではない。
基本的にその価値観は流される。
女性の化粧の方法がそれだ。人間の骨格と外見は数百万年と替わっていないのだが、化粧のトレンドは僅か十数年で変遷する。
100 Years of Beauty in 1 Minute - Episode 1: USA (Nina)
https://www.youtube.com/watch?v=LOyVvpXRX6w
本来、「こう魅せたい」という意識が普遍のものであるのであれば、それは絶対的に方式が変化しないはずであるのだが、しかし変化の変遷を辿ると変わりまくっているのが分かる。
美の基準とは変化しまくるのだ。
ウェディングドレスの変遷verもあったので載せておく。これも興味深い。
100 Years of Fashion: Wedding Dresses ★ Mode.com
https://www.youtube.com/watch?v=rKegRnTimFs
化粧や服装はいい、それはもう分かったよ、それでは人間そのものに対する美的感覚はどうなんだ? というとこれも答えがある。
答えは変遷する。美を基準とするトレンドが変遷するのが分かるだろう。
この動画では、極度のぽっちゃりからガリガリまで、その美の基準が変遷するのが見て取れる。
Women's Ideal Body Types Throughout History
https://www.youtube.com/watch?v=Xrp0zJZu0a4
つまり、「あの人は美人だな」という自己判断の基準については、人それぞれ+我々は流されまくっているのだ。
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さて、私はちょっと自慢すると、そういう流行に疎いせいもあるのか、周りに流されない目があるんじゃないかと思っている。
よく言えば個性的で、悪く言えば偏狭だ。
例えば、私が子供の頃、皆が信号機のGOサインを「青」だと言っているのが違和感があって、「あれは緑でしょ! 」とことあるごとに大人に注意していた。実態としての色彩は緑であったが、それを大人の社会が便宜的に青だと言っているその齟齬がよく分からなかったのだ。
時の首相についても、便宜的に首相にしたけれども、中身は空っぽだったということについても、「一回やらせてみたらいいんじゃないか」と仮に首相に据えておくという日本人の集合意識での決定というものは、あまり頭が良くない決定であるということが分かった。
あるいは、「鏡の左右が逆」というのも良く分からなかった。周囲の大人がそういうことを言っている際には、仮にあなたと同じ像が鏡の向こう側に回りこんだとすると、右手を上げた人は向こう側でも右手を上げているはずでしょ、でも実態としては鏡の向こう側では左手を上げているから左右が逆なんだよ、ということで「鏡の左右が逆」と言っているのだが、まあよく分からない。これは鏡の上下に引かれた中央線を想定して行っているわけである。それでは、なぜ鏡の左右に引かれた中央線での対象を想定しないのか? それを想定すると、上下が逆と言うことも言えるだろうが、実態として誰もそんなことを言わない。更に言うと、その中央線の角度はどう取ってもいいので、斜めにした場合だって考えられるのにそれを誰も言わない。更に更に、これは鏡の鏡面に引かれた線に対する移動対象からの比較なのであって、対象と考えうるならば点対称だっていいはずだが、誰もそんなことは言わない。
私が思うに厳密には対称とは言わないのにどうして対象と言っているのか? ということで、子どもの当時はそういう考えや疑問は言葉にならずに右往左往していたら、逆に私がバカ認定されるという始末で、この辺は本当にやきもきした。本当に分かってないのはお前らじゃないのか、と。
さて、当時の大人たちの「鏡の左右が逆」というのは、今であれば結論が言える。鏡で逆になっているのは、正確には左右ではなく前後である。
そんなこんなで本当にそれはそうなの? と疑った私は凝り性なもので納得できるまでは納得できない。だが一度納得したものはそうであると確信はできる。
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美人の話しに戻ろう。
2010年の4月に私は新しい職場で働き始めた時、私は同じ職場のTさんに雑談で話しかけられた。
「○○さん○○さん、この職場の中の女性で、○○さんがいいって思うタイプの人は誰ですか? 」と。
トラブルは避けるべきかな、と思ったので「いや、特にそういうのは・・・」と言った。だがTさんは続ける。
「分かりました。それじゃあ、強いて言うなら、強いて言うなら誰ですか? 」と「強いて言うなら」を強調して、再度質問してきた。
「強いて言うなら・・・あの人です。」と遠くにいる女性を指した。
「えっ!?」
とTさんは驚いた。めがねをかけて服装も地味目の人であったが、Tさん並びにその職場では、外見で評価すべき対象はバリバリのギャルなどを嗜好していたので、この選択にはかなり驚いたらしい。
「強いて言うならです。」
「分かりました。」
~翌日~
昨日とは別のUさんが私に話しかけた。
「○○さん、聞きましたよ! 」
「えっ!? 何を!? 」
ということで、昨日の一言がTさんによって、尾ひれどころか背びれと胸びれと立派な金ピカの鱗を持ったらしい。その賢覧豪華な錦鯉は母なる川へ回帰遡上を行い、瞬く間に産卵し、稚魚を孵化せしめ、更なる噂話を拡散させたのである。
さて、その彼女と言えば、私は美人の素質はあるなあ、とは思ったものの、ついぞ私と彼女はくっつくことはなかった。私が思うに、私自身とは釣りあわないし、もっといい人がいるだろうし、私とくっついてはならない。
ただ当時の世間の下馬評はあまり芳しくなかったように思われるが、私は私の意見を崩さなかった。
この女性であるが、2011年頃から変化が見られるようになった。おしゃれをするようになり、髪にパーマをかけるようになった。彼女は彼女なりに段々いい方向へ向かうようになっていったのである。元々スタイルはいいので、基礎がいいとそれなりに発展するのだ。
つい最近、武田玲奈さんという芸能人が出て、「ああ、件の彼女はこの系統だったな」と思い出したので書き込み。