とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

インテリジェンス・その方向先の変化(2)

2016-02-06 22:51:30 | 海外・国内政治情報等
補足する。

前回記事において、ISに「考え方を変更してもらう」という甘ったるいことを言ったのであるが、これは「まずは対話を、対話すれば互いに分かり合える」というような夢物語を言ったのではない。

本件に関しては、歴史的、宗教的、民俗学的、心理学的、人類学的に、どういう社会こそが安定するのか、というモデルを探し出し、それを何らかの形で中東世界に適用するというアプローチである。
夢物語の方向へ進まない。飽くまで現実路線を、そして現在の手法とは異なる形での社会的アプローチをすべきであるということである。

人間の習性としては、まず生存の争いや競争が存在し、生活安定の欲求が存在し、理想の実現、理念の実現へと昇華していく。
これとは別系統として、人間の尊厳の希求が存在し、それを破られた時に、人間はその尊厳破壊をもたらした社会の破壊行動へと走る。

人間は矛盾した動物だ。社会上でのピラミッドを持ちたがる割りには、自らの尊厳がそれによって押しつぶされそうになると、そのピラミッドを破壊する。

まずは安定社会のモデルの模索とその適用であろう。
問題としては、ロシアとイスラエリが、ひょっとしたら地域安定を望んでいないのではないのかという懸念である。国際情勢の綱引きの材料にする為だ。
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インテリジェンス・その方向先の変化

2016-02-06 20:28:20 | 海外・国内政治情報等
1.
公的な情報を収集して、その情勢の行く先を見定め、推測し、判断する。
そうした情報収集の総合的体系はもっぱら「インテリジェンス」と呼ばれているようだ。

その昔、国家の情報収集と言えば、非合法なスパイがもっぱらその役目だったが、現在では新聞の読み込み・分析、ラジオの放送やあるいは国家の声明などの分析など、合法的なインテリジェンスに軸足を移している。
(邪推をすれば、非合法のスパイでは、国際関係的に難があったので、合法的なインテリジェンスにすれば機動力や正当性が加味されやすいからそうしている、そして国家はそれを今の今まで数十年に渡って模索してきたと言っても良いのかもしれない。時代を経て精錬された武器、交渉、交渉方法、人員、組織、文化、潮流そのものとそれらのとらえどころの無い「アメーバ状」の形成した社会的素体がインテリジェンスであるとも言えるのではないか。いや、基はそれが既に存在して舞台裏では地味に活躍してはいたが、何らかの形を与えられて、晴れて堂々と表舞台に立ったのがインテリジェンスとも言える)。

さて、この巨大なジグソーパズルのような断片的情報たるピースを集め、それを徐々に絵にしていく。

現代では重要情報の95%近くが公開されているという中で、公開情報を系統立てて丹念に追って行けば、世界で行われている問題の裏側がほぼ追えるらしい。

但し、公開されているとは言えども、きちんと方法論などの訓練や経験などを積んだ案内人が必要とも言われる。公開されていて、合法的に得られる情報、その量は膨大な数に膨れ上がる。

例えば、小さな砂浜に砂金一つを落とす。それを探すことは一苦労だろう。
そうした時に見えないアドバイザーが現れる。アドバイザーは金目的かもしれないが、過去に恩があるケースでの恩返しをする場合もあるかもしれない。「あの辺に砂金を落としました」「この辺りの干潮/満潮時はこれくらいで、落とした日時はこの辺です」「砂金の大きさはこれくらいで一粒です。一粒探し終えればタスクは完了します」「ちなみに探す道具はここにあります」と言ってくれる人がいるだけで段違いに作業が捗る。それが無ければ不可能でこそないものの、しかし不可能に近いことを可能性の道筋は探らなければならない。
私が思うにそれに加えてその案内人には素質が無ければいけない。
他の人にはどれだけ言うのか、あるいは関係ないことでありそうでも、ヒントになりそうなこと(例えば落とした人は頻繁に砂金をあの辺で無くすだとか、スカートの形状はどうだとか、歩き方はどうだとか、砂浜にパンプスで入るだとか、散歩の際にはハンドバッグは持たない)を言ってくれるのかなどなど。。。


ただ、こうした中、我々一般人というものは、そういう世界とは無縁ではあるが、しかし学べることも数多い。
異業種から別のことを学ぶのだ。
つい最近でさえ、鉄道関係におけるレール製造会社と車輪製造会社の異業種意見交換会が始めて開かれたとのことで、両社はそこで新たな知見を発見したというのだから、異業種に触れれば触れるほど、その本体の運営になるヒントを得られるのではないだろうか。
そして全く触れられていない、総合的知体系の一翼を担う異業種というのは、直ぐ近くにあるのかもしれない。


2.
現在インテリジェンスと言えば、各国の情報機関や、報道などのネットワークが主流であるが、アメリカが予測している通り、現在の社会と技術トレンドから言えば、それが大きく変化する兆しを見せ始めている。

彼らの目的は、「総合的知体系から政治決断によりどう情勢が動いていくか」ということの情報収集、分析をすることのように思われる。

本題に入る前に上記の部分について詳述しておく。
まず、なぜ民情分析(市井の人々の意見収集)などではなく政治決断(政治を決断するトップ層の意見推察)に走るのか。

この世で一番大きい力とは何だろうか? 戦車? 海軍? 航空機爆撃? 核兵器? 答えはいずれもノー。
色々な意見があると思うが、ある種の見方で捉えれば、この世で一番大きい力とは「政治決定」である、と見做すことも可能だ。

国内治安悪化や、国際情勢でのシーライン確保における実質的な抑止力とは軍事力そのものであるが、その軍事力を決定しているのは、本国における政治である。その政治を動かすイデオロギーや、社会情勢というのも、社会を構成する上で、その数直線上にプロットされる要素の内、どこのパワーポイントが最重要か、というお題目にもつながるが、ひとまずは「政治決定」を、社会変動の最重要パワーポイントとして見做して良いようであるし、インテリジェンス関係者もそれをターゲットにして合法的な情報収集をしているようだ。


3.
だが、昨今の国際情勢に問題が出てきた。ISである。
ISはヘッドの無いアメーバ状組織であることは良く知られており、統率された軍隊ではなく、粘菌における活動に近い。各細胞はそれぞれイデオロギーを名目に、人間ならではの不満を噴出する為にその活動エリアを拡大している。

本来、歴史や社会や国際情勢の主な流れとして、戦争などの大規模被害が出るには、相手国トップの意向を知る方向でほぼ間違いは無かった。
ところが、ISではその知りうるトップがいない。交渉する相手がいない。潰しても再生するなどの既存の情報収集では対応できないのだ。

米国の情報機関、国家情報会議(NIC)が、「グローバル・トレンズ2030」で未来予測として次のように言った、と、元朝日新聞主筆である船橋洋一氏は文藝春秋2013年2月号の自身のコラム「新世界地政学」において書いている。
「今回の報告書が「個人のパワー化」をメガトレンドの最初に取り上げたのは慧眼である。」
これは二つの見方がある。一つは良い影響を与える個人、もう一つは悪い影響を与える個人・・・。


その通り、対処すべき対象が、トップの意向ではなく、末端へ向かっている。現にISがその通りだ。そして現在は国家のトップが力を持つのではなく、末端の個人が力を持てるというのが、現在の社会における力の本質であり、現代における潮流ムーブメントのトレンドなのである。

いや、何も完全に軸足をそちらに移せというのではない。まだまだ国家とは強大な力を持っており、国家のトップの政治に集中する方式は間違ってはいない。ただ、今後100年などの長期的スパンにおいて、社会組織の末端である個人がパワーを持つ時代が徐々にではあるが到来しそう、というのが目下の予測である。

そして、現代社会における情報収集と分析というのは、今のままでは対処できない部分も出てくるだろう。その来るべき時に何をせねばならないか、ということを探るべきである。

4.
我々は物事に対処する時には一つのことしか思い浮かばない。子どもが悪いことをしたら𠮟る。泥棒を見つけたら逮捕する。海賊を見つけたら退治する。新たな犯罪組織が出てきたら、それに対応できるような組織を作る。特定の病気には新薬を投薬する・・・。

しかし別の対処法もあるかもしれない。
例えば悪いことをしたら、父親が厳格に𠮟って、母親がどういう理由でやってはいけないのか、というのを理解させる。
泥棒は職が無いから泥棒をするのであって、職を与えれば泥棒をする必要がなくなるかもしれない。

海賊の減衰には別対処の実例がある。ソマリア海賊に商売を与えて海賊被害をゼロにした、すしざんまい社長の木村さんだ。

すしざんまい社長が語る「築地市場移転問題」と「ソマリア海賊問題」 | ハーバービジネスオンライン
http://hbol.jp/77365

――「『すしざんまい』の社長が、アフリカのソマリアで、元海賊とマグロ漁をやっている……と話題になったことがありましたね。

木村:今でもやってますよ。ソマリアの沖というのは、キハダマグロのいい漁場なんです。ところが海賊が出るようになり、危なくてマグロを獲りに行けなくなってしまったんです。しかし、聞いてみると誰も海賊とは話していないという。おかしいじゃないですか。海賊といったって相手は人間なんですから。それでさっそく、伝手を頼ってソマリアの海賊たちに会いに行きました。そこでわかったことは、彼らだってなにも好き好んで海賊をやっているわけじゃないということです。だったらこの海で、マグロを獲ればいいじゃないか。自分で稼いだ金で家族を養うという、誇りを持った人生にしなくちゃいかん――と、彼らと話し合ったんです。

――ソマリアの人たちは、内戦で国を失い、無法地帯となった彼らの海が荒らされたため、海賊になったと主張しているそうですが、自力では対抗できなかったのでしょうか……?

木村:口で言うのは簡単ですが……、まず彼らは、マグロ漁の技術をもっていないし、船もありません。マグロを獲ってもそれを入れておく冷凍倉庫が使えなくなっている。獲ったマグロは売らなければなりませんが、そのルートをもっていない。IOTC(インド洋まぐろ類委員会)に加盟していないから、輸出ができなかったんです。じゃあ、仕方がない。うちの船を4隻もっていった。漁の技術も教えましょう。冷凍倉庫も使えるようにする。ソマリア政府にはたらきかけてIOTCにも加盟する。獲ったマグロをうちが買えば、販売ルートも確保できる。こうやって一緒になってマグロ漁で生活ができるようにしていったんです。

――「民間外交」の枠を超えた貢献ですね。なぜそこまで?

ジブチ滞在中の木村社長

ソマリアの隣国のジブチにも赴き、漁業分野の合意書を締結した。’13年に安倍首相がジブチを訪問した際には、ジブチ滞在中の木村社長が首相を表敬訪問するなど、まさにジブチと日本の民間外交の主役となっている
木村:いろんな国や国際機関も援助をやっていますが、どれも上滑りのことばかりであまり役に立っていないことも少なくありません。相手の視線に立って、相手の悩みに気がついてあげることが必要なんです。ソマリア沖じゃ一時は年間300件、海賊による被害があったそうですが、うちが行くようになって、この3年間の海賊の被害はゼロだと聞いています。よくやってくれたと、ジブチ政府から勲章までいただきました。

――そこまでして、事業として採算はとれるんですか。

木村:んー。まあ、正直言って今のところまだ採算はとれていませんね。しかし、将来的にはきちんと利益が出る目論見はたっていますよ。それに商売というのは、目の前の利益、儲けのことを第一に考えていたんではうまくいかないものなんです。まず考えなくてはならないのは、どうやったら喜んでもらえるか、何を求められているかということ。それに応える算段をするのが「商売」なのではないですか。


ちなみに木村さんは元々自衛隊だったのも大きいように思うがそれはまた別の機会に書くことになるでしょう。これはさておき。

特定の病気には新薬を投薬するのではなく、住居環境の衛生状態改善も、健康状態の改善や、あるいは病気の完治へと貢献する。


リシ・マンチャンダ: 病気の上流を診る医療 | TED Talk Subtitles and Transcript | TED.com
https://www.ted.com/talks/rishi_manchanda_what_makes_us_get_sick_look_upstream/transcript?language=ja

私は10年にわたり医師として ホームレスの退役軍人や 労働者階級の家族 病気を抱えながら働く 人々を治療してきました 彼らの状況は 深刻と 言えなくても困難な状況です この仕事を通して 気づかされたことは 現在の医療システムを 根本的に違った視点から 見なければいけない ということです 今私達が必要としているのは ただ 患者が診療所へ来た理由の 症状のみを見るのではなく それ以前の 健康状態を 根本から見て 改善していくことができる 医療システムです 健康の根本は 診療所ではなく 私達が生活をし 働き 食事や睡眠を取り、学び、遊ぶ 私達の生活の大半を 過ごす場所にあります それではこの今までとは違う 医療システムへの取り組みとは 健康を根本から 改善する方法とはどういったことなのかを ベロニカのお話を通して 説明していきます ベロニカは ロサンゼルス中南部の 診療所で私が診た 26人の患者のうち 17人目の患者でした 彼女は 慢性的な頭痛に悩み 診療所を訪れました この頭痛は長年に渡り 彼女を苦しめ 特にこの時の頭痛の発作は 非常に困難な問題でした 実は彼女は初めて 診療所を訪れる3週間前 ロサンゼルスの救急治療室を訪れました 救急治療室の医師は言いました 「ベロニカ いくつか検査をしましたが 結果は正常ですので 痛み止めを出しておきます かかりつけ医に経過を診てもらい もし症状が治まらないか悪化すれば 再診して下さい」 ベロニカはこれらの 一般的な指示を守りましたが 再度救急治療室を訪れました 1度でなく 3度もです 彼女は私達に出会う前の3週間に 3度も救急治療室を訪れているのです 過去何年にも渡り繰り返したように 助けを求めて病院や 診療所に何度も通い 出たり入ったりを繰り返しましたが 未だに症状は改善されませんでした たくさんの医療チームの専門家にかかっても ベロニカは未だに具合が悪く 私達の診療所を訪れたのです 私達の診療所では 異なる方法で ベロニカを診察しました 私達の診察は 一般教育を修了し 当該地域に詳しい 医療助手から始まりました 医療助手は 通常尋ねる一般的な質問をし 何が主訴かを尋ねました 「頭痛です」と返答があったので 「それではバイタルサインの 測定を行いましょう」と言い 血圧および心拍数も測定するのですが ベロニカやLA南部在住で 彼女に似た患者達に共通する 不可欠な質問もしました 「現在のお住まいの環境を教えてください 特に 住宅環境について教えてください カビは生えてますか?水漏れはありますか? ゴキブリは出ますか?」 これらの質問のうち3つの答えが「はい」でした ゴキブリ 水漏れ カビです 私はこれらの問診票の回答に目を通し 診療室の扉を開けて 入っていきました 私が診察をさせて頂く 多くの患者と同じくベロニカは 威厳があり 大きな存在感を持つ 堂々とした性格の持ち主ですが 診療所の診察台の上では 苦痛で体を曲げ小さくなり ズキズキ痛む頭を 手で抱えていました 彼女が頭を上げ 私が彼女の顔を見て 「こんにちは」と挨拶した時 すぐに鼻筋を横切る 皮膚のしわに 気づきました 医学では このしわを アレルギー性鼻炎でみる鼻こすりと呼び 通常小児に見られる 慢性的なアレルギーです これは アレルギー症状に対する反応で 手のひらで鼻を慢性的に 上下にこすることが原因ですが 成人のベロニカも それと明らかに同じ アレルギーの症状を呈していました それからベロニカに質問し 診察および問診の数分後 私は彼女に「ベロニカ 何の病気か分かりました― 慢性的なアレルギーです そして偏頭痛と鼻づまりがありますが これらの問題はあなたの 住環境に関連していると考えられます」 と伝えました 彼女は初めて診断を受けて ホッとした様子でしたが 私は続けて 「治療法をお話ししましょう― まずあなたの症状のための薬を処方しますが よろしければ 専門家を紹介したいのです」と言い 現在 ロサンゼルス中南部で専門医を探すのは 簡単では無い為 彼女は「そうなんですか?」と驚いていました 私は「ベロニカ 私が言ってる専門家とは 実は地域保健員のことで 貴女さえ良ければ ご自宅まで伺い 水漏れやカビにより 生じている問題を判断して あなたの症状の原因と考えられる 住環境を整えるお手伝いをします そして必要であれば その保健員は 公益弁護士と呼ばれるもう一人の専門家を紹介するかもしれません なぜなら家主が もしかしたらお住まいの 補修を怠っているかもしれないからです」と言いました ベロニカは数ヶ月後に診療所に再来し これらすべての治療計画に同意しました そこで彼女は 症状の9割が 改善したことを報告してくれました LAの救急治療室を 行き来する時間が減り 仕事や家族との時間が 増えたと言いました ベロニカの状態は 著しく改善していました 家族のうちぜんそく持ちだった 彼女の息子達は 症状が軽くなり ベロニカは体調が良くなり それと同時に 住環境も改善していました このより良いケア―ERへ行く回数を減らし より良い健康へと導いた 私達が試みた治療法とは どういったものだったのでしょうか それは ごく単純に「貴女は どこにお住まいですか?」 という質問から始まったのです しかしもっと重要なことは ベロニカやその他彼女のような 何百人もの患者に 南LAのような場所で 健康や 不幸なことに時には 病気の原因となる地域事情について 必ず質問するという システムを導入したことです この地域では 診療所スタッフは 標準以下の住宅や食料不足などの 生活を左右する事情を理解して おかなければなりません 他の地域では 不十分な公共交通網や 肥満問題 公園へのアクセスや 銃による暴力などかもしれません 重要なことは 私達が 機能するシステムを 導入したということ そしてその方法を私は 「上流」からのアプローチと呼びます 皆さんにもなじみのある表現です これは公衆衛生の世界では よく知られている 寓話に由来しています 3人の友からなる寓話です この3人は川へ行きましたが この3人のうち誰かが 自分だと想像してください 川はとても奇麗ですが 子供の泣き声が響き渡って 数人の子供が川で溺れ 救助を必要としていました そこであなたは当然の行動をとります 友とともに川へ飛び込むのです 1人目の友は 今にも溺死 または滝から落ちるリスクが 高そうな子どもから 助けていくと言います 二人目はいかだを作ろうと言います 滝の端まで流されてしまう人数を 少なくし 枝を束ねて いかだを作ることで, より多くの人を安全に導こうと言います しかし徐々に成果は出せても 願うほど成功しません 更に多くの人々が流れてくるので 川上を見上げると 3人目の友が見当たらない ことに気づきます ようやく見つけたと思ったら 彼女は 上流に向かって泳ぎながら 子どもを救助しています 彼らは「どこへ行くの?― 助けを待つ子ども達はこっちだよ」 と尋ねると 彼女は 「子ども達を 川に突き落しているのは 何なのかを調べるのよ」と返答します 医療での1番目の友人は― 外傷外科医や 集中治療室の看護師 救急治療室の医師などの 専門医たち― あなたがひどい苦境に 立っている時いてほしい なくてはならない人々がいて それから いかだを作る 2番目の友がいます それはプライマリケアを行う臨床医であり 慢性的な病気や糖尿病 高血圧などを管理したり 高血圧などを管理したり 毎年の健康診断や 最新の予防接種がちゃんと なされているかを 確認するだけでなく 健康への安全な流れに乗っていることも 確かめる医療チームのことです しかしこのような必要不可欠な 救助者がいる一方 3番目の救助者が 欠けているのです 上流での治療を行う専門医達が 十分な数いません 上流での治療を行う専門医とは 健康は 私達が住み 働き 遊ぶ場所から始まることを 理解している医療専門家で その理解にとどまらず 彼らの診療所や病院で 上流で病気を食い止める システムを作るのに 必要な手段を行使し 診療所外で患者が 必要とする人的資源や リソースと彼らを 結びつけることのできる人のことです そうするとあなたは 多くの医療スタッフも尋ねる こんな質問をするかもしれません 「医師と看護師が交通や 住まいの事まで考えるだって? 薬や治療を提供して ただ目の前の仕事に 集中するべきでは?」 もちろん 水際で人々を助うのは 十分重要な仕事です 誰に余分の時間があると? 科学的に考えて行けば より上流で診断するアプローチは 必要不可欠だと明らかになることでしょう 科学者たちは 私達の暮らしの一部である 生活や労働環境が 遺伝子情報の倍以上も私達の健康に 影響すると知っています そして生活や労働の環境 私達の環境の構造 社会の成り立ち方 そしてそれらが私達の 行動に及ぼす影響を すべて一緒に考えると それらは 医師および病院が施す すべての薬や治療を 合わせての影響よりも 5倍以上もの影響を 健康に及ぼすのです これらすべての要素を含めた 生活および労働環境は 回避可能な死因の 6割を占めています これがどういうことなのでしょう 例えば テクノロジースタートアップの会社が 「素晴しい商品があります 心臓病による死亡リスクを 減らす商品です」と言ったとします あなたはもしその商品が 薬や医療機器であれば 投資したいと思うかもしれませんが もしその商品が公園だったとしたら どうでしょう? イギリスの研究では 英国の4千万人以上の住民の 記録を調査した画期的な研究で いくつかの要因を様々な要素を 調整した後に分析して分かったことは 心臓病のリスクについて 木々や緑への近さが大きな影響を 持つことが分かりました 人が緑地や公園 木々に近ければ近いほど 心臓病になる確率が下がります これは富める者 貧しい者 問わず同じです この研究の話は 公衆衛生機関で働く私の友人が 近頃よく言うことと重なります 郵便番号の方が遺伝子よりも 健康に影響するということです また 郵便番号が私達の 遺伝子コードの形成に影響することが 分かってきています


さて、ここで現代社会に対する課題がある。
「ISをどうすべきか? 」
それには様々なアプローチがあるように思われる。軍隊を派遣する。治安部隊を形成する。民主運動を活発化させる。人類社会とはそういうものだと諦観し、むしろ現況での国際情勢の自国有利化の材料になるようにコントロールする・・・。どれを選ぶべきだろう? 

ここで人類社会学というものがあれば一つそこからアプローチを試みたい。
ゴール地点は「中東の政治上における安定」とした場合、その不安定要因を探って「社会的変動をもたらす人間の考えを固定化する」という科学的手法を用いるのはどうか。

例えば、今の不安定化というのは、不満を持った人間が軍事的な力を持っているが為に発生しているので、その銃を取り上げたり、その人間を抹殺したりすることが目下有効とされているが、その銃を持った人間の考え方を変更してもらうのはどうか、ということだ。

イスラムにも様々な派閥・学閥があるが、現代のISにおいてはコーランを読んでいないほぼ無学の人間が集合し、コーランを名目に惨劇を繰り返している。
その根底にあるのは、社会的差別であったり、世界観の崩壊であったり、自らの属するグループのアイデンティティの喪失であったりしたわけで、そこでイスラムがそれらを吸収する媒体となってしまったことだ。

よって、ここでは、イスラム系の差別→ISへの吸収という流れから、その上流の分析と対処を歴史の流れから見て行くというのはどうであろうかというアプローチである。

尚、ロシア在住の大学教授からは、「歴史的に見て、和平が結ばれる時というのは、互いの社会の人口が「これ以上戦闘をしても無意味なんじゃないか」と思うくらいにまで減少しなければ、和平交渉は結ばれない」という話しがあるので、人類社会のこの方程式を覆すようなムーブメントはそもそも困難であることが予想される。

ただし「小さき門をくぐれ」とも言う。この変則的アプローチ--病気が治らないなら、上流である居住環境の衛生状態を改善するならどうか--が、有効であるか、あるいははたまた別の方法があるかは分からない。

ただ、今の対処ではうまく行かない部分というのは、何らかの方法を変えなければいけないのではないか、そうも思う。

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爆笑太田「2ちゃんねるなんか潰しゃいい」

2016-02-06 15:59:00 | 雑感

世間ズレ!?爆笑問題・太田光の「素人は黙れ」発言に批判殺到! | 日刊大衆-スマホ版-
http://taishu.jp/sp/19971.php

 爆笑問題の太田光(50)の発言がまたも世間からの反感を買っているようだ。2月2日に放送されたラジオ『爆笑問題カーボーイ』(TBSラジオ)のなかで太田は「最近は、素人でもみんなテレビ批評する。あいつらには、ああいうのが恥ずかしいっていう意識が無い」と苦言を呈した。また、昔の演芸評論家も批判はしていたが「自分のやっていることが恥ずかしい」「どっかで敵わないと知っていた」と、一般人がSNSなどでテレビ批評をすることに対し発言した。

 コメントを受けた相方の田中裕二(51)が「いまは言いたいことは、ツイッターやネットの書き込みで発表できる」と発言すると、「2ちゃんねるなんか潰しゃいいんだよ」と太田が言い放つ場面もあった。これに対し2ちゃんねるユーザーも黙ってはおらず、「いつまでも一般人叩くような奴よりマシ」「2ちゃんを潰したところで、批判はやまないだろ」と、辛辣なコメントが並んだ。

 2015年11月にも同ラジオ番組で、ハロウィンに賑わう若者を非難し、「集団でしかなにもできない」と発言して批判を集めた太田。今回の発言は特にネット上のユーザーを刺激したようで、「自分の番組にしか出れないやつが偉そうに」「どんどん世間ズレしていくな太田は」「視聴者が無力じゃないって気づくべき、じゃないとフジの二の舞になる」といった声があがった。


太田さんの言うことは分からなくも無い。
テレビ関係者は自分の仕事に誇りを持って行っている。大衆迎合をすればそれこそ良いものが作れなくなる。

ただ、とにかくテレビの作り方に素人が口出すな、ということなのですが、これを言うと、レストランで出された食事がいかにまずくても文句言えないということですよ。お客様の意見は大事にすべきだと思います。
そういう時には、日本人は文句を言わずにそっと離れていく、という。
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異種対決・テレビと動画(メモ)

2016-02-06 15:36:19 | 社会・テレビ・広告・既存市場動向

【ほんとこれ】若者のテレビ離れの「衝撃的な新説」登場!若者の思想が凄い|面白ニュース 秒刊SUNDAY
http://www.yukawanet.com/archives/5004986.html

若者のテレビ離れが問題視されておりますが、根本的な原因が判明したわけではありません。世の中は4Kやハイビジョンなどのクオリティ高いテレビを投入して客足をつかもうとしておりますが、ネットにシフトしていくこの流れはもうだれも止めることはできません。さてこんな問題にさらに根本的な理由が判明した。



大野裕之@新著『チャップリンとヒトラー』
‏@ono_hiroyuki

若い学生が一人暮らしの部屋にテレビがないとのこと。なんで?と聞いたら、「だって、テレビって動画が途中から始まりますやん」と言われて、メディアに携わるものとして考えさせられた。



問題のテレビ離れについて様々な憶測があるが、現在最も話題となっているのはこちらの推測。どうやら今の子たちは「テレビ(動画)が途中から始まるから」ということのようだ。つまりネットの動画は再生を始めると大体最初から再生される。しかしテレビは、再生という概念はなく、番組の進行上、様々なケースがある。途中で見逃せば当然最初を見逃す。

もちろんこれはテレビ離れの原因であるとは一言では言いにくいのかもしれませんが、今の若者は、テレビをネットの動画と同じような概念で見ようとしていることが明らかに。

そういえば、どこかの子供も、放映中の番組を必死に一時停止させようとしてました。
それ以前に娯楽はもはや「テレビ」だけでなく多種多様化してますから、昔のようにテレビにかぶりつく必要性はないのかもしれません。

―ネットの反応

・ ネットはビュッフェ。好きな料理を好きなだけ食べられるが、栄養が偏りがちテレビは定食屋。嫌いなものもたまには出るが、栄養のバランスは取れる。
・ 息子もテレビ見ててトイレ行きたくなったら「テレビ止めておいて」と言う
・ 当然、CMを飛ばしてみています。
・ 確かに!!
・ その視点は無かったな
・ おっさんには衝撃的な一言だ。
・ たいていの番組は録画して見ちゃいますものねぇ
・ 視聴時間は長いけど、俗に言う「テレビを見てます」的な状態じゃない。
・ ほんとこれ
・ 学生時代からかれこれ10年くらいテレビを置いてないです
・ ああ、自分の予定に合わせてくれないもんな
・ TVはありますが、動画を見る派です。
・ ネットネイティブ世代からするとそういう風に見えるのか..
・ 胸が痛いなあ。テレビ見る奴、居なくなるなあ
・ おっさんには衝撃的な一言だ。
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美人の基準--集合認識に頼る社会集団の美の決定

2016-02-06 11:30:53 | 哲学・社会
美人の定義というのはある種の傾向はあるのだが、しかしそれは絶対ではない。
基本的にその価値観は流される。
女性の化粧の方法がそれだ。人間の骨格と外見は数百万年と替わっていないのだが、化粧のトレンドは僅か十数年で変遷する。

100 Years of Beauty in 1 Minute - Episode 1: USA (Nina)
https://www.youtube.com/watch?v=LOyVvpXRX6w


本来、「こう魅せたい」という意識が普遍のものであるのであれば、それは絶対的に方式が変化しないはずであるのだが、しかし変化の変遷を辿ると変わりまくっているのが分かる。
美の基準とは変化しまくるのだ。

ウェディングドレスの変遷verもあったので載せておく。これも興味深い。
100 Years of Fashion: Wedding Dresses ★ Mode.com
https://www.youtube.com/watch?v=rKegRnTimFs


化粧や服装はいい、それはもう分かったよ、それでは人間そのものに対する美的感覚はどうなんだ? というとこれも答えがある。
答えは変遷する。美を基準とするトレンドが変遷するのが分かるだろう。

この動画では、極度のぽっちゃりからガリガリまで、その美の基準が変遷するのが見て取れる。
Women's Ideal Body Types Throughout History
https://www.youtube.com/watch?v=Xrp0zJZu0a4


つまり、「あの人は美人だな」という自己判断の基準については、人それぞれ+我々は流されまくっているのだ。

・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・

さて、私はちょっと自慢すると、そういう流行に疎いせいもあるのか、周りに流されない目があるんじゃないかと思っている。
よく言えば個性的で、悪く言えば偏狭だ。

例えば、私が子供の頃、皆が信号機のGOサインを「青」だと言っているのが違和感があって、「あれは緑でしょ! 」とことあるごとに大人に注意していた。実態としての色彩は緑であったが、それを大人の社会が便宜的に青だと言っているその齟齬がよく分からなかったのだ。

時の首相についても、便宜的に首相にしたけれども、中身は空っぽだったということについても、「一回やらせてみたらいいんじゃないか」と仮に首相に据えておくという日本人の集合意識での決定というものは、あまり頭が良くない決定であるということが分かった。

あるいは、「鏡の左右が逆」というのも良く分からなかった。周囲の大人がそういうことを言っている際には、仮にあなたと同じ像が鏡の向こう側に回りこんだとすると、右手を上げた人は向こう側でも右手を上げているはずでしょ、でも実態としては鏡の向こう側では左手を上げているから左右が逆なんだよ、ということで「鏡の左右が逆」と言っているのだが、まあよく分からない。これは鏡の上下に引かれた中央線を想定して行っているわけである。それでは、なぜ鏡の左右に引かれた中央線での対象を想定しないのか? それを想定すると、上下が逆と言うことも言えるだろうが、実態として誰もそんなことを言わない。更に言うと、その中央線の角度はどう取ってもいいので、斜めにした場合だって考えられるのにそれを誰も言わない。更に更に、これは鏡の鏡面に引かれた線に対する移動対象からの比較なのであって、対象と考えうるならば点対称だっていいはずだが、誰もそんなことは言わない。
私が思うに厳密には対称とは言わないのにどうして対象と言っているのか? ということで、子どもの当時はそういう考えや疑問は言葉にならずに右往左往していたら、逆に私がバカ認定されるという始末で、この辺は本当にやきもきした。本当に分かってないのはお前らじゃないのか、と。

さて、当時の大人たちの「鏡の左右が逆」というのは、今であれば結論が言える。鏡で逆になっているのは、正確には左右ではなく前後である。

そんなこんなで本当にそれはそうなの? と疑った私は凝り性なもので納得できるまでは納得できない。だが一度納得したものはそうであると確信はできる。

・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
美人の話しに戻ろう。

2010年の4月に私は新しい職場で働き始めた時、私は同じ職場のTさんに雑談で話しかけられた。
「○○さん○○さん、この職場の中の女性で、○○さんがいいって思うタイプの人は誰ですか? 」と。
トラブルは避けるべきかな、と思ったので「いや、特にそういうのは・・・」と言った。だがTさんは続ける。
「分かりました。それじゃあ、強いて言うなら、強いて言うなら誰ですか? 」と「強いて言うなら」を強調して、再度質問してきた。
「強いて言うなら・・・あの人です。」と遠くにいる女性を指した。

「えっ!?」
とTさんは驚いた。めがねをかけて服装も地味目の人であったが、Tさん並びにその職場では、外見で評価すべき対象はバリバリのギャルなどを嗜好していたので、この選択にはかなり驚いたらしい。

「強いて言うならです。」
「分かりました。」

~翌日~

昨日とは別のUさんが私に話しかけた。
「○○さん、聞きましたよ! 」
「えっ!? 何を!? 」

ということで、昨日の一言がTさんによって、尾ひれどころか背びれと胸びれと立派な金ピカの鱗を持ったらしい。その賢覧豪華な錦鯉は母なる川へ回帰遡上を行い、瞬く間に産卵し、稚魚を孵化せしめ、更なる噂話を拡散させたのである。

さて、その彼女と言えば、私は美人の素質はあるなあ、とは思ったものの、ついぞ私と彼女はくっつくことはなかった。私が思うに、私自身とは釣りあわないし、もっといい人がいるだろうし、私とくっついてはならない。
ただ当時の世間の下馬評はあまり芳しくなかったように思われるが、私は私の意見を崩さなかった。

この女性であるが、2011年頃から変化が見られるようになった。おしゃれをするようになり、髪にパーマをかけるようになった。彼女は彼女なりに段々いい方向へ向かうようになっていったのである。元々スタイルはいいので、基礎がいいとそれなりに発展するのだ。

つい最近、武田玲奈さんという芸能人が出て、「ああ、件の彼女はこの系統だったな」と思い出したので書き込み。

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