とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

テレビ・エンターテイメントの凋落

2013-06-03 07:35:38 | 社会・テレビ・広告・既存市場動向
私はテレビをあまり見ない。たまにYouTubeで動画を巡回で見ている時に、日本のテレビ番組に当たる。大抵そうした動画は細切れになっているその動画を見る程度である。

そして見ないなりにも噂は聞く。最近のテレビ娯楽番組の凋落っぷりはひどいとも。昔はヒット番組は視聴率20%が当然とされ、30%で大ヒット、50%を記録すれば怪物番組と言われた。しかし今は10%行けば御の字とされ、30%でモンスターとされる。昔の感覚で言えば、10%でヒット、20%で大ヒット、と言うところだろう。明らかに視聴率自体の価値と基準が落ちつつある。これは何がいけなかったのだろうか。

この原因を以前の記事では次のように説明した。それはテレビ局が持つ予算の低下に伴う質の低下と、インターネットの登場による量的提供に勝てないことである。この他にもテレビの凋落の原因となる説明要素はある。インターネットの登場でエンターテイメントの質の精査も始まり、熱狂的な反応よりも冷静な反応が増えてしまった為にその分析から面白くないと言う結論になってしまうこと、ネットの登場により、熱狂的世代が冷静に分析する世代と同じ土俵で意見を交わす為に、理屈を超えるべき熱狂が理屈によって水を差されていることなども挙げられる。簡単に言えばネットの反応が従来型の番組作りの足を引っ張っていると言っても良い。特に音楽のライブでそれが顕著だ。90年代の熱狂的ライブではファンが柵から身を乗り出さんばかりに前のめりになり歌手に触ろうとしていた。しかし、現在ではファンは行儀良くなり、歌手がそばに来ても触ろうとするその素振りさえ無い。これはマナーが行き渡った為なのだろうとは思うが、しかし私個人の感覚からすれば昔から比較するとこのファン達がそれほど好きでも無い歌手の為に連れて来られて来ているようにしか見えない。要は冷めているのである。
これは見る人間がテレビを見なくなった、ということではないと思う。テレビを見る人間のニーズにテレビ局の番組作りがあってないと言うのが実情なのではないかと見ている。
この意味において私は勿体なく思っている。日本のテレビ局はそのポテンシャルがありながら、それを使うことも無く、無駄に放送枠を浪費している。

一言で言えば、テレビが時代にあっていない。そしてそれは不可抗力による歴史的潮流では無く、既得権益によって自己改革を行う力を喪失した、テレビ局自身の責任なのだ。


コメント
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