とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

食歴クロノロジー

2012-01-05 22:30:49 | 最近の出来事
普段気にもせず食事を取ると、どの日に何の食事をしたか忘れてしまう。
ので、少し備忘的な意味でちょこっとここに書いておく。

今日は普通のご飯、味噌汁、肉野菜炒めの他、ヨーグルトを食べた。
ここまでは普通だがこのヨーグルトが大変のクセモノだ。

貧乏性である私は断捨離などという言葉の応援が無ければ物が捨てられない性格で(そもそも「物が捨てられない」などという言葉は物を大切にする精神からして正しいのか? )、御多分に漏れず食品もタンスのこやしならぬ冷蔵庫のこやしと化していたのだが、本日その内容の棚卸を行った。出るわ出るわ賞味期限切れの食品の山。物を大切にする精神云々などと書いた矢先にこれである。
こうなるのが勿体と思うのであれば買わなければ良かった・・・とひどい後悔をするが、仕分け対象となったその先にヨーグルトを発見した。明治ブルガリアヨーグルトとラベルが光を放つ。

賞味期限を確認する。

「11. 5.18/Kナ QP2」

「Kナ QP2」が何を指し示すのかはよく分からないが、とにかく数字が意味しているものは賞味期限と分かる。しかもそれは本日2012/1/5時点からすると実に半年以上前のものだ。

私はこれを捨てようとしたが、「まだ食べられるのではないか? 」と危険な疑念を胸の内に持つに到った。
もともとヨーグルトはヨーグルトを構成する菌を選菌して作られた発酵食品なのであって、それは人体に悪影響を及ぼす雑菌による腐敗とは異なるベクトルの性質である。ならばこれは食べられるのではないか? と疑問が渦巻き、「食べられる」「食べられない」と理性と本能が押し問答している内に食欲が勝ってしまった。

世界情勢を鑑みるに、最大の武力と最高の知力を持つアメリカが現在のヘゲモニーを維持しているのと同様、最大の食欲とこじつけ的生半可知識が融合した結果、私という人間を「ヨーグルトを食す」という正義の行為へと駆り立てたのである。

かくて、現在は450gと記載されている賞味期限切れのヨーグルトの半分以上は私の胃の中へ移動した。20分前の事だ。まだ私の生体に異常反応は無い。

かつてイラクでの湾岸戦争で指揮を取ったコリン・パウエル氏は、その自著「マイアメリカンジャーニー」の中で「結論が出てから作戦を開始したのでは遅すぎる」との言葉を残している。
情報の収集と作戦の遂行は大抵同時に行われる事が多いが、情報が1割しか無い状態で作戦を開始するのは無謀だが、8-9割情報が集まった所で作戦開始をするのも、これまた遅すぎる。4-7割の辺りで作戦遂行を開始するのが経験上良いと語っている。

無論私もある程度まで情報収集を行った上で、この「賞味期限が半年すぎたヨーグルトを食べても大丈夫か否か」という情報を完全に収集できぬまま、一種の冒険を試みたのであった。

先日賞味期限が2年前の乾燥昆布と賞味期限が1年前の乾燥大豆を発見し、五目豆を作ろうとしたのであるが、6時間ほど水に晒して戻した結果、かなり怪しげな臭いを発していたので泣く泣く捨てた。本当に勿体無かった。
私の記憶が正しければ、あの乾燥コンブは高いやつだった。
高いが故に使い惜しみをし続けた結果、忘却し、記憶の彼方においやってしまっていたのだ。
麗しの乾燥昆布よ、罪なる私を許してくれ・・・などと思いながら捨てたというのは、実に嘘であるが、作った人の手間を考えれば本当に気が滅入った。
人の努力を無駄にしたのかと。
それはさておきその作りかけの五目豆はヤバイ臭いを発していたが、このヨーグルトに関しては大丈夫そうである。

臭いは通常のものと変わらない。色も白一色。見た目上は、雑菌などの繁殖による腐敗は進んでいない。半年も経っているので乳清との分離が進んでいるかと思いきや、わずかに分離しているのみで、まったく乳清が出ていなかった事に驚いた。
食感・味・喉越しはこれもまた通常のヨーグルトと変わらない。

私が無事であれば、なおかつ私がこの話しを覚えていれば続きは報告したい。

[2011/1/7]追記。
無事です。体調も悪くはなっておりません。

コメント
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