「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

        高速バス旅行と土地の名産品

2009-04-20 05:36:01 | Weblog
僕は旅は出来るだけ高速バスを使い、それで浮いた旅費で土地の名産品を買うこと
にしている。そして名産品は土産店ではなく、訪れた土地のデパ地下やスーパー店
道の駅があれば、そこでその土地の”匂い”のする名産品を買うことにしている。

先週も東京(新宿)から郡山まで往復、高速バスを利用した。時間は片道4時間10分
とかかるが運賃は往復割引で7200円。新幹線を使うと片道僅か1時間30分で行ける
が、15940円もかかる。老人で急ぐ旅でもない。新幹線が出来るまでは、上野ー郡山
は特急で2時間半もかかっていたのだ。

高速バス利用で浮いた旅費は8740円。その分で今回、僕はこんな買い物をした。まず
娘の注文で郡山の銘菓、三万石不二屋の「ままどおる」。これは30数年前、僕が単身赴
任で郡山にいて週末に東京に帰宅するさい、娘に土産に買ったものだ。ついで僕は好きな
会津の郷土料理「こづゆ」と「山うど」をデパ地下で買った。

「こづゆ」は江戸時代から会津に伝わる郷土料理で、里芋、こんにゃく、人参、きくらげ、
椎茸、山菜などを貝柱のダシで煮た料理。冠婚葬祭や正月には欠かせない家庭料理
である。「山うど」も今が旬の会津の名産だ。

もう一品。高速バスが休憩で立ち寄った羽生PAで大枚100円コインを投じ、僕は土地で
とれた”かき菜”を買った。土産代は全部で3000円程度。なんだかだいぶ得をした気分
で帰宅した。老妻が一番喜んだのは100円の新鮮な”かき菜”であった。

         上坂冬子さんの死と軍歌

2009-04-19 06:01:51 | Weblog
昨夕、一泊二日の旅から帰って、家に溜まっていた二紙(朝日、産経)に目
を通した。産経には一面に三段で大きく上坂冬子さんの死去を伝えていた。
一方、朝日は一行も記事もない。両紙の姿勢の違いかなと一瞬思ったが、
朝日も前日の夕刊で二段扱いで報道していた。僕の思い過ごしであった。

上坂冬子さんとは面識はないが、同じ東京生まれで同じ年生まれ。戦中戦
後のあの時代について同じ体験をしている。そんなことから彼女の書いた作
品には共感がある。しかし、彼女独特のフィルターで書いているものもあって
全部が全部ではない。が、彼女の絶筆に近い記事「郷愁誘う戦時下の童謡」(産
経新聞3月21日)には同時代人として拍手を送った。

上坂さんも僕も日支事変の始まった昭和12年に小学校に入学,20年、中学校
3年の時に敗戦を迎えている。つまり義務教育の9年間が戦争であったわけだ。
彼女は上記記事のなかで「戦時中に歌われていたのを軍国歌謡として毛ギラ
イする人もあるが、あまりにも浅はかだ」と批判している。僕も同意見だ。あの
時代、僕ら銃後の少年少女にとって軍国歌謡しかなかったわけだ。

戦争を賛歌するのではない。戦争だった時代の史実を歌を通じても残すべきだ
というのが僕の意見だ。数年前、多摩市で開かれた童謡を歌う会の印刷物に
「空の新兵」とあった。"みよ落下傘空を行く”で始まる、この歌のタイトルは「空
の神兵」でなくてはならない。

上坂冬子さんの御冥福をお祈りします。





           老人介護 施設が立派でも

2009-04-18 16:22:44 | Weblog
40年ほど前勤務していた会社のOB会に出席した機会に老人介護施設で脳梗塞後
のリハビリ治療をしている先輩を見舞った。80歳をすぎてもゴルフを楽しむほど元気
だった先輩だが、2年前、先輩の言葉を借りれば、それが逆に身体への過信になって
倒れてしまった。夏の暑い日、水を飲まずにウォーキングしたのがよくなかったのだそ
うだ。

先輩の入っている施設は、昔は畑だった郊外にあり、整形外科病院に隣接した三階
建ての瀟洒な建物だ。先輩はその三階の窓に面した4人部屋で治療に当たっている。
右半身麻痺で、車イスの生活だが、血色もよく言語の障害もそれほどなく安心した。
施設には100人をこす老人が生活しているが、施設は清潔で介護の職員も皆、親切だ。
このような介護施設で老後を送れるのは、恵まれている。

昔、老人施設が「養老院」と呼ばれてていた時代、僕は仕事で訪問したことがあるが、
老人たちは陽も当たらない畳の大部屋で手内職をしていた。その時の暗い惨めなイメー
ジがいまだに脳裏に残っている。あの当時に比べれば、日本の老人福祉は格段によ
くなってきた。

懸命でリハビリに努めている先輩をみて僕は安心し感心した。とても僕には出来ない。
それと、わがままな僕は、とうてい家族から離れて施設での生活が送れるだろうか。
いかに施設が立派でも耐えられるだろうか。難しい問題だ。




       定年後の20年 団塊世代の人たちへ

2009-04-17 05:43:59 | Weblog
きのう,今日と昔勤めていた会社のOB会に出席した(する)。一つは昭和45年、
もう一つは47年設立の会社で、僕は親会社から派遣されて創業に参加した。
すでにあれから40年近い歳月が流れたが、零からのスタートして会社を軌道に
乗せるという仕事は、経験者でないと解らない、強烈な想い出がある。

今年のOB会には当時新入社員として入社した第一期生が定年を迎え、新OBで
仲間入りしてきた。いわゆる団塊世代(昭和22年ー23年生まれ)の人たちである。
僕らが後期高齢者と呼ばれ特別扱いされるのも無理もないと実感した。

僕は50歳でサラリーマン生活にピリオドを打っており、定年という勤め人の悲喜を
体験していない。だからそれを語る資格はないが、いまや人生80年時代、定年後
の長い20年の老後を先輩としてアドバイスできるかもしれない。

定年後の20年は長いようで短い。またその逆でもある。まずは健康第一だ。現役
時代は時間に縛られて規則的な生活をしてきたが、定年後は自分の自由な時間が
ありすぎてどうしても不規則になりがちだ。会社の健康診断もなくなる。自分の身体
は自分で管理し、年に数回は医者の健康診断を受けるべきである。

出来たら定年後も仕事をしたほうがよい。堺屋太一氏は定年後の仕事は「収入」「好き」
「見栄}-三つの適当な組み合わせだと書いておられる。僕もこれを適当に組み合わせ
65歳まで仕事をした。

僕より長寿の先輩たちをみると、家に引きこもりの方はいない。それから何事にも興味と
関心を持ち挑戦している。参考までに。




         ミニ・スーパーの399円弁当

2009-04-16 05:49:40 | Weblog
男の年寄りがまた買い物の話で恐縮。昨日のテレビで家の近くに出来た小型のスー
パーが画面に出ていた。知らなかったが、住宅地のこの種小型スーパーは、老人を
対象にした新しいコンビ二型店舗なんだそうである。そういえば、コンビ二ぐらいの狭
い店内に、これまでコンビ二では少なかった生鮮食品が安い値段で売られている。

昨日は偶数月の15日、年金生活者の”給料日”である。早速、僕もこのスーパーへ
買いものに出かけた。老妻注文の99円のキャベツと玉ねぎを買ったあと、安いと評
判の399円の弁当と牛乳とヨーグルド、それにアンパン一つを追加してレジで2千円を
用意したら、全部で951円で済んだ。アンパンが30%引きだったのを知らないで買った
のだった。1000円以下とは安い(写真)

399円弁当の中身は鶏のから揚げが5つに少々ばはりのポテトサラダにスパゲッティ。
高齢者にとっては十分な量である。娘の話だと、この店には299円の弁当もあるという。
独り者の年寄りにとって、一人で料理をするのは面倒くさいものらしい。それでついつい
外食したりおにぎりで済ませてしまう。

このコンビ二型小型スーパーの目玉商品の一つも老人向け弁当だという。首都圏の電鉄
系の大手スーパーが200円弁当を売り出して話題になっている。テレビのCMで360円弁当
を宣伝していた。デフレ時代、老人にとって安い弁当は歓迎だが、食の安全面は大丈夫な
のか、歳をとると変な事に気をまわすことになる。


        タイの騒動の根の深さ

2009-04-15 06:55:51 | Weblog
タイの騒動もようやく沈静化し始めてきた。だけど、これで火種が完全に消えた訳
ではなそうだ。三週間前、バタヤで始まった今回の騒動は、従来の騒ぎとはちょっ
と異質だ。1960年代、僕が現役記者だった頃も、タイは政情不安でクーデターは年
中行事だった。が、いつも最後には国王と軍が出てきておさまった。今回のように
流血の惨事にはならなかった。

最近のタイ情勢について詳しくはないが、現地からの報道によると、騒乱のデモ参
加者は貧困な地方の農民や都会の出稼ぎ労働者だという。動乱の背景には都会の
富裕層に対するこれら貧困層の対立という構図も見られるようだ。タイ人は王室の
シンボルカラーである黄色が好きだが、デモ隊が、あえて赤シャツを着てデモに参
加したとすれば、対立の根の深さがうかがえる。

タイには年間1千万以上の観光客が訪れ、観光が国内総生産の5%を占める主要
産業である。ゴールデンウイーク入りを前に、例年なら日本からも沢山の観光客
が訪れるはずだが、この騒ぎで客足は伸びなたんでいるみたいだ。在バンコク日本
大使館が在留邦人に”赤シャツ”着用を注意している状態では観光も楽しめない。

         ポップス 老人の新しい挑戦

2009-04-14 06:04:43 | Weblog
昨日。老人会の「ポップス」の会に初めて参加した。生まれてこのかた人前で
「ポップス」なんて歌った事もないし、どんな歌なんかも知らない。ただただボケ
防止、社会参加、好奇心からである。お決まりだが、参加者は女性が圧倒的に
多く、おじいちゃんは3人だけ。合唱曲は"オーシャンゼリーゼ”。昔、子供が幼か
った頃、口ずさんだことはあったがー。

”シャンゼリーゼ”通り、10数年前、老妻とパリ観光した時泊まったホテルが、この
通りの近くだったが、どうも歌と結びつかない。老人は絶えず好奇心である。早速
ネットで調べてみた。もともとは英国の歌で”Waterloo Road"が原題。これがフラ
ンスに渡って”Les Champs Elyesee"となり、さらに日本にきて”オーシャンゼリゼ”
となった。日本では1969年にダニエル・ビデルが歌ってヒットしていた。

昭和一ケタ世代は"焼跡"時代、進駐軍放送(WVTR)から流れる「ポップス」を聞き
ながら育った。「ボタンとリボン」とか「テネシーワルツ」「トゥヤング」の類の歌で、ど
れも日本語に翻訳されて江利チエミや雪村いづみが歌ってヒットした。昭和30年代
に入っても、このような”輸入歌”の傾向は続いていたのだろう。”オーシャンゼリゼ”
も今思うとそうなのだが、僕個人はすでに結婚して「ポップス」から遠ざかっていた。

音符もろくに読めない後期高齢者世代だが、なんとか皆と一緒に合唱した。指導者の
女性は秋の老人会にはステップを踏みながら、この歌を披露するのだと、脅した。せいぜ
い”年寄りの冷や水”にならない程度に社会参加しよう。








         デフレ 喜んでよいものか?

2009-04-13 05:57:35 | Weblog
不況下でも"勝ち組”といわれるUNIQLOから土日限定の超お買い物のちらし
が新聞に入ってきた。このところの陽気でそろそろクールビズが欲しくなってき
たので、広告につられて出かけてみた。私鉄駅から相当離れて不便な場所な
のに店の中のレジには行列ができる混雑ぶり。3月の売上げが前年同月比7・
9%増とう好調を物語っていた。

数日前、家の近くの寂れていた商店街の一角に"反省広告”で話題のイオン系
のスーパーが店を出した。売り場面積が狭く、こんな場所にスーパーが、と思
ったが、記念グッズと価格が魅力か主婦の行列が出来ていた。

老人の僕でも最近、デフレを感じるようになって来た。渋谷駅前の安売り市場に
出かけた時、一軒だけ閑古鳥の店があった。高級感の店だが、他店に比べ10円
は高い。日暮れ時、駅前の客引きの数がこのところ、めっきり多くなってきた。風俗
店だけでなくサラリーマン対象の店までである。不況で黙っていては客が入ら
ないのかも。

可処分所得が年金中心の僕ら老人にとって、デフレはある意味で歓迎だ。が、現役
世代は大変だ。15兆円の追加経済対策に期待を寄せているが、果たして効果はあ
るのだろうかー。デフレが不況の"追い風”になっては困る。給付金が出たら、せいぜ
いパーッと使って不況感を吹き飛ばそう。

      先行き不安の解消にならない 追加経済政策

2009-04-12 06:00:01 | Weblog
景気浮揚の策として1540000000000(15兆4000億)円という過去最大の追
加経済対策が発表された。与謝野財務相は"財政健全化のためにも景気
の底割れ防止”にもと思い切った"措置と自讃しているが、この内1000000000
000(10兆)円は追加国債で賄うことになる。当初予算の新規国債発行高330
0000000000(33兆円)と併せると今年度の発行高は4400000000000(44兆)
円となり、税収見込みを上回る可能性も出てきた。

経済に弱い僕にはよく解らないが、国債というツケが、次世代に回る事は間違い
ない。追加対策にざっと目を通した。雇用、環境、福祉医療、子育て健康贈与税
減税などなど。各分野に総花的にわたっている。これでなんとか景気が浮揚して
もらいたいとは思うのだがー。

社会の一線から引退して久しい後期高齢者だから、員数外のひがみかも知らない
が、どうも追加対策は、その場しのぎのカンフル薬にみえてならない。例えば贈与
税の減税である。ちょっとばかりの財産を持つ老人は、現在のような高齢者に酷な
時代に、とても恐くて、減税があっても生前贈与など出来ない。カンフル剤の必要
性は認めるが、今、必要なのは国民の先行き不安の解消なのだ。老人に限って言
えば介護施設の増設、面倒を看てくれる介護師の待遇改善なのだが。

高速道路での休日1000円乗り放題という策も、当初期待した経済効果をあげていない
そうだ。これから先行きがどうなるのか判らなければ、車で遊んでばかりもいられない。




          戦争体験世代の金婚式

2009-04-11 05:42:35 | Weblog
天皇・皇后両陛下がご結婚から50年を迎えられた。民間でいえば金婚式のお祝い
である。おめでとうございます。僕ら夫婦は明後13日で結婚54年、両陛下より若干
”先輩”だが、苦楽を共にした夫婦が健康でそろって金婚式を祝えるのは、これ以上
幸せなことはない。

天皇・皇后両陛下も戦争を体験した世代である。僕の昔の同僚に天皇陛下と一緒に
戦争中日光に学童疎開した友人(故人)がいた。彼から陛下が両親(昭和天皇ご夫
妻)の膝元を離れ、一般の子供と同じように苦労された話を聞いた。食糧事情も悪く空
腹の日々であったようだ。

天皇陛下が昭和28年、20歳の時、結核に罹り、32年完治するまでの4年間、闘病生活
をされていた、ことを今年初めて明らかにされた。あの時代は今のように栄養状態
はよくなかった。もしかすると、戦争中のご苦労の影響があったのかしれない。


両陛下には四つの”忘れてはならない”日があるという。それは沖縄戦終結の日、広島、
長崎への原爆投下の日、それに終戦記念日である。お二人ともこの日には、毎年黙祷
を捧げられているという。ほぼ同世代の僕には、この御気持ちが十分すぎるほど解る。
戦争を体験している世代には、やはり”戦争”から離れられないし、この気持ちを次の世代に
伝えなくてはならない義務がある。

それにしてもお二人のご成婚は、ついこの間のことのように思っていたが、もう半世紀
の月日が流れていたのだ。