1992.10.13(Tue) Vladivostok → Moscow
03:40 僕らの他にも外国人4人が待合室に入って来る。35分で出発だという情報が入って皆起きる。ようやく飛行機に乗れる。この後9~10時間のFlightの予定だ。しかし結局4時過ぎに飛行機に搭乗。今度の飛行機はイリューシン62型(IL-62M)だった。荷物と同じ出口から駐機場に出て、歩いて飛行機へ向かい、タラップを上る。タラップ上から真夜中の空港の景色を撮る。
ウラジオストク空港(1992) Google Map
搭乗口付近で航空機関士と話をする。彼は1980年に初飛行したと言っていたが、飛行機のほうはもっと古く、1967年製だときいてビックリ。25年前の飛行機で、私が1才のときから飛んでいることになる。金属疲労なんかしてないのだろうかと少し不安になるが、飛行機はメンテナンスをやっていれば、10~25年ぐらいには故障や重大な事故が少ないという話を信じることにする。外国人待合室にいた私たちはとっとと乗ってしまったが、一般客はこのあと徐々に乗ってきた。そして機内は何となく例の体臭で満たされていった。
06:00 ようやく離陸。結局15時間半の遅れだった!。半日以上もモスクワ滞在の時間が減ってしまったことになる。これから9時間あまり飛行機に乗るということは、15.5h+9h=24.5hで、まる1日=24時間を移動に費やしたことになる。上空に達した直後に太陽が昇り朝日が射し込むようになる。
08:00 山地の上空を飛ぶ。真っ白な雪山とタイガが見える。
10:00 朝食を食べる。黒パン、白いパン、ハンバーグ、ライス、サーモン、クッキー、それと持ってきたトマト。豪華ではないが、予想していたよりは食べられる。機内食のあとで、Andreさんがジュースや鶏肉、サラミ、キュウリなどの食べ物を持ってきてくれる。しかし我々は皆腹一杯で食べられない。好意には全く感謝する。
飛行機はずっとツンドラ地帯を飛行している。大小の湖沼の間を川が蛇行しているのが眼下に見える。そのほとんどは凍っているようだった。高度がどの程度かわからないので、川幅などもよくわからない。とにかく初めて見るばかでかい景色だ。
11:20時点で、下は全部真っ白な雪、その中に大小の河川が見える。氷原、雪原が続く。太陽から逃げるように飛ぶため景色はいつも朝だ。機内がやや明るいのと、景色に気を取られてつい下を眺めてしまうためと、いままでいたウラジオ時間では昼間であるため、ちょこちょこは寝ているのだが、本格的には寝られない。
12:00 下界はほとんど同じ景色が続いている。時速数百kmなのに前へ進んでいる気がしない。多少うんざりする。長時間の飛行なので、同じ姿勢で過ごすのは窮屈で、腰や背中が痛くなってしまう。
12:30頃に大きな川(オビ川だろうか。)を越えた。しかしその8~9割は氷で覆われており、川なのか海なのか、はたまた湖なのかさえもよく判らない。その20分後に、今度はウラル山脈かと思われる山地を越える。機体が少し南向きになり、極地からモスクワへ向かって南下しているのが感じられる。
13:50 機体がまた少し西向きになる。下には道路か送電線かパイプラインといった線的なものが見える。雪はここでも結構積もっている。
ウラジオとモスクワの時差は-7時間なので、時計を修正する。モスクワ時間で朝の08:30頃に着陸体勢に入る。だが、霧で視界不良だったのか、空港が混んでいて順番待ちだったのか、低空での旋回を30分以上繰り返す。雲の下に出て、空港や周辺の街の上空200~300mを有視界飛行で飛ぶのだ。着陸直前なのでスピードは抑えられており、また微妙な高度を保つため、エンジンのパワーの上げ下げを頻繁に繰り返している。飛行機が2度目の僕は、初めて経験することなので、こんなものなのかなぁとあまり怖くなかったが、F氏は相当怖がっていた。彼の目の前は座席ではなく仕切り壁だったので、いらついた彼は壁を蹴っていた。着陸後、彼は「あの状態があと10分続いたら俺、発狂してた!」と言ったのだった。
1992年10月 ロシア日記・記事一覧
#飛行機 #夕景・夜景
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