レーニン広場でまたバスを降りる。ここは今までの場所と違って、そこそこ人が歩いていたりたむろっていたりする。旅行中、最初の頃は、人が多い場所に行くと、やや緊張してしまっていた。いきなりロシア語で数人から話しかけられたりしたら、ちょっと困ってしまうのだ。写真を撮る時には集団からちょっと離れて、良いポジションを確保したかったのだが、思うように行動できなかった。だから帰国後に見比べると、全体に固さが漂っており、特に旅の前半は面白い写真が撮れていない。建物写真はできるだけしっかり撮ろうとしていたので、それなりには撮れていたけど。
ハバロフスク:医科大学 Google Map
レーニン広場の周囲には先にも書いたように、ハバロフスク州共産党中央委員会の建物、医科大学、病院、ホテルなどがあり、いかにも都市の中心、センターという感じである。しかし儀式的な広場で、市場などとして用いてはいけないからか、活き活きとした活動には満ちておらず閑散としている。
#広場 #大学
コメント有り難うございます。
ウラジオなどは外国人に開放されてから1年程度しか経っていなかったため、好奇の目で見られることも多かったです。その後、再訪はかなっていませんが、旧ソ連の各国はそれぞれに大きく変化したようですね。
物が無いのが当たり前だったウラジオに、日本の資本も関与したスーパーが出来てさまざまな食料品が並べられているのをテレビで見ると隔世の感があります。
1992年は冷戦の崩壊直後で、経済的な混乱が始まって、貧富の差も生じ始めていたようですが、それでもまだ当時は、西側資本からの投資を期待していたり、自由に発言できるようになった社会の方が遙かに良いという意見を多く聞いた記憶がありますが、秩序が崩壊して、貧富の差が拡大した現在は、ソ連時代の方が良かったという人もいると聞きました。
どちらも一長一短とも言えるし、急速に大きく振れると問題も噴出しがちだとも考えられるし、資本主義的な影響が冷徹に出てしまっているとも言えて、何がどうなると良いのか、一概には言えないものだなぁとつくづく思います。
残っているソ連っぽいものは、見た目のボロさはのぞき、最低限の機能は果たすようにできているものが多いと感じました。
ロシアの国力はソ連崩壊後に関わらず、極端に上がったり下がったりする傾向があるようですが、ベースは豊かな国だと思います。