駿河台の丘の上の文化学院が取り壊されたが、丘の下の神田女学園の方も、既に完全に足場で囲われ、解体が始められていた。
神田女学園
所在地:千代田区猿楽町 2-3
建設年:1935(昭和10)
構造・階数:RC3(後に4F増築?)
2006.6解体、2008年春までに建て替え
Photo 2005.3.25
神田女学園のHPには、建て替え後の予想図がある。こちらのほうは文化学院のケースより現状のものに近く、建物をそのまま7階建てに延ばす感じで計画されている。コーナー部が丸く、そこに出入り口が設けられ、時計の下に縦書きで神田女学園と記されるのは現在と同じ。aneppeさんの「秋葉OLの楽しみ探し」でも触れられているとおり、イメージの継承を考慮した跡が見られる。
写真では4階建てなのだが、日本近代建築総覧で確認すると、神田女学園は鉄筋コンクリート3階と記されている。写真を見直すと、たしかに壁面のアーチレリーフは3階までだし、窓割りも3階までと4階では全く異なる。壁面も4階はわずかに奥に引っ込んでいて、雨樋は3階から付く。というわけで、今までは気づかなかったが、当初はやはり3階建てで、かなり横長のプロポーションだったらしい。玄関の庇がカーブを描いてスーッと延びるのも、横長の流れるような形を強調するものだったのだろう。玄関のある角の方から見ると、かなりスマートで格好良かったのではないかと思われる。
資料が正しいのなら、後に4階建てに増築されたわけだが、その窓が横に連なっているので、横長の印象はあまり崩れなかったのではないだろうか。カーブを描いて長く尾を引くような校舎が、訪れる人に流麗な印象を与えていたような気がする。
今回は従来と似たデザインで、当初の倍以上の7階建てに建て替えられる。建て替えでは、個々のパーツのデザインは大体継承しているのだが、全体のフォルムは、横長から、縦長というかボックス状のものになる。
建て替えてヴォリュームを増加させるとき、この全体のプロポーションや雰囲気の維持というのはなかなか難しい、というかほとんどの場合、維持することができない。だが神田女学園の場合、パーツのデザインを似せてイメージの継承には配慮をしているようなので、是非、流れるようにスマートな印象も再現して欲しいなと思う。
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区 #近代建築 #学校
私も出身高校が建て替えられてしまい、
自分が学んだ校舎の写真をあまり持っていないので、
できるだけいろいろ残しておきたいなと思っています。
やっぱり、内側のつくりも違いますよ。
窓側に鉄の棒?で×(…骨組みたいなあれです)がありましたよ。普通はないですよね、見えるところには(笑
学んだ場所がなくなるのは、寂しい限りですが、関東大震災でも壊れなかったという校舎ですから…。安全のためにも、きれいにしたほうがいいでしょうね。
写真に写っている校舎の部分が残っている航空写真を見たことがあります。(玄関に飾ってあったかな?)
内部はどうだったか知りませんが、最後の頃まで外観が比較的きれいで、大事に使ってるみたいだなと思っていました。
建て替えは地震対策などもあって仕方なかったのだろうと思います。
新しくなっても似た雰囲気の校舎になるのは良かったですね。
まさか講堂も壊されてるとは・・・
私も講堂はそのままにしてほしかったです・・・
又三校長が亡くなってからずいぶん校風変わりましたよね・・・
建設の進行状況や、現況は知りませんが、今春完成予定なので、もうあらかた出来上がっているのでしょうね。
学校は現在と今後のことを考えがちになるのでしょうが、卒業生の気持ちとかにも配慮をして、愛校心を守ってほしいものですね。
建物の一部分、もしくはパーツなどが残されてると良いのですが。