都市徘徊blog
徒然まちあるき日記
 



 雨上がりの夕方、神田駿河台へ行き、解体が進む文化学院を見てきた。

取り壊し中の文化学院
Photo 2006.8.10

 マロニエ通りに辿り着いたのは、台風が去った後の夕方で、解体工事関係者も一日の仕事を終えて帰った後だった。

 構内の建物は既に大半が解体されて、瓦礫もあまり残されていないようだった。引き続き新築工事に向けて整地がされ、基礎工事が始まるのかもしれない。

 しかし、何故かアーチ型の玄関部分だけが3階まで残されている。全面的に解体するならこの部分も早い段階で壊されてしまうだろうに、他の大半が壊されたにもかかわらずご丁寧にこの部分だけが残っている。

 建て替え後の建物がどんな建物になるか、私は詳細は知らないのだが、文化学院のHPを見てみると、新校舎完成予想CGが掲載されている。設計は坂倉建築研究所。代表取締役の坂倉竹之助という方は、文化学院創立者の西村伊作という人の孫にあたるそうだ。

 CGムービーを見ると、新校舎は15階建てぐらいだろうか。玄関部分が現在と同じようなアーチ型になっているので、そっくりそのままあれを残して使うのかなと思ったが、よく見ると前面に公開空地を取って建物自体はセットバックしている。アーチを潜った先も大階段になっていて、ちょっと様子が違う。CGしか公開されていなくて、建築概要は示されていないので、即断はできないが、もしかするとアーチ部分を部分的に残して、新しい校舎のパーツとして復元利用するのかもしれないなと思った。イメージの部分保存というあたりではないだろうか。

 いま残されている部分が、そっくり新建物の一部になるんだったらもっと面白いとは思うのだけれど、建築家はどういう解決をするんでしょうか?。各方面から保存要望が出たりしていた旧校舎があっさり取り壊されてしまったのは残念だが、どういう形で、記憶を継承することになるのか、ちょっと楽しみ。

文化学院
所在地:千代田区神田駿河台2-5
建設年:1937(昭和12)
構造・階数:RC4
Photo 2005.3.25

 改めて、約70年前に建てられた文化学院の写真を見てみる。御茶の水近辺を知っている人の多くが、記憶している建物。文化学院といえば、やはりこの玄関アーチがシンボルだった。薄暗いアーチの途中に建物への入口があるのも印象的。

 表現派的な玄関アーチはデザイン上の大きな特色だが、実はその他には装飾的なものはあまりない。表通り側では3階にバルコニーがあるのがちょっと目立つ程度で、これとて夏場になれば街路樹の緑に隠れて気づく人も少ない。確かにクラシックなカレッジの雰囲気を持つ建物なのだが、建築デザインとしては、一部に放物線も使ったアーチ玄関が目立つこと以外にはさしたる特徴が無いように見える。

 しかしその壁面には一面に蔦が絡まっている。今回、写真を引っ張り出してみて、蔦が想像以上に全面に取り付いていたことに改めて気が付き驚いた。この年期の入り具合が存在感に繋がっていたんだなぁと再確認。

 建物の下を潜り抜けると四角い中庭に出る。周囲の校舎から声をかければ話ができるぐらいの手頃なサイズの中庭は、学生の溜まり場であり、小さいながらもキャンパスというものを感じさせる重要な空間だったに違いない。周辺の建物が次第に大きくなっていく中で、ボリュームとしては埋もれがちだったが、それにも関わらず一定の存在感を保ち続けてきた。個性的な卒業生を多く輩出したという伝統から来る存在感も勿論あるのだが、そういう個性を育んだ建物、空間だったのだろう。

 CGを見る限り、新校舎はビルなので中庭はちょっと期待できなさそう。でも低層部の上に屋上庭園みたいな部分があって、その上に高層部が載るCG画像だったので、中庭ではなくて今度は屋上広場になるのかな?

 建て替えの理由が、耐震性の低下とか経営上の問題だといわれると、それをクリアできる対案はなかなか出せない。だが、安易な建て替えはアイデンティティの喪失に繋がり、却ってリスクを伴う。学校などの場合、拠り所、アイデンティティは重要なものだ。面積や設備、収容人数といった数値では把握できない無形の価値、すなわち伝統とか校風とかアイデンティティが、校舎という有形の空間に保持されている。設備が良くなって、校舎が新しくなっても、学校の雰囲気が変わってしまうと、そこで育つ学生の質が良くなるとは限らない。下手すると、以前からあった長所が消し去られてしまう可能性すらある。

 新校舎の完成は2008年春だという。2年後、いままでの建物の記憶を少しでも継承した建物が現れて、伝統を保持しつつ、将来的にも魅力的な学校ができればいいなと思う。そして、御茶の水がこれからも学生街として、落ち着いた雰囲気のある街であり続けると良いのだがなと思う。

Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 千代田区  #学校 


コメント ( 2 ) | Trackback ( 1 )


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コメント
 
 
 
ちょっと寂しい (nosuke)
2006-09-05 12:40:05
初めまして。

文化学院大学部文学科の一卒業生です。

解体途中の学院を見るのはやはり辛く、とはいえその後どうなっているのかと思い、このブログにたどり着きました。

校舎がなくなっても、学校の魂が残ることを祈るばかりです。
 
 
 
確かに残念 (asabata)
2006-09-07 02:00:15
私も高校の建物が建て替わったりしているので、学舎が解体され、学生時代の記憶が失われる残念さは共感します。ただ学校組織自体が無くなってしまうと、手掛かりさえ無くなってしまうので、建て替えをしても何らかの形で残るのは、まだ少しましなのかなとも思うことにしています。他のサイトによれば、玄関アーチは取り壊さずに再利用を検討する方向のようです。以前の教室が無くなるのは残念でしょうが、一部が残って、後輩が往時の気分を味わって、精神を継承していってくれると良いですね。
 
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文化学院 (「帝都」の残映-東京・近代建築撮り歩き-)
            東京都千代田区神田駿河台2-5 建築年:昭和12(1937)年/構造:RC4階/設計:西村伊作  ご覧の通り、現在校舎の立て替え作業が行われており、取り壊し中。蔦を絡めた瀟洒な建物だっただけに残念 ...