まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

鉄は熱いうちに打て

2018年05月07日 | Weblog

と言うけれど。

こちら、珈琲は、どうもそれは当てはまらない。

この間、dretecと言うメーカーなのか、ブランド名なのか、早い話が。

電気湯沸かし器(瞬間)くらいのやつ、しかも、注ぎ口が、珈琲落としに最適で。

なんての、買ってきたんだけど、すかさず、喜び勇んで。

沸いた、淹れた、飲んだ。

ら、雑味、と言うのかな、味が、粗雑で、当たり前だけど、熱すぎだった。

過ぎたるは及ばざるが如し、ってわけだ。

そりゃ、静かな日常への闖入者が、熱湯、と言うことだからね。

「東山いっぷく処」でも、お姉さんが、水出し煎茶とでも言うのか、深蒸しだから別名があるのか。

いずれにしても、水から煎れてくださったお茶にひとくさりの説明。

これ、揺っちゃうと、えぐみが出てくるんです、なんてこと、思い出すな。

熱湯珈琲の顛末は、いろんな処に応用ができて、組織とかチーム、共同体。

人が集まるところでの出来事に、ね。

人肌でない、熱すぎの物言いは、瞬間芸としては、それなりの効果もあり、一同。

やるしかないか、みたいな気分にもなりがちだけど、それ、煽動、煽り、とも言えて。

老熟した社会、チームだと、なかなか、受け入れられず、湯冷ましのような。

平穏無事な、滞りのない、なんてことにもなりがちで。

真理、真実が時代をつくる、と言うより、熱量が時代をつくる、なんて表現もでき。

ま、どちらでもいいっちゃいいんだけどね。

この熱量を、もう少し、静かに鑑みますと、うるさい、五月の蝿のようなエネルギーではなく。

静かな、まるで、今朝の、ゴールデンな日々の明けた朝の雨みたいな。

こんな感じの様に、その熱量を変換するのは、たぶん、遠くまで行ける、遠くから来た。

大元、根っこ、から来たエネルギーなんだろうな、と思うのであります。

このあたりの書き方、よくわかんないかも、だけど。

少なくとも、珈琲は、湯冷ましにかぎる、って、「目黒のさんま」をもじってみるか。

昨日の新聞、実は最終面から読み始めて見た。

よく、三面から読んじゃいけない、一面から、なんてご教授賜る話、あるけれど、その真逆をやって見た。

なかなか、刺激的でよいかも、ではあるんだけど、その最終面に、柚木麻子さんと言う作家さんが書いていた。

「価値観のアップデート」と言う物言いが、面白くて、Evernoteへクリップしたんだけど。

その後、「かとうゆか」と言う方からのメルマガにも、同じ表現が出て来て。

この話、面白いんだけど、書き出すと長くなるので、ここらでよかか、だっけ。

コメント
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