昨日は、妹が母親のところへ、プラス、妻が一人では大変だろう。
ということで、来てくれて。
当方、買ったばかりの七輪で、何か、東京さ、では食べられないものを、と勢い込み。
それを酒の肴に、の趣向を凝らす、その前段、お酒でしょ。
ということで、庵原の酒屋さんにて、焼酎を、という顛末が。
表題なんだけどね。
阿久根、と銘打たれた、黒崎杜氏による焼酎があったんだよね。
これ、ビンゴ、ってくらいで。
というのも、南さつまは笠沙町、その職員さんの名前が、この銘柄と同じ。
しかも、ニギギノミコトの上陸された海岸が、黒瀬海岸。
そこは杜氏の里とも言われ、とね。
これをね、笠沙町へのお礼にお送りしようか、と考えてる次第。
黒瀬海岸でお会いした御仁、その彼を通じて遥かな旅をさせていただき、さらに。
わが故郷で、阿久根、に遭遇するという、ロマンチックな出来事があったわけだ。
そう、七輪の方は、備長炭の扱い、炭使いとでもいうか、そこがミソで。
難しい。
次男坊との共同作業で、炭起こしから、結果、彼が、バラ肉の串刺しを焼いてくれて。
われわれは、黒瀬の焼酎をいただいた。
その宴の前、テレビでは、藤田まことの遺作、と銘打たれた映画が流れていて、しばし、見いちゃったんだけど。
「明日の遺言」だったかな。
太平洋戦争の時、東海軍というものがあったのかな、その岡田中将が、藤田まことで。
敵兵処刑のかどで、米軍の手になる横浜裁判で絞首刑となる、その刑場へ向かうときのシーンでね。
送る部下たちに、大きな志を持って精進なされよ!と言って去っていく。
刑舎から出るときに、朝まだきの空を見上げ、いい月ですなぁ、と。
教誨僧に何やら言われ、なぁに、隣にいくような気持ちですよ、ともね。
その境涯は、閣下と呼ばれるにふさわしいものだ、と思った次第。
われわれが、野間岬へ向かった同時刻に、もう一方のグループは知覧へ向かっていて。
彼らからの感想なども聞きながら、僕自身も以前行った。
特攻隊の生き様死に様に関わるそれぞれの家族のことなどを思いつつ、藤田まことを眺めていた。
このシーンを演じるために、あたり前田のクラッカー、で有名な「てなもんや三度笠」もあったのか。
とね。
我が身に照らせば、保育園入園前、そんなとこ行くくらいなら死んだほうがマシだ。
と母親を困らせたシーンも、現在のこの立ち位置を演じるための大切な瞬間だったのか。
なんてね。
各瞬間瞬間が、切れ切れに、細切れに存在するように見えて、なんらかの連関のもとにあり。
かたや、繋がっているように見えて、日々新たなり、のことでもあり、というね。
鹿児島は、高見橋近くの東急REIが宿泊地で、そこから歩いて数分のところに、屋台村があり。
そこは、25軒の屋台が軒を連ね、三年に一度、コンペがあり、つまり、Jリーグのような入れ替え戦があり。
なんだけど、焼酎や鹿児島ラーメンを食したお店のバイト君、鹿児島大学の一年生だとかで。
あなたの声かけでお客さんの入りが決まるんだからね、くらいの語らいに、彼。
まだ一週間なんです、それに、人見知りで、なんて答えがあったから。
ほんの瞬間だよ、人見知り、なんてのは、勝手にあなたが思い込んでるだけで、一発声をだしてみれば。
あら、不思議、できるじゃん、くらいの気分になるよ。
それに、女性を口説くくらいの気持ちで、声、かけちゃえばいいんだよ。
なんて、当方、焼酎の酔いも手伝い、なんてシーンがあったんだよね。
さて、本日も南さつまと駿河の時空をさまよいつつ、さまざまな名場面を演じることにしますか。