今朝の、こんな早い時間から、わが社員さんが豊橋へ向かう。
と言うんで、何やら、荷物を積み降ろし、階下からの音が聞こえたので。
表題のごとくに、淹れたてのコーヒーを力水がわりに、と言いつつ、渡した。
当方は、健康診断につき、異物は取らないでね、の注意書きに従い、コーヒーは取らないんだけどね。
なんて時間があり。
昨日は、母親の、と言うことは、娘の、と言うことであるんだけど、誕生日で。
早速、鯵を買ってきて、研いだばかりの包丁でおろした。
刺身包丁の切れ味が良くて、三枚におろした後、気持ちよく切れた。
施設に迎えに行ったら、担当の方が、90歳なんですよね、お元気ですね、と。
若いですよ、とも。
今日からの三日間は、初めてのショートステイ、つまり、お泊まり保育みたいなものだけど。
90歳にして、チャレンジをすることになる。
本人は、家が一番いい、の決め台詞だろうけど、そこはそれ、郷にいれば郷に従うの習いでね。
それなりに対応して行くことになるんだろうと思うけどね。
鎌倉の病院へ、明日は貯血、と言うのだったか、手術前に自分の血をためておく、と言う作業を。
明日に続き、再来週かな、2度やることになっている。
半日ほどの時間をかけてやるようで、なかなか、慎重なものだ。
その間、母親のショートステイとあいなり。
なんてこと、書きながら思うのは、世に介護に関わる家族の、なんと多いことか。
と言うわけだ。
そういえば、昨日見えた、協同組合の御仁がおっしゃるには。
タイやミャンマーの人たちは、建設現場のようなところより、介護の仕事が向いていて。
なんて話が出ていたな。
民族性、と言うのか、国民性、と言うのか、その土地土地で蓄えられたDNAの。
ジャストフィットがそう言うことで、なんにしても、フィットすることが幸せへの道のりでもあり。
と言いつつも、落ちたところで咲け、みたいな言葉もあるからね。
フィットフィットと、シュプレヒコールを上げても、その実、不快を、不足感を際立たせるだけかもしれず。
よく、観光地の土産物コーナーにある、知足、なんて文字、あるでしょ。
足るを知る、ってのね、あれ、たぶん、なかなか、深い言葉だと思うね。
うまく書けないけど。
なんの、誰との、どことの比較なく、beingとでも言うか。
ただある、と言う姿勢ね、その上で、待つ、静かに待つ、と。
何を待つかといえば、身内、内奥からの炎、とでも書いておくとするか。
短兵急に、行動あるのみ、なんてスローガンに騙されない、あるいは、自身を騙さない。
とも言えるし。
この、待つ、と言う言葉は、加島祥三さんが言ってたな。
今は、信州は駒ケ岳だったか、の住人で、英詩の翻訳とか、ご自分で詩も書かれていたか。
老子に絡む詩を書いてた本の書名が、待つ、だった。
今になって、この言葉の意味がわかるような、実感としてね。
beingに静かにあると、って、なんか、変な言い方だけど、beingに徹していると、自ずと向こうからやってくる。
あるいは、現れるものは現れざるをえない、やむにやまれず、立ち現れる。
それを、自然、自ずから然り、と言うわけだ。