紫紺のやかた

紫紺のやかた

ノーベル賞受賞の小柴昌俊さんの訃報に思う

2020-11-18 11:53:44 | 回想
 11月14日(土)NHKの「ブラタモリ」でタモリが飛騨高山と神岡鉱山跡にあるスーパーカミオカンデ内部を見学する放送を見た。
1987年自らが設計を指導・監督したカミオカンデによって史上初めて太陽系外で発生したニュートリノの観測に成功、この功績で2002年にノーベル物理学賞をもらった小柴昌俊氏が94歳で亡くなったのが2日前の11月12日だったのであまりにもタイミングが良すぎて驚いた。
 小柴さんは横須賀のどぶ板通り近くから現在の県立横須賀高校(当時は横須賀中学)に通い卒業すると明治大学(当時は東京明治工業専門学校)に入学しほぼ1年在学ののち東京大学に入学した経歴から明治大学の「アカデミーコモン竣工記念式典」の際に明治大学名誉博士の称号が与えられて記念講演もあった。私は小学校1年生時がどぶ板通り近くの汐入小学校だったことと同じ高校の先輩でもあり、明大との縁も重なって身近な人として頭にあった。横高はノーベル賞、総理大臣、オリンピック金メダルの人物を輩出した高校として有名で高校時代オリンピックで金メダルを取った柔道のⅠさんの妹さんが同級生だったことも印象深く記憶に残っている。
 陽子崩壊の検出を主目的に岐阜県神岡鉱山跡に「カミオカンデ」が建設された理由は飛騨片麻岩という強度の高い岩盤をもつことと坑内に豊富な湧水があるため観測に必要な純水を調達しやすく、さらに坑内の気温が年間を通して13 〜 14度と一定している為、観測に必要な環境の保持が容易という特性だったようだ。父母の出身が岐阜だったこともあり当然飛騨のニュースは昔から特別に関心事だった。「ブラタモリ」の映像で飛騨片麻岩が出来た地質学上の経緯を知って飛騨の地が二つの大陸がぶつかった場所だったことを始めて知った。国歌に歌われた“さざれ石”の産地が飛騨であることも頭をよぎった。またスーパーカミオカンデの上をいくハイパーカミオカンデが2027年に実験開始を予定していてその規模の紹介もあった。

 11月16日明大地元校友会のT先輩から『ノーベル賞受賞時に高校卒業生の朋友会の代表として、受賞のお祝いを兼ねて2003年(平成15年)1月31日に東大の研究室に伺ってお話をさせていただきました。高校時代の様子の一部が生の声で伺えます。CDに保存してありましたので聞いてください。』とのメールをいただき当日そのCDが届けられた。先輩からの有難い話で、私は直接お会いしたことはなかったが音声CDを通して笑い声がより身近に感じられた。なおS君と2人で訪問したこのインタビュー時の記録が出てきた際は後日掲載したいと思っている。明大校友会横須賀地域支部のⅯ前幹事長と小柴さんとの対談のブログ記事を以前呼んだが、小柴さんの訃報に接し思い出して再度ブログも読み直している。
 現在NHK大河ドラマで“麒麟がくる”が放映中だが明智光秀と神岡城の接点は確認していない。同時代なので興味のある方は調べられたらと思う。

*参考検索資料:<タモリと小柴昌俊><神岡城が呼び寄せた未来への希望の施設><小柴昌俊さんとmakisimaさん>(yoo)