コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

白色名簿の灰色疑惑

2010-04-28 | Weblog

新しい選挙管理委員会が、バカヨコ新委員長のもとで、活動を再開したはずなのに、その後なんの音沙汰もない。2月にブルキナファソのコンパオレ大統領がコートジボワールを訪問したときには、訪問後の声明で、「4月末から5月初め」に大統領選挙の第一回投票を行う、という日程が示された。その4月末がもう来ているけれど、見てのとおり、何も動いていない。

人々は、バグボ大統領が大統領選挙をすると負けると思っているので、選挙に行けないように立ち回っているのだ、と噂している。新聞には、選挙管理委員会の事務所が開店休業状態で、「バグボがその気になったときに、起こしてくれ」と札を出して、居眠りしている漫画が出ている。人々はさらに、バグボ大統領だけじゃない、ソロ首相も選挙に行きたくないのだ、と噂する。選挙を実施することが最大任務の暫定内閣の首相だけれど、選挙が行われれば首相でなくなる。だから、できるだけ仕事が進まないようにしているのだ、と。

そういった側面が全くないとは言えないかもしれないけれど、このコートジボワールの政治危機には、もっと根深い問題が背景にあって、それで解決に至らない。つまり、選挙を行う話になれば必ず、コートジボワールの国民と認められるのは誰かという、国の成り立ちの根幹にかかわる問題が頭をもたげるのだ。「キャタピラの恩知らず」の小説の中で、「キャタピラ」と称された人々の問題である。

ブルキナファソやマリなど、北部のサバンナ地帯の、土地は痩せ気候は厳しい内陸の国々から、森と平野と雨量の豊かなコートジボワールに向けて、移民としてやってきた。彼らはイスラム教徒で、生活習慣も物の考え方も違っていたけれど、建国の父ウフエボワニ大統領は、彼らの勤労精神と忍耐強さを評価した。コートジボワールは「歓待の国(pays de hospitalité)」と国歌に謳われ、そういう外国人の移民をどんどん受け入れた。一時は、移民の人々にもコートジボワール国籍を与えたほどである。そして、カカオ・コーヒー農園などで働く彼らの労働が原動力になって、コートジボワールは奇跡の発展をとげた。

外国から移民としてやって来て、コートジボワールに定住した人々は、人口の26%つまり4分の1を占めるまでになった。その間に、1980年代ころより、カカオ・コーヒーの一次産品に依存した国家経済の経営が、だんだんうまく回らないようになっていった。経済のひずみがあちこちに出始め、社会の不満層が日増しに増えてきた。そんな頃に、ウフエボワニ大統領が亡くなった(1993年)。移民出身の人々は、いわば庇護者を失った。しかし、その頃にはすでに、そうした人々は親の世代から、子供、孫の世代になっていた。移民とはいえ、コートジボワールしか知らない、出身の国には生まれてから一度も行ったことさえない、という人々になっていた。

ウフエボワニ大統領の頃の選挙は、一党制のもとでの選挙であるから、野党の対立候補はいなかった。だから、誰が選挙権を持っているか持っていないかの問題は、人々の関心を引かなかった。ウフエボワニ大統領が亡くなってから、コートジボワールの大統領選挙は、与野党それぞれの候補者の間で、激しく戦われるようになった。だから、だれに選挙権があるのかないのかが、とても重要な意味を持つようになった。とくに北部の部族、つまり移民労働者と同じ系統の部族の人々が支持するウワタラ候補(元首相)が、実力者として脅威であっただけに、他の候補者は「彼は外国人だ」という理由で、選挙戦から排除しようとした。こうして、コートジボワール国民であるかどうか、いわゆる「象牙性(ivoirité)」の問題が、必要以上に政治化されてしまった。

そういう不幸な巡り合わせがあったのは確かだけれども、それ以上にコートジボワールの中部・南部の人々の間には、移民出身者の進出への危機感があった。よそ者のはずが、いつのまにか農園主になり、商店主になり、車を持ち家を建てて羽振りが良くなっていく。そのうちに、彼らよそ者たちに国を乗っ取られるのではないか。そういう危機感である。だから、「象牙性」の問題は、人々の大きな関心を呼んだのである。そして、その危機感を裏付けるかのように、北部から反乱軍が攻め立ててきた(2002年)。内戦による混乱の時期が続いた。そして、「ワガドゥグ合意」(2007年)により、いちおう政府側と旧反乱軍側が和解し、合同政府ができた。しかし、移民出身者たちの身分をどう考えるかの根本問題には答えが出ていない。

選挙を行うにあたって、まず大事なのは、誰が投票できるかを決めることである。つまり選挙人名簿をきちんと作成することだ。それは、誰がコートジボワール国民かをはっきりさせることである。この点について、「ワガドゥグ合意」は一つの答えに合意した。それは、まず前回選挙(2000年)の選挙人名簿をもとに、国民一人一人の身分認定を進め、「暫定選挙人名簿」を作ろう、そしてそれを発表した上で、その名簿の内容について異議申立てを受け付けて審査しよう、その結果を踏まえて「確定版選挙人名簿」を完成しよう、というものである。

そして、予定を大幅に遅れながらも、ようやく「暫定選挙人名簿」をまとめ上げるところまで来た。この「暫定選挙人名簿」は一本の名簿としてではなく、二本立てで発表された。つまり、有権者と審査された530万人の名簿(「白色名簿」と呼ぶ)と、身分登録は行われたがコートジボワール国籍だと証明する文書が見あたらない人々103万人の名簿(「灰色名簿」と呼ぶ)との、二本立てである。「灰色名簿」には、外国移民でコートジボワール国籍を詐称している人も含まれるだろうし、コートジボワール人なのに立証できなかった人も含まれるだろう。それぞれの人々について、異議申立てとその審査を経て、誰もが文句のないかたちで「確定版選挙人名簿」を作り上げよう、という算段であった。

マンベ前選挙管理委員長が失脚したのは、この103万人の「灰色名簿」のなかから、43万人分を、特に正当化できる理由もなく、一括して530万人の「白色名簿」のなかに組み入れようとした「詐欺事件」があったからだ、と言われている。「灰色名簿」の103万人は人数として大きく、この中からどれだけの人数が「白色名簿」に加わるのか、それが選挙結果の帰趨にも大きな影響を持ち得た。だから、「灰色名簿」をどうするのかに決着が付かなければ、「確定版選挙人名簿」にはならない。しかしながら、「灰色名簿」の問題が長引くようならば、問題がないとされる「白色名簿」530万人だけででも、大統領選挙に行ったらいいではないか。そういう議論も、外交団の間ではすでに行われていたのである。

ところが、マンベ前委員長の「詐欺事件」問題で右往左往しているうちに、論点が散らかり始めた。「人民党(FPI)」の機関誌が、「暫定選挙人名簿」全体を再検討すべきだ、という論説を掲げた(3月10日)。さらに、「人民党」の選挙対策本部長が、「白色名簿」の530万人にも、監査をかけるべきだ、と言った(3月19日)。これまでは、「詐欺事件」とかいろいろあったけれども、とにかく「灰色名簿」の範囲内の問題であった。ところが、「白色名簿」にも問題がある、ここにも国籍詐称が含まれている、というのだ。4月10日になって、首相府の報道官が、この問題に決着を付けるために、専門家委員会を設置する、と発表した。そして、この専門家委員会は、「白色名簿」の530万人にも審査を加えるという。

2008年の9月以来の身分認定作業にはじまる、長い時間と労力をかけてできあがった「暫定選挙人名簿」である。それが信頼の置けるものであるか否かを審査するというのでは、作業を振り出しに戻す危険がある。そして、「白色名簿」の530万人にコートジボワール国籍でない人が含まれているかいないか、と聞くなら、それはかなりの確度で結構な人数、含まれているだろう。なぜなら、2000年の選挙の時に使用した「選挙人名簿」を見て、そこに名前がある人は、ほぼ自動的に「白色名簿」に収録されてきた。しかし、その2000年の名簿のなかに、すでに外国人が入っている可能性が高いからである。

これらの人々は、かつてウフエボワニ大統領の時代に、コートジボワール国籍を付与されていたりして、国民としての権利と義務を行使してきた人々である。もう長い間コートジボワールに住んで、社会のなかで地位を築いてきた人々である。それでも、コートジボワールの人々の心の中に、この人々は国民ではない、選挙に参加させてはならない、国民として土地所有などに同じ権利を行使することは認められない、と考える部分があるようである。

コートジボワールにおいて、誰がコートジボワール人かの問題にはっきり決着がつくのを期待するのは、百年河清を待つような話だ。この問題に皆が納得できるのを待っていては、大統領選挙はいつまで経ってもできないだろう。だから「ワガドゥグ合意」では、政治的な決めが必要な問題であると考えられた。つまり、一定の作業と手続きを経て選挙人名簿が完成したならば、もう誰がどう彼がどうとは、つべこべ言わない、という暗黙の了解だったのだ。

「白色名簿」にも「灰色」がある、と言い出すのは、この了解と異なる。「白色名簿」への「灰色疑惑」には、選挙準備を元の木阿弥にしてしまう破壊力がある。

<新聞の漫画>

 「選挙管理委員会:クドゥがその気になったら起こしてくれ。」
4月20日付「愛国新聞」
注:クドゥ家はバグボ大統領の実家

 

 


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