コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

靴の思い出

2010-04-29 | Weblog

こじんまりした会場に、段ボールの箱が積みあがっている。日本語で「渥美半島の菊」などと記してあるので、どうも花材を出荷するための箱のようである。この段ボール箱が、日本から90個届いたのだ。中には、お古の運動靴がぎっしり詰まっている。そして、今日は全部で2600足の運動靴の、日本側からコートジボワール側への引渡しの日である。

この引渡し式に私を招いたのは、ボウン・ブアブレ開発相。日本からの運動靴を、彼の奥さんのやっているNGOが引き受けることになった、ついては日本大使にはぜひ渡す側の代表を務めてほしい、と言う。話は一昨年(2008年)の、アフリカ開発首脳会議(TICAD-Ⅳ)横浜会議にさかのぼる。コートジボワール代表団長として訪日したボウン・ブアブレ開発相は、そこで名古屋のNGOから依頼を受けた。コートジボワールの少年少女たちに、中古の運動靴を贈りたい。仲介して貰えませんか、と。

ボウン・ブアブレ開発相は、この話を快く引き受けた。日本の子供たちやご家庭から集められた運動靴は、荷造りしたうえでコートジボワールに送らなければならない。この橋渡しは、「アフリジャパン(AfriJapan)」というNGOが請け負い、通関などはボウン・ブアブレ開発相自ら手続きを行った。そしてコートジボワール側に到着してから、運動靴を必要とする子供たちの手元まで届けるのは、ボウン・ブアブレ開発相の奥さんのレアさんが代表を務める「SOS村(Village SOS)」というNGOが、行うことになった。

「アフリジャパン」のブレカ代表の挨拶のあと、私に挨拶が促される。靴を集めた人々がどういう人々なのか、全く面識はない。以前の杉山さんの「運動靴を贈る」話とは、別の運動のようだ。でもとにかく、日本の数多くの子供たちや、学生たちや、ご家庭の気持ちがこもっている運動靴である。この事業に参加した人々のそういう気持ちを代表して、挨拶をしなければ。

「子供たちには、靴はとても大事です。学校に行くにも、畑に行くにも、市場に行くにも、サッカーをするにも、お祭りに出るにも、靴はとても大事です。でも、貧しい家の子供たちには靴がない。村に行くと、靴を履いていない子供たちを、よく見かけます。私はそのたびに、胸を痛めています。」
私がそう始めると、そうだそうだ、お祭りに履く靴がないと悲しいものだ、と誰かが言う。

「そして、今日ここに運動靴が届きました。このたくさんの運動靴は、どこから来たのでしょう。日本の名古屋と岐阜の方々が、皆に呼びかけて集めた靴だと聞いています。一つ一つの運動靴は、誰か日本の少年少女の持ち物でした。一つ一つの運動靴が、少年少女たちとの間で思い出を持ち、歴史を持っているのです。その思い出と歴史を持った靴が、海を渡って今度はコートジボワールの少年少女たちと、新しいお付き合いをするのです。日本だと、足に合わなくなって捨てられる運命にあった運動靴たちが、またこれからも履いてもらえる。ほら、運動靴たちは大喜びです。」
皆も一緒に笑っている。

「古くなった運動靴を集めて贈るというのは、いい協力ですね。まず、日本の子供たちは、世界には靴さえ履けない子供たちがいるということを思い、その子供たちへの支援ができるということを知り、そして自分の靴を提供して、人を助けるということを学びます。それから、私にも記憶がありますけれど、足に合わなくなった靴が靴箱にたくさんあって、勿体ないけれど捨てるしかない。それを再利用できるのです。これは資源の有効利用だし、環境問題に役立つものです。」
コートジボワールの子供たちが、末永く運動靴を愛用してくれたら、運動靴を贈った日本の人々には大きな喜びとなります、と締めくくった。

ボウン・ブアブレ開発相夫人レアさんが、「SOS村」代表として登壇して、運動靴を寄贈してくれた日本の関係者への感謝の言葉を述べた。この2600足の運動靴は、およそ100足ずつに分けて、「SOS村」に加盟する、アビジャン周辺の貧困地域の村々に、これから順次届けられる、と説明した。そして私は、運動靴の入った段ボール箱を一つ抱えて、彼女に渡す。そこで記念撮影。

最後にボウン・ブアブレ開発相が、挨拶に立つ。
「さきほど、日本大使が靴の思い出ということを言われた。私にも靴の思い出があります。」
私のほうを見て、話を始めた。
「子供の頃、仲良くしていた従兄弟がいて、いつも一緒に遊んでいました。伯父さんが二人に靴を買ってやろう、そう言って運動靴を買ってくれたのですが、二人で一足だけでした。それでも嬉しくて、二人で交代でその靴を大事に履いて、町に行ったり、学校に行ったりしたものです。それは白い靴だったんですけれど、汚れたら白いチョークを上から塗って、大事に大事に使っていました。
あるときサッカーの試合で、二人とも出なければならない。困った、どちらがその靴を使うか。そしたら、私は左利きで、従兄弟は右利きだった。だから、私は左足に、従兄弟は右足に、その運動靴を履いて出たのです。」

一箱の段ボール箱を開けた。中には、ぎっしりとお古の運動靴が並んでいた。どれも同じ柄の靴だから、おそらくどこかの中学か高校で使われた、体育の授業用のお揃いの靴だったのだろう。「高橋」とか「細江」とか、黒い文字で書いてある。
「ほら、これはこの靴を履いていた生徒が、自分の名前を書いたものですよ。日本の学校では、持ち物にはちゃんと持ち主の名前を書くように、指導するのです。」
漢字が読めるのは私だけだから、ここは説明しておかなければ。ボウン・ブアブレ開発相は、ほほうと言って感心した。「高橋」靴も「細江」靴も、ちゃんとコートジボワールに届いて、新しい主を待っている。

「そうよねえ、靴にはみんな思い出があるのよね。」
傍らにいたイシア市長が、私に言う。彼女は、女学校の寄宿舎にいたときに、はじめて新品の靴を親から買ってもらった。
「それはそれは嬉しくて、とても気をつけて履いていました。地面が汚れていると、靴を胸に抱えて、裸足で歩くこともしばしばあったのです。そしたら、あるとき、食事の席に行って、履いていった靴を、そこに置き忘れて帰ってきてしまった。裸足で歩くのは普通のことでしたからね。靴を履いていったことを忘れて、裸足のまま出てきてしまったのです。寄宿舎に戻ってから気が付いて、もう真っ青。幸い、食事の席で靴を見つけた人が、持ち主を散々探して、その日の夜になって私のところに届けてくれました。」

2600足の運動靴たちは、新しい持ち主のところに行って、子供たちの一人ひとりに、またそれぞれの靴の思い出を作ってくれることであろう。

 日本から届いた段ボール箱の山

 「アフリジャパン」のブレカ代表

 ボウンブアブレ開発相
隣は夫人のレアさん(「SOS村」代表)

 届いた運動靴

 靴に名前が書いてある

 靴を手にするボウンブアブレ開発相



<新聞記事>(画像クリックで拡大します)

 岐阜新聞(2010年3月4日付)

 中日新聞(2010年3月5日付)

 「ソワール・アンフォ」紙(2010年4月30日付)
「2600足が、SOS村に供与される」


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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
やはり杉山さんでした。 (筆者)
2010-05-17 06:04:16
その後、杉山さんから連絡をいただき、今回の2600足の運動靴も、NPO法人「ぎふ・コートジボワール」が準備して、こちらに送られたものであるということでした。岐阜県内の高校生の皆さんが、卒業に際して不要になった運動靴を寄附されたものだそうです。関連の新聞記事を、ブログ記事本文に<新聞記事>として載せました。
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