コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

選挙への覚悟と気力

2010-09-04 | Weblog

それは、今からちょうど10年前、私はコソボに勤務していたときの話である。セルビアのミロシェビッチ大統領が、1999年3月のNATOの爆撃によりコソボから撤退した後、国連が暫定統治に乗り出した。現地に設置された国連コソボ暫定統治機構(UNMIK)に、私は日本政府から派遣されていた。

UNMIKには、コソボで選挙を実施するという任務があった。それで、私は、これから実施される選挙の素地を作るという仕事をしていた。コソボのアルバニア人たちは、ミロシェビッチの圧政下で、自由で民主的な選挙の経験を持たなかった。それに、戦争直後のコソボの人々には、セルビア人への憎悪や敵意がむき出しだった。そのまま選挙を行っても、反セルビアの民族意識だけが前にでて、コソボに残る少数のセルビア人たちへの迫害に走るような政治に陥りかねない。そこで、クシュネール特別代表とともに、コソボ全土を順に回り、寛容の精神でコソボの未来を築かなければならないこと、民主主義を実践するとはどういうことか、などを説いて回った。

だから、いよいよ2000年11月、コソボで初めての民主選挙を行うことになったときには、私もさまざまな準備に奔走した一人として、たいへん誇らしい思いであった。私は、投票日の当日、同僚とともに車を走らせて、地方の投票所の表情を見に出かけて行った。そこで私は、襟を正す思いをした。コソボで民主主義を教えて回る仕事をしてきたつもりであったのに、私は却ってコソボの人々から、選挙の本質について教えられたのである。

国連は今でこそ、世界各地で選挙を実施するという経験を重ねてきている。しかし、当時のUNMIKは、まだまだ不慣れで不手際が多かった。手伝いの人数も、決定的に不足していたように思う。投票日の当日、投票所にはどこにも、長い長い列ができていた。身分登録の不備や、手続きの不手際などがあり、一人ひとりの名前と選挙人名簿を同定し、書類を確認するのに、たいへん時間がかかっていた。それでもコソボの人々は、何時間も、いや半日以上も、じっと投票の順番が来るのを待っていた。あいにくの悪天候で、雨さえ降りだした。それでも、忍耐強く列に並んで待っていた。誰も国連職員に文句をいう人はおらず、むしろ列に並ぶことを喜んでいるようにさえ見えた。

私は不思議なことに気がついた。多くの人々がアルバニア人の民族衣装を着ている。とくに女性たちの民族衣装は、華々しく晴れやかであった。その豊かな色彩は、おおぜいの人々が列をなし、雨と雑踏とで泥だらけの投票所の風景には、いかにも不似合いであった。私は、傍らの人にこの様子を話題にした。そこで教えてもらったのは、ここでは民族衣装は、結婚式などの祝いごとにしか着ない正装である、ということであった。そこでようやく、私は理解した。10年以上に及ぶ圧政の下にあったコソボの人々にとっては、選挙は民族の自治と自立の表現に他ならなかった。民主主義を取り戻したという喜びと、選挙という行為の厳粛さを、民族衣装が表現していた。コソボの人々は、最高の礼をもって、民主主義を迎えていたのだ。

投票箱の引渡し式の演説に戻る。私は、コソボでの以上の話を紹介したあと、次のように述べた。
「コソボの人々は、一人ひとりが、一市民としての名誉と責任をもって、投票をしようとしていたのです。多くの人が、民族衣装の正装を着て投票に臨んだのは、その誇りの気持ちを表していました。」

私は、コートジボワールの有権者に呼びかけたいと考えた。
「皆さんも、私と同様に、選挙の実施を待ち望んできました。でも、私は傍観者でしかありません。主体として選挙に取り組むのは、皆さんです。政治指導者たちが、苦労の末に、選挙の日取りを決めるという仕事をやり上げました。今からは、有権者の皆さんに、民主主義を築いて国を繁栄の未来に導いていく仕事が、期待されているのです。」

「選挙は、サンタクロースのように向うからやって来るというわけではありません。選挙は、クリスマスのプレゼントのように、この国の未来を与えてくれるわけではありません。皆さん一人ひとりが、民主主義を作る。それは国民としての使命なのです。民主的で、公正で、平和な選挙を実現していくというのは、国民全員の使命なのです。選挙運動を通じても、投票日にも、暴力があってはいけません。コートジボワール人である皆さんが、民主主義の勝利にむけて、関与することを期待します。そして、いったん政治指導者が選ばれれば、今度は、その人とともに国家再建に取り組むのです。選挙は、それ自体が目的なのではない。」

「選挙を成功させれば、コートジボワールには明るい未来が待っています。そしてコートジボワールにおける民主的な選挙の実施は、アフリカの民主化が進んでいることを、世界に示すことになるでしょう。それは、コートジボワールの人々にとっては大いなる誇りとなるはずであり、アフリカにとっては希望となるはずなのです。」

最後に、日本はコートジボワールとともにある、と付け加えた。そして、
「コートジボワールの将来は、皆さんの手にあります。」
私はそう演説を締めくくった。
拍手はぱらぱらと疎らであった気がする。この選挙管理委員会の会議室に集まった人々は、政府の役人が大半だから、何だか日本大使は、コソボまで持ち出して、独りよがりな演説をしたものだ、と思われたかもしれない。それでも私は構わなかった。

私たちはもう疲れているのだ、とコートジボワールの人々はよく私に言う。大統領選挙を待ち望んでいるのに、一向に行われないから待ちくたびれた、と言う。そういうコートジボワールの人々を見て、私は何と呑気なことだろう、何もしないでいて疲れたとは、と思う。選挙は、自分の民主主義の権利の問題なのに、誰かが与えてくれるものを待つという、あの無気力な性根が垣間見える。そんな風では、政治家たちも、選挙を軽く考えて等閑にする。コートジボワールの人々が、ほんとうに選挙を実現したいと思うなら、選挙を自分の使命と考えて取り組む、覚悟と気力がなければならない。

私は、投票箱を日本から供与する機会に、テレビカメラを通じて、新聞記者を通じて、コートジボワールの人々を、叱咤激励したかったのである。

 挨拶するバカヨコ選挙管理委員長

 投票箱と仕切台(向う側の段ボール)と選挙キット(手前の灰色の箱)

 選挙キットの中身

 投票箱を持ちあげる選挙補助員
三色旗のチョッキも、選挙キットに入っている。

 キットの中身を点検する。


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