コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

ブルリ潰瘍という業病

2010-09-13 | Weblog

何とも無慈悲な病気があるものである。「ブルリ潰瘍(ulcère de Buruli)」と呼ばれるその病気は、皮膚を溶かして壊死させる。ある日、腕や膝や胴体や顔や、体のどこかの皮膚に突然穴があく。その穴がただれてだんだん広がっていき、皮膚が溶けて無くなった部分は肉が露出する。その肉もゆっくり溶けていき、最後には骨までが外に露出してしまう。それでも、致死性はない。

患者の写真は、正視に堪えない。体の表面が大きく削れて、真っ赤な肉がそのまま見える惨状になる。身体が変形していき、関節部分にまで広がると、動かなくなる。潰瘍の生じた足や手は、そのまま使えなくなり、身体障害が起こる。患者の苦しみを救うためには、病原菌に冒された部分の肉を削り取って、傷口に別の皮膚を移植して縫い合わせるしか、治療方法はない。しかし、こうして治療しても、潰瘍に襲われた肢体の部分、とくに関節部分の萎縮は、元には戻らない。

この病気は、コートジボワールやガーナなど、西アフリカに限って多く発生している風土病である。だから、これまでも余り研究が進んでいない。「見放された熱帯病(neglected tropical diseases)」と呼ばれる病気の一つである。川べりの村などで、水辺に関係した生活をしている人々に、発症する傾向があるので、水生昆虫が媒介しているという説があるけれど、ほんとうの原因や、感染経路は分らない。貧しい村々に発生し、呪術信仰からは「魔法使い」の呪いの結果だ、と断罪される。時には偏見や差別の対象となる。以前に記した小説に出てきたママの病気とは、これだったのではないか。

そして、この病気には、さらに深い業がある。罹患するのは、その7割が、15歳以下の子供なのだ。まだ人生を始めたばかりの子供が、この病気に冒されて、皮膚を奪われ、体の動きを奪われていく。そして、この子供たちを救うためには、皮膚の移植手術をしなければならない。手術で救われても、体の障害が残る。義肢や歩行補助機具などを身に付けないと、日常生活が送れない体になる。

それで、コートジボワール政府の保健省をはじめ、いくつかのNGOが、この子供たちを救うために活動している。ワクチンなどの治療法があるわけではないので、救援活動は主に、早期発見による治癒率の向上、潰瘍が進んだ患者への手術の補助、そして手術後に残った後遺症である身体障害への対処である。そうしたブルリ潰瘍患者を扱っている病院の一つである、ジェカヌ総合病院に、日本も支援をすることになった。

ジェカヌ総合病院は、アビジャンから北西に200キロ走ったところにある、ジェカヌ(Djekanou)の町にある。この病院には、すでにブルリ潰瘍の除去手術を行う病棟があって、多くの子供が入院している。この病気の厄介なところは、闘病が長期に及ぶことである。手術を何度も行い、皮膚移植を完了するまで、少なくとも半年はかかる。入院と手術には、50万-70万フラン(約10-15万円)という、庶民には気の遠くなるような費用が必要だ。それが払えたとしても、患者が子供であるから、治療期間の間、母親が付き添わなければならない。そして、子供はその間、学校を休まなければならない。

こうした、患者の子供と家族にとって、余りに大きな負担を、少しでも軽減してあげようというのが、日本の支援の中身である。まず、付き添いの家族がゆっくり滞在して、食事なども調理できるような休憩室が必要である。これまでは、病院内でそうした休憩室がなかったし、入院患者が使える調理の施設が院内になかったので、子供に食べさせる食事は、常に外から持ち込まなければならなかった。この休憩室を設ければ、そこで簡単な料理を作ることができるようになる。

そして、入院中の子供たちの補習授業のため、教室を整備する。学校を休む間、子供たちが勉強を続けられるように、NGOが教師を派遣して補習授業を提供している。ところが、授業を開くための教室がなかった。さらに、手術が終わった子供たちの、萎縮したり変形したりして動かなくなった足や手を、リハビリで何とか機能回復する、あるいは義肢や補助具などで、少しでも使えるようにする。そのための専用の建物が必要だった。これも整備しよう。

草の根無償資金協力の枠組みで、3800万フラン(約1千万円)を投じて、家族休憩室、屋外待合室、補習授業教室、リハビリ施設を、病院の敷地内に新たに建設した。そして、私は先日(8月20日)、ジェカヌ病院に赴いて、これら施設の供与式典に出席した。式典には、アカ保健相もアビジャンから同行してくれた。

私は式典で、次のように演説した。
「この病気には、多くの人々の心を合わせて取り組む必要があります。つまり団結です。そして、このジェカヌ病院のトラオレ院長、お医者さん、看護士さんたちが、そしてこのジェカヌ町の住民の人々皆が、まさに患者の子供たちを何とか救いたいと、団結の心で取り組んできました。コートジボワール政府も、「ブルリ潰瘍対策国家計画」を策定して、ブルリ潰瘍への取り組みを進めてきています。アカ保健相の指揮のもと、政府もこの団結の心を表明しています。」

「決定的な治療法が見つかることを期待しつつ、とにかく今私たちにできるのは、患者の子供たちの未来を考えてあげることです。子供たちの未来が、この病気によって損なわれることを、少しでも防ぐことが大事です。そういう趣旨から、日本はジェカヌ病院の要請に応じて、今回の協力を通じて、皆さんの団結に加わることになりました。」

私の演説に続いて、アカ保健相は、日本は医療や保健の分野でも、積極的に協力を打ち出してくれている、と感謝の言葉を述べた。ジェカヌ病院の院長はじめスタッフの皆さんには、日本の支援を活用して、ブルリ潰瘍に苦しむ子供たちを是非とも救ってあげてほしい、と結んだ。そのあと、私とアカ保健相は、いっしょに各施設を回り、一つずつ建物のテープカットを行った。

病気の子供たちは、私たちの前に現れなかった。病院側は、その症状が余りにも残酷なので、皆さんにはご覧いただかない方がいい、と言った。私は、子供たちに直接声援を送りたかったので残念だったが、その事情も良く分った。今日は病棟で静かにしている子供たちに、私は心で声をかけた。病気は身体を冒すかもしれないけれど、君たちの心や未来はどうかしっかり守ってほしい。そのために、日本が建てた施設が、少しでも役立つといいが、と私は願った。

 ブルリ潰瘍施設の供与式典会場

 式典に参加したアカ保健相

 地元の部族長たちも集まった。

 病院の前に勢揃い

 子供たちの踊り

 ザウリ(Zahouli)というグロ族の踊り

 日本が供与した施設

 補習授業の教室

 日本の協力の表示がある。

 屋外休憩施設

 台所がちゃんと付いている。

 横顔



9月4-6日付「ランテール」紙
「日本は、教育と社会福祉のための、一群の建物を寄贈」


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2 コメント

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ブルリ潰よう (シスター勝)
2010-09-18 20:28:14
岡村大使様
私達、クリスト・ロア修道女会がこの病気で苦しむ患者さん達と出会った頃はまだ病名も分からず、その地方では「ダロアおでき」とか「ベテおでき」と呼ばれていました。病院の片隅で子供達を集めて識字教育やコーラスの練習などやったものです。あれから20年近い歳月が過ぎました。何名かは、まだ小さいうちに亡くなりましたが皆ハンディを背負いながらも逞しく生きていることだと思います。私は3年前に帰国しましたが、今でもダロア県ズクブ群、クリニック・センミッチェルでブルリー潰ようの治療とサポートを続けています。機会がありましたら、どうぞお訪ね下さいませ。子ども達と会えます。そしてどうぞ励ましてあげて下さい。
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子供の感染症が無くなりますように。 (石川晃一)
2010-11-05 13:37:05
国立感染症研究所の石川と申します。
大使のブルリ潰瘍に対する思いがひしひしと伝わってきました。。私どもは、ガーナの野口研(今年の3月まで1年程と過去に2年ほど家族でガーナで生活をしておりました)との共同研究で現地で早期遺伝子診断が可能な検査法を作り、現在論文にまとめているところです。大使がご指摘の様に、早期診断、早期薬剤治療により予後が大きく変わります。流行地が都市部と離れた所にある場合が多く、電気等の設備がなくても出来る遺伝子診断をと考えました。いつの日かコートジボアールでもブルリ潰瘍が撲滅しますようにお祈りいたしております。
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