コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

近代農業の信仰

2009-02-28 | Weblog
「優良種子の普及といっても、ただ生産量の高い種子だといって提供するだけでは、農民は使わないですよ。」
山中光二さんは、そう語る。山中さんは、「優良種子普及計画」に、チーフアドバイザーとしてJICAから派遣された農学博士である。なぜ農民が使ってくれないか。それは、単に農民が頑固で、優良といっても耳を傾けないからだけではなさそうだ。
「優良種子とされる品種は、実はいろいろな条件が満たされてこそ、その優良性が発揮される。つまり、耕運、播種、施肥、殺虫剤の散布など、所要の作業がきちんと行われてこそ、所期の優良な成果をあげるのです。」

だから、優良種子の受け入れには、栽培技術の向上や、耕作のマネジメント全体の改善が伴わなければならない。それがなかなか大変なのだ。おそらく農民もそれを聞いて、しり込みするのではないか。収量を上げるために、肥料や殺虫剤などの費用が余計にかかるとなると、ちょっと待てよと思うだろう。山中さんによると、問題はさらに複雑である。
「農作物は、生産のところで単に収量を増やしても、農民の収入増には必ずしもつながらないのです。つまり、農産品が売れてこその収入なのですが、その売れるという見通しがしっかりしない。商品化まで面倒を見てやらないと、農民は生産を増やすということに乗ってこない。出口戦略とでも言うのかな、商品として出すところをよく改善することが重要です。そうしないと、生産増というのは単なる作り過ぎでしかなく、腐らせるだけになります。入り口の生産のところばかり一生懸命になっても、農民は動かないのです。」

出口戦略の観点からは、優良種子の普及にも増して、商品化技術の指導が有効だ、と山中さんは話す。
「例えば、米は収穫したときに20%くらいの含水量です。これを乾燥させて、14%くらいにしたときが、一番おいしい米となる。ところが、ここの農民は、天日乾燥により、11%から9%くらいまで乾かしてしまう。品質として味が悪くなるだけでなく、それだけ重量も減りますからね。そういうあたりの指導をするだけで、農民の収入はかなり改善するのです。」

私は、コートジボワールの田舎で見た、農作の様子について話をする。野菜畑だ、と案内されたら、いろいろな野菜がごちゃまぜになって植わっていた。その栽培技術の低さに、農業技術指導の重要性を感じた、と話す。ところが、農学博士の反応は、意外なものであった。
「それがいいんですよ。同じ種類を大量に植えると、例えば害虫が大発生するのです。年間を通して、いろいろな種類を少しずつ植えると、まず害虫が発生しない。だから、殺虫剤が要らない。それから、いろいろな種類の植物が、相互作用を及ぼすことが分かっています。植物は互いに助け合っているのです。近代農業は、そういうことを全部切り捨てる。結局、本来無用な肥料や殺虫剤で、そのあたりを補わなければならない。」

結局、土地に伝わる耕作方法や、農民が長く作ってきた作物が、最良の選択肢となっている、という学説もあるということだ。山中さんは、バイオマス(=ある地域に現存する生物の総量)という考え方を紹介してくれる。
「作物の場合、地上の植物体を刈り取り、乾物重(dry matter weight)として測定します。この乾物重の年間の生産量から、バイオマスの年生産量を推定できます。その土地に生えた植物のすべての重量というのは、つまりその土地で年間に生産されたエネルギー量全体を意味します。近代耕作は、伝統的な耕作に比べると、バイオマスで劣ります。だって、そうでしょう。収穫というのは、緑を全部取り除くわけです。そして土地が耕され、土がひっくり返っている間は、緑が無くて光合成が行われない。土地のバイオマス生産量からいえば、その間日光が無駄になっているわけです。」
つまり、耕さない農法のほうが、太陽の恵みをより生かしているのであって、生態の経済からは十分な根拠があるというわけだ。

「耕運機で土地を耕し、本当は植物の根元だけにあればいい肥料を、土地全体に混ぜ込む。肥料が大量に必要となるだけでなく、そうすると雑草にも栄養が行くから、こんどは除草剤が要る。肥料や除草剤や殺虫剤を、大量に使うように出来ているのが、近代農業だという見方もあります。」
山中博士の話を聞くうちに、私は農業開発というものも、現代人のある種の信仰にもとづくものであるような気がしてきた。

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