蛇口屋

リフォーム業界のあれこれ

蛇口屋な昔話①

2007-04-08 20:13:30 | Weblog
今日は選挙でしたね。
蛇口屋は家族総出で、近くの小学校まで投票に行って来ましたよ。
もうだいぶ雪も溶けていて、良い小春日和でした。


蛇口屋が初めて現場を経験したのは、忘れもしません。小学校3年生の時です。

当時、設備屋だった実家では、それ以前から、ねじ切り機を使って、鋼管を加工していたり、ボイド管(スリーブ)をノコギリで言われた寸法に切ったりっていうお手伝いでお小遣いを稼いでいました。

そりゃあもう荒稼ぎで、小学生の当時としては、いつでもミクロマン(知らない人はお父さんに聞いてみよう)ぐらいは買える金額は持っていました。
アクロイヤーやタイタンは買えませんでしたけどね。

職人さん達はいつも、朝の6時半頃、ふらりと家にやって来ては、父と二言三言相談して、そのまま数分も経たずに現場へ行ってしまうために、早起きしないと、昨日のうちに頼まれていた鉄管やらボイド管やらを見せれないので、少年な蛇口屋も仕方なく早起きしていました。物の優劣によって金額が決まりますからね。蛇口屋も必死でしたよ。

そんなある日、職人さんの長の人。父の弟(ちょっと複雑ですが血は繋がってなかったそうです)H吉さんと言う方がいました。多分、蛇口屋の人格構成上、最も影響を及ぼした、もしかしたら、実の父より、父親としての機能を果たしてくれた重要な人物です。
その方の詳しい話はまた後日として、その日、そのH吉さんが初めて、「現場で任せたい仕事がある」って言われて、夏休みの初日に現場初体験となったのでした。

連れて行かれたのはある山村の中学校で、学校の増築工事をしていました。
今でもそうか判りませんが、当時、校舎って、増築を考えて、校舎自体の延長の為に、校舎自体が途中でぶっつり切られた様になっていて、むき出しの梁や壁から鉄筋が出ていました。
水道管もそれと同じで、地中深くの所で、排水管と給水管がプラグ止めされていると言う話で、任せたい仕事というのは、この給水管を掘って探し出すことでした。

重機であらかたは掘るのですが、細かいところは手で掘って行かなければなりません。
自分の身長よりも深いところで、ハシゴ使ってバケツで土を出すって仕事をほぼマル一日していました。

誰もいない見たこともない初めて行く学校で、遠くの方から重機の音とか聞こえて、その合間に蝉の声。時折怒鳴っているんだか笑っているんだかって声が響いてきて、土の臭いが、湿度が体を包んで、掘り下げるスコップの剣先に当たる石とか、煉瓦、ガラスの破片、掘り出して見るまで、やたらと期待して集中してひたすら掘り続けていました。
気がつくと、上の方にH吉さんが、「ほら」って良いながら、缶コーラ(当時ですから250ミリ)をくれて、少し休んで、カラスの声が聞こえる頃に、インチの水道管と150の排水管を発見して、それはもう大喜びでした。宝物を掘り出したような気分ですよ。

みんなに褒めて貰って、家に帰るときは、なんかもう一人前の職人さんになった様な気分でしたね。

今考えてみれば、時間かかりすぎだろ、かつての俺! 今なら数時間も掛けられないよなあ。

あの頃、友達と遊んだ思い出みたいに、今でも鮮明に覚えていますよ。