遊爺雑記帳

ブログを始めてはや○年。三日坊主にしては長続きしています。平和で美しい日本が滅びることがないことを願ってやみません。

報道の自由と宗教の尊厳への冒瀆

2015-01-15 23:58:58 | my notice
 フランスの政治週刊紙「シャルリー・エブド」が銃撃テロに襲われた事件。テロ行為は、いかなる理由があろうと許されることではなく、世界各国が一致協力して撲滅にあたらねばならないことは、言うまでもないことです。
 しかし、「シャルリー・エブド」が風刺画を表紙に掲載した特別号を発行するに至り、報道の自由と宗教の尊厳への冒瀆とのかねあいについて、国際世論は別れてきている様です。
 遊爺は、信教の自由と尊厳は、報道の自由と共に尊重されねばならず、報道の自由とはいえ節度が必要と考えていますが、冒瀆は控えるべきとの世論が少なくない様です。
 世界の反応を、読売が報じています。
 

「シャルリー」特別号 風刺画転載対応割れる 各国メディア 「表現の自由」「宗教冒瀆」 (1/15 読売朝刊)

 
フランスで銃撃テロを受けた政治週刊紙「シャルリー・エブド」が14日、イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を表紙に掲載した特別号を発行した。表現の自由か、宗教への冒瀆か━━。注目を浴びる今回の風刺画転載を巡り、フランスを含め世界のメディアの対応は分かれた。

欧州
 【パリ=三井美奈、ロンドン=佐藤昌宏】フランスの左派系リベラシオン紙は14日、1面の全面を使ってシャルリー紙の風刺画を転載し、「売店にいます」の見出しを掲げた。社説では転載を自粛したり、絵柄をばかして掲載したりした外国紙を批判し、「政教分離はシャルリー紙だけでなく、フランスの方針でもある」と主張。リベラシオンは事件後、シャルリー紙に編集室を提供している。
 ル・モンド紙は14日付の1面で、イスラム、ユダヤ、キリスト3宗教の信者が共に風刺画を楽しむ様子を漫画で掲載。一方、保守系フィガロ紙は転載を見送った。風刺画は14日の発行前にメディアに公開されていた。
 英国では主要5紙のうち、ガーディアン、インデペンデント、タイムズの3紙が13日か14日の紙面にシャルリー・エブド紙の最新号の表紙を掲載した。BBCテレビはニュース解説番組で短時間、表紙を映した。ガーディアンは、表紙の掲載について「報道する価値がある」と説明した。
 ドイツでは大衆紙「ビルト」が最終面の全面を使って転載したのに対し、有力紙「フランクフルター・アルゲマイネ」は、シャルリー・エブド紙最新号が山積みになった写真を小さく載せたにとどまった。
 一方、デンマーク紙ユランズ・ボステンは、2005年にイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を掲載したところ、各地でイスラム教徒の暴動を招き、同社へのテロ未遂も起きた。同社は9日付社説で、ムハンマドの風刺画はどんなものであっても二度と掲載しないと発表している。「我々はこれまで、テロの恐怖におびえてきた。暴力や脅迫に屈してしまったということだ」と説明した。

慎重姿勢が主流
米国

 【ニューヨーク=広瀬英治】米主要メディアは「宗教的な感情を害する」などとして風刺画を転載しない慎重姿勢が主流だ。ニューヨーク・タイムズ紙は長文の記事を掲載する一方、風刺画は転載しなかった。同紙は、編集方針として「宗教的感情を故意に害する表現は一般的に掲載しない」と表明している。
 AP通信は、ニュース画像としてムハンマドを題材にしたシャルリー紙の一連の風刺画は配信しない方針だ。「一貫して人種差別的な表現や、宗教的、性的な中傷表現は避けている。報道上の必要があっても、画像は差し控えるなど表現を抑えることはある」という。
 米主要テレビも手控えるところが多い。CNNのウェブ上の記事によると、同社首脳は編集会議で「経営者として従業員の安全を守ることの方が今は大切だ」と述べたという。
 一方、ワシントン・ポスト紙は、今回の風刺画を転載した。記事の中で、マーティン・バロン編集主幹は「ムハンマドの描写そのものが侮辱的だと考えたことはない。宗教グループに対して明白に、故意に、または不必要に侮辱的な表現は避けるという方針は変わらないが、今回はそれに当たらない」と説明している。

題材には批判的
インドネシア

 【バンコク=永田和男】イスラム教徒の人口が世界最大のインドネシアでは、有力紙「レプブリカ」が9日付社説で、シャルリー・エブドが預言者ムハンマドだけでなくローマ法王ら宗教指導者の風刺画を掲載してきたことを批判的に紹介した。そのうえで、「表現の自由を絶対視する欧米に対し、宗教がこの上なく重要なものだと訴えるには、慎重で系統だった取り組みが必要だ」と述べ、言論に暴力で立ち向かった今回の犯行を批判した。
     ◇
 読売新聞グループ本社広報部の話「表現の自由は最大限尊重すべきものだと考えている。ただし、今回の風刺画を掲載するかどうかについては、社会通念や状況を考慮しながら判断していく」

「イスラムへの挑発」
中東

 【カイロ=久保健一、テヘラン=酒井圭吾】イスラム教徒の間では、シャルリー・エブド特別号を批判する声がソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)などで急速に広がった。
 エジプトのイスラム穏健派組織「ムスリム同胞団」はフェイスブック上で「シャルリー・エブドがいう言論の自由は、イスラム教侮辱に利用されている」などと批判。イランでもフェイスブックなどに「イスラム教徒への挑発としか思えない」などの書き込みが相次いでいる。
 メディアも「預言者への攻撃に等しい」(エジプト主要紙アル・アハラム)、「全イスラム教徒に剣を突きつけた」(イラン紙「ジャパン」)など批判の論陣を張っている。
 トルコのアナトリア通信によると、同国の裁判所は14日、特別号を転載したウェブサイトの閲覧を制限する措置を決めた。裁判所は「宗教は守られるべき価値。表現の自由は、他者の権利との兼ね合いで制限されるべきもの」などとしている。

 シャルリー紙に編集室を提供している仏・リベラシオン紙は、シャルリー紙の風刺画を転載し、社説では転載を自粛したり、絵柄をばかして掲載したりした外国紙を批判しています。
 ル・モンド紙は、イスラム、ユダヤ、キリスト3宗教の信者が共に風刺画を楽しむ様子を漫画で掲載。一方、保守系フィガロ紙は転載を見送るといった状況で、仏国内でも温度差が観られます。

 英国では主要5紙のうち、ガーディアン、インデペンデント、タイムズの3紙がシャルリー・エブド紙の最新号の表紙を掲載。BBCテレビもニュース解説番組で表紙を映したそうで、総じてシャルリーを支持。
 ドイツは、大衆紙「ビルト」がシャルリーの表紙を転載、有力紙「フランクフルター・アルゲマイネ」は、シャルリー・エブド紙最新号が山積みになった写真を小さく載せたにとどまるといった様に、メディアによって対応が分かれた状態。
 デンマーク紙ユランズ・ボステンは、2005年にイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を掲載したところ、各地でイスラム教徒の暴動を招き、既にムハンマドの風刺画はどんなものであっても二度と掲載しないことにしている。欧州では、シャルリ支持と、ムハンマドの冒瀆となる表現を控えるものとに分かれている状況。

 米主要メディアは「宗教的な感情を害する」などとして風刺画を転載しない慎重姿勢が主流。
 イスラム教徒の人口が世界最大のインドネシアでは、シャルリーの風刺画には批判的で、今回の暴力は批判しながらも、表現の自由を絶対視する欧米に対し、宗教の重要性を訴える意向。
 中東のイスラム教徒の間では、「預言者への攻撃」「全イスラム教徒に剣を突きつけた」等シャルリー・エブド特別号を批判する声が広まっているのだそうです。

 日本はどうすべきか。宮家氏は「欧州に学ぶな」と題して、風刺画への違和感と、移民導入について日本は欧州の先例をどう学ぶのか、学ばないのか、決断を迫られていると警鐘を鳴らしておられます。
 

欧州に学ぶな (1/15 【宮家邦彦のWorld Watch】)

 
ついに恐れていた事件がパリで起きた。フランス生まれのイスラム過激主義者が風刺週刊紙本社に乱入、自動小銃を乱射して記者や警官十数人を殺害したのだ。この許し難い蛮行には驚愕(きょうがく)と憤りを禁じ得ない。犠牲者のご冥福を心からお祈りする。
 欧米メディアは連日、言論・表現の自由の重大な侵害として事件を大々的に取り上げた。各国首脳も口をそろえて「卑劣なテロを断固非難」した。当然だろう、異存などあるはずがない。だが、あまのじゃくの筆者はどこか引っ掛かる。ここは誤解を恐れず疑問点を挙げてみよう。

 まずは問題とされた風刺画の質だ。漫画家たちに「表現の自由」があることは疑いない。風刺画の内容を変えろとか、掲載するななどというつもりもない。
驚くのは風刺画家たちの無知と傲慢さ
だ。
 特に、
預言者ムハンマドに関する一部の風刺画は第三者の筆者が見ても悪趣味としか思えない
。漫画家の自由はあくまで「表現」の自由であり、風刺に関するフランスの一般キリスト教徒と同程度の許容度をイスラム教徒に求める権利までは含まない。もちろん、北朝鮮を扱った米国のB級映画や今回の趣味の悪い風刺画にも「表現」の自由はある。だが、欧米マスコミの金科玉条的報道にはやはり違和感を覚えるのだ。
 キリスト教徒だけではない。
次に違和感を覚えるのは、今回の事件についてイスラム諸国の指導者やオピニオンリーダーが多くを語らないこと
だ。なぜテレビカメラの前でこの野蛮なテロ行為を明確に非難しないのか。風刺画の内容がひどいからテロリストに同情するのか。そうではないだろう。されば、なぜ沈黙を守るのか。この点も実に気になる。
 第3に、この問題は表現の自由にとどまらない。今回の悲劇は、
イスラム勢力の過激化と極右勢力の台頭という欧州社会の変質・両極化、さらには欧州各国内の非キリスト教的なものに対する差別意識の根強さ
を象徴している。欧米の識者は事件の背景として欧州の経済的不振・貧困の拡大などを挙げているが、理由はそれだけではないだろう。
 確かに貧困は人々から他者に配慮する余裕を奪い宗教的過激主義を助長する。しかし、移民2世、3世たちが今も貧困から抜け出せない真の理由は
欧州各国で台頭する排外的民族主義の差別ではないのか。非キリスト教徒移民を受け入れながら、結果的に国内の格差・不平等を解消できない最大の原因は、実は欧州諸国自身が作り上げたシステム自身の破綻にある
のではないのか。

 最後に、最も気になることがある。こうした欧州諸国の現状は
日本の将来を暗示しているのではないのか、という漠然とした不安だ。長い伝統の中で健全な市民社会が生まれたこと。経済の成熟により出生率が低下し、人口が減少したこと。それを補うため移民導入を断行し、短期的には一定の成果を挙げたこと等々、日本と欧州には共通点が少なくない。しかし、例えば英仏は旧植民地から多くのイスラム教徒移民を受け入れ、現在国内のムスリム人口は全体の5~8%に達するという。イギリスが移民の宗教・文化を尊重するのに対し、フランスは世俗主義の尊重を移民に求めるなどスタイルの違いはあるが、結局は両国とも新移民の同化に失敗し、イスラム過激主義という爆弾を抱えてしまった
のだ。
 それでは日本はどうか。人口の減少は現実の大問題であり、減少率はフランスをはるかに上回る。労働力不足を埋めるため日本は大規模な移民受け入れに踏み切るのか。踏み切った場合、欧州諸国が直面した問題を克服できるのか。欧州とは違いイスラム教徒の移民は少ないだろうが、新移民の同化が困難な点は日本も同じだ。
欧州に学ぶのか、学ばないのか。日本はいま決断を迫られている。

 再生エネルギー導入の先例で、その破綻を示してくれている欧州。人口減への対応での移民受け入れの先例でも、破綻の先例を示してくれています。
 欧州の、貴重な先例は、是非学んで同じ轍を踏まない対策を考えることが日本に求められますね。



 # 冒頭の画像は、フランスでのデモに参加した各国首脳




  この花の名前は不明です。




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