『らくだばオーナー』井之口らくだ。の笑いと感動日記

2009年2月25日念願の夢叶って『関西酒場らくだば』を開店。その日々、経験する笑いと感動を日記にしてご紹介。

沖縄ブラザーズ

2008-06-06 | Weblog
おーい、カズキング。
沖縄から、がめこ、きよったで。

弟、連れて、きよったで。
兄と弟の会話。
なかなか、熱かったで。

「なんで、靴の専門学校通ってんのん?」
ボクは、弟くんに聞いた。

兄は、あ、オレ、それ聞いてなかった。
と、返した。

兄弟って、意外と、話してないもんだ。

「靴は、そのヒトに合ったモノを作れるからです」

メーカーといいながら、お客様の顔が見えるから。
とても、シンプルな理由。

ボクはいった。
「そうそう、ボクもね、ビールメーカー希望やったけど
 ビールをお客さんにだして、飲む瞬間、飲んだあとの喜ぶ顔
 それ見たかったから、今の仕事してんねやで」

へー
と兄。

ちょっと、兄の前で、真剣なこといってしまった。

兄は
「らくだ店長の、まじ話、初めて聞いた」
といっていた。

ちょっと、恥ずかしかった。

でも、弟くんの話、とても
いいと思ったんだよね。

自分の弟も今、資格の勉強して
がんばっている。

おーい、育正ー!
これ、読んでるかー。

また、一緒に、飲みながら、夢語ろうなー

と、直接、メールしないあたり
それが兄弟。

だって、恥ずかしいんだもん。

ちなみに、兄の浩之は
ボクとちがって
まったく社交的な人間ではないけれど
(ま、ボクもネクラですけど)
とっても、優しい男です。

ここぞ、というときに
その優しさ、まじ、心にしみる!ぐらいの
優しさの持ち主。

さりげないんだよなぁ、その言葉ひとつひとつ。
とっても、不器用だけど、
尊敬できる兄貴です。

がめこ兄弟も、みてて、とっても
ステキな関係でした。

さすが、沖縄人。
あったけーなー。

泣いていた、あのヒトへ。

2008-06-06 | Weblog
彼は電話口で泣いていた。
大の大人が泣いていた。

うん、うん、と聞いていた。
聞くだけしかできなかった。

そりゃ、人生
いろいろあるさ。

でも、死ぬ気で
働ければ、なんとでもなる。

愛するヒトのため
愛するモノのため

一度、失ったものを
取り返すのは
困難なことだけれど

また、取り返して欲しいと
思う。

思います。

また、いつかの
あの日のように
電話口で、笑いあえる仲に。

もう、この日記、
読んでないかもしれない。
読んでる状況じゃ
ないかもしれない。

でも、ボクがいうことでは
ないけれど
人生の先輩に向かって
生意気かもしれないけれど

がんばって欲しい。

小さい頃、
母親が泣いていたのを
思いだした。

大人が泣くとき
それは、エライ
ツライことがあったとき。

エライツライ状況だろうけど
いいこと、ある。
きっと、ある。

笑うときは大勢の時に。
泣くときはひとりの時に。

強く、生きて欲しい、と
思いました。