恐ろしいほどの大雨に見舞われる地域がある一方、こちらは昼には外にでるのをためらうほどの猛暑が続いています。被害に遭われた地域の皆様にお見舞いもうしあげます。
そんな中、変わることなく決められた時間に静かに運行している空の星や惑星たち。惑星までは見る余裕も、天候にもめぐまれませんでしたが、昨夜も21:28の月の出に合わせて22時過ぎに外に出てみました。すると、雲がぽっかりと浮かんでいて、その間に月が見えてもよさそうなのに、月はみえず。雲が白くみえていないところも、雲があるようでした。
それが、1番下の左の写真ですが、ここから間をあけて、また外に出て見ると・・・2回目の時には雲があるものの、月が「ここにいるよ~」としっかり空に姿を見せてまってくれていました。
1番左の写真の左下は月ではなく、街灯です!白い雲がその右上とやや離れたさらに右に2つ浮かんでいました。
最初に見た22:13のNo.1の写真を撮ってから約30分後。2~5の写真、及び下の大写しの月を撮りましたが、その間22:55~22:58と約3分の間の写真です。 雲に邪魔されたりする中で、月がいい姿を昨夜もみせてくれました。
昨日は、ずっと家にいましたが、夜になって、ふと、気が付いたことがありました。
実家には、外国航路の貨物船の機関長をしていた父が、船の中で余暇として描いた寄港したリオデジャネイロの絵が、居間にずっと飾られていました。そして、偶然にも、私は結婚後、夫がリオでジャネイトに転勤することになり、子ども3人と家族でリオデジャネイロに6年間住むことになりました。
そして、自分のルーツ探しの為に戸籍を取り寄せた話をちょっと前に書きましたが、それにも思いがけない発見がありました。
私は週に2度、千葉市の登戸神社のそばで仕事をしていたのですが、友人と駅まで帰る途中に友人が登戸神社のところでいつも手を合わせるので、私も一緒に手を合わせて帰るのを習慣にしていました。
すると、戸籍にの祖父と祖母が亡くなった住所の「新町」というのが、何と、登戸神社付近で、しかも遊廓がそばにあったことが分かりましたっ!
ネットで調べると、<千葉市には花街「蓮池」というのが有名だが、実は明治12年、原田新五郎という東京の人が発起人となり千葉新地遊廓ができ、登戸に新設された遊郭は3000坪の敷地面積で正面は県道に接し、東西に門を設けていた~>というのが分かりました。
実は、戦後すぐに亡くなり、私があったことのない父方の祖父は婦人科の医者でした。遊廓の中で医者をし、その後も新町で開業していたというところまで戸籍から分かったのですが、何と、私がしばらく仕事をした地に、父の家族が生活していたのでした!
もしかしたら、登戸神社はお祭りも盛んなようだったので、父も家族でよく登戸神社に出入りして手を合わせていたかものかもしれません。
リオデジャネイロも、千葉市の登戸も、もともとの縁があって、私が呼び寄せられたのかもしれないと思えました。
これまでの友人や知人との巡り合わせもそうですが、私は、本当に偶然が繋いで、いろいろな人たちやものに出会って生きてきたと思ってきました。(自分の意志で選択して、そうした出会いや生活をしてきた~)と思ってきましたが、その繋がりが 実は過去の縁に引き寄せられたり、助けられたりしてきた結果だったこともあるかもしれない。そんな風に、昨夜は感じられてきたのでした。
あなたにも、私のような経験はありませんか?