felizmundo's website

月の満ち欠けに時の流れを感じながら、皆でそれぞれの持ち時間を楽しく意味あるものにしていきたい。

詰め込み教育か、ゆとり教育か

2007-12-23 10:52:00 | 日記
  写真ブログ(http://navy.ap.teacup.com/felizmundo/)の方に、昼の3時にとった白い月の写真を掲載しながら、ふと、ゆとり教育について考えた。

  ゆとり教育を文科省が進めたせいで、日本の教育は崩れたと言われている。確かに、ルートを3と教えるのは行きすぎだと思うが、今、天体に興味をもってみて、詰め込まれた学校の天体知識が浅薄な知識に終わり、今のような感動や興味をもたらさなかったことを残念に思い起こす。

  月に満ち欠けがある説明を、当時の私は確かに教科書通りに説明でき、テストでは正解を書けただろう。でも、実は月から本当に学ぶべきことは、まったく学び損ねていたと感じる。
  
  今、ゆとりを持って月を愛でながら月のことを学ぶと、滲みこむ様に頭に入ってきて、実に楽しい。子供達が、詰め込み教育の再開で知識の取得に追われ、月を見上げる機会を失ってしまえば、それは、逆行の逆行で何も解決にならないだろう。
  
  詰め込みに追われれば、そこには「遊び」部分がなくなる。遊びがない知識はいき詰って新しい発想を生まず、生かされずに死んでしまう。「遊び」は楽しく、楽しければ知識の取り込みには加速度がつく、というのは多くの人が経験で知っているはずだ。

  ゆとり教育の間違いは、ゆとりで「詰め込みの箍」を緩めただけで、この「遊びの楽しさ」を子供達に伝える力量が、親にも先生にも不足していたことだ。詰め込み教育、受験戦争で「遊びの楽しさ」を知らずに育ってきた人間が、「ゆとり教育」の看板だけで教育の内容を変えることはできなかったのだ。

  ゆとり教育見直しの後、教育がどう動いていくか心配だが、団塊世代がリタイヤしてゆとりを持つ世代となりつつある今、そのゆとりをフル活用して知識を楽しく再構築して、子供や孫達に「遊びの楽しさ」を伝える大きな力となれれば、と思う。団塊世代よりやや後発の私も、その一人になりたいと思っている。

コメント
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