幼なじみのTちゃんに所用で電話しました。
黄泉の国から、と言ったらオカルトになりますが、本当に地の底から響くような陰気な声が伝わってきたのは予想通りです。
体調が悪いと訴えるTちゃんを、せめて電話だけでも以前の張りのある大声で明るく終わらせる方法はないかあれこれ考えました。
私の、くよくよしないあまり自分の年まで忘れるこのいい加減さ、少し分けてあげたい。
それとも何かちょっと刺激を与えてみたら、ベッドに籠った暗いマンネリから案外たやすく脱出できるかもしれない。
Tちゃんは小説を地でゆくような悲劇のヒロインです。
人の一生は生まれたときに運命が決まっているそうですが、次々彼女ひとりを狙い撃ちしてくる悲運は、本当に人力では避けられない大きな力を感じさせました。
同じ世の中で不思議なほどの幸運に恵まれて一生を終えるひともいる、なんとも不公平な世の中です。
喜怒哀楽も一生を通算したらみな同量だというのに、Tちゃんが流した涙はもう10人分くらい、運命の神様はどうやってこの「落ち」つけるのでしょう?
昔の手術の後遺症でかなり重症のC型肝炎、そのときのコバルト治療で推定骨年齢90歳の骨粗鬆症と念入りです。
幾重にも絡まった家庭環境に病弱の身を攻め立てられ、明るいO型人間だったのがいつしか陰気なばぁさんへと変わり果てました。
おっと怒らないで。私もお仲間同年齢のババァなんだから。
一日の大半を布団の中で、お先真っ暗行く末ばかり想像して落ち込むそんな時間をまずできるだけ短縮すべし。
よくよく考えてお見舞いの品物でなく自分の美術展のチケットを送りつけました。しかも周りの友人たちの分までおまけつきで。
だって根はホント、世話好きなんだから。
ホラ、昔はいつも円陣の真ん中でヒソヒソと、仲間にいろんな知恵吹きこんでいたじゃない
薔薇いろの頬、きらきら光る瞳、輝いていたね。
券を配ってみようかという気でも起きたら、一石二鳥の刺激療法になるし我ながらいいアイデアでは。
ところがしばらく様子を見ても、彼女からは何の音沙汰もありません。
電話で様子をうかがうのも怖くなってきました。
少し動けばすぐ骨折で救急車という事態になるかもしれない、若しも転んで十何度目かの緊急入院する羽目になっていたら…
しまった!短慮だったかも!
そうこうするうち、トライアングルの一角にいるもう一人の友人から声がかかりました。
「久しぶりTちゃんからの電話。
いつも地の底へ引きずり込まれるあの声が、なんとまぁ青空から降り注ぐように晴れやかな大声なのでびっくり仰天、返って力づけられちゃった」
よかったぁ。
親代わりに育てた孫の事故死はたしか年末の出来事、それが彼女の悲運の最後となりますように。
券は配ってくれて、かわりにこちらから出向き再会する約束を、自分勝手をした罰にと引き受けました。
もう二度と危ない橋は渡らない。
ようやく安堵の一息ついたあと、さてそれ以降も引き続くTちゃんの健康をなんとか明るく元気づける方策はないかしら?
いやでも気づくこのいい加減さ、仕事の合間も懲りずちらちら頭をかすめるのはもうどう仕様もありません。
だから開き直るしかないのです、
どうぞこれからも見放さないでくださいまし。