名優 緒形拳さんの死を悼む
朝起きてそのニュースには驚愕した
訃報に「まさか・・」とおっしゃる方は多いが
本当にまさか・・と感じた
長く会ってないが元気な方だと信じ込んでいた
はじめて仕事をさせていただいた時
その仕事に対する情熱、取り組み方の“強さ”に驚き、畏怖した
会社帰りに玄関でドアを開けると、娘の恋人の靴を発見し、
怒り、居間に向かう・・という短い芝居の説明の時
私は「3秒靴を見てください。それで怒った気持ちになっていただいて、その間に男の靴のアップを撮ります。その間、怒った顔で待ってていただいて、中に入ってください」と説明したら
「そんなテレビ的芝居ができるかあ!感情は一瞬だ!何秒とかで測れんっ!ワシはすぐあがるっ!お前がちゃんとそれを見逃すなっ」
と激怒され頭をゲンコツで殴られた
「ううっ・・(テ、テレビなんだけど・・)」
緒形さんの手は大きい
痛かった
衆人環視の中、猛烈に屈辱だった
私の連ドラデビュー作「ポケベルが鳴らなくて」というドラマ
反発心も猛烈に芽生えたが
どんな小さな芝居でも自分の演技的生理を全身でぶつける演者=緒形さんの存在感に圧倒された
「ぱっぱっとやって早く終わろー」なんて思っていたであろう私の心を見透かされていたような・・・
自分を恥じた
私がこの人と“戦う”には映像の存在感しかないと決意
連ドラの5本目からの登板だったがそれ以前の作風と大きく変わる映像演出をした
不連続なアップの連続
水平感覚を失う手ブレ・・・
チーフDからはめちゃくちゃ怒られたが
どうせ殴られるなら思い残すことなく・・・意地だった
その後のドラマ作りの基礎となる
最終回、台風の中、撮影を待っている間、はじめて緒形さんとじっくり話をさせていただいた時に、そんな映像についてお褒めの言葉をいただいた、驚き恐縮
「お前はヘンだ。映画を撮れ」といわれる
制作会社から派遣された一介のドラマ演出の私には思いがけないお言葉だったが
その言葉がドラマから映画に向かう“恐怖心”を乗り越え
後押ししてくれたのも事実
その後、恐る恐るお願いした映画「さよならニッポン!」を主演していただく
沖縄の小さな島の村長が日本から独立して大統領になるという“演説”がテーマの荒唐無稽な話だったが
何度も夜、ホテルで演説原稿の確認をさせられるほどの気合いをいただき
そして何度も怒られた
琉球の開放感にこだわる緒形さんの気持ちと
ある種の政治戯画を撮りたい私の気持ちが重なって
興奮する作品作りになった
一連の宮古島作品の始まりにもなった
国内公開成績はぱっとしなかったが
(内容的にオウム事件と重なる点が多く、プロデュースサイドが弱腰に、公開も遅れる)
NYのリンカーンセンターで公開されるなど一部の評判にはなった
私のオリジナル映画企画の初めての作品だった
その後、舞台や映画やドラマやCFで活躍する緒形さんの姿は毎日見る
その度に「いい加減な演出してないかっ!」と叱責されているような気持ちになる
5~6年前、真偽は定かではないが人づてに「さよならニッポン!パート2」やりたいと緒形さんが言ってたよ・・と聞く
嬉しかった
企画書まで書いた
石油メジャーと国際女スパイが狭い島を暗躍し
混乱の果てに緒形大統領が広場に一同を集め
“世界を叱る”内容
ぬるい演出家としての態度を最初に殴り飛ばされたあのゲンコツの痛みを忘れたくなかったからだ
その企画書は誰の眼にも触れずに終わった
残念だ
全く残念だ
緒形さんの書く字が好きだった
やはり主張ある人生、反骨精神のある人生、拳を持つ人生、そして優しい眼を持つ人生を送る方は
メッセージとしてメディアとしての文字を持つんだなあ・・としみじみ思っていた
あらゆる意味で尊敬に値する方だった
最後にお会いしたかった
殴って欲しかった
ご冥福をお祈りします
堤幸彦