堤幸彦の2018日記

空趣味、日記など
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3月最後

2011-03-31 21:06:02 | 日記

         

次なるステップへの準備が進む。

場所を探したり、内容を調べたり、スタイルを想像したり。

その過程で、また新たな人との出会いがあり、

アイデアが生まれる。

動き回ることで「何か」が創出される。

積極的に関係を創出すべきだ。

移動して獲得するのだ。

今はそれは細い関係であっても、いずれ開花する。

止まってはならない。

50代も半ばだが、よりスピードを上げるべきだろう。

多少、体がきついがそれが必要な「時代」だと思う。

 

3月最後。

生涯忘れられない3月になった。

 

 

 

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千種駅

2011-03-29 17:54:27 | 日記
今日明日名古屋。

いつものように陽が暮れて、
今日一日無駄じゃなかったかどうか、
何を産み出したかを確認する。
微粒子程度の前進でも前進であれば良しとする。
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山北町

2011-03-28 14:15:37 | 日記
ロケハン。
多くの命が失われた同じ月、
降り注ぐ陽光の中、新しい生命の息吹を感じる春が来る。
毎年繰り返される事だが、
まったく違って見える。
桜の薄桃色も両面的な居心地の悪さを覚えるだろう。
足取りは重いが、前には、進む。
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往復

2011-03-26 21:21:15 | 日記

                           

かけあしの名古屋往復。

右手が腱鞘炎で激痛のため、形成外科に行ったり、

久々に歩く両親に付き添ったり、

最近入り浸りの制作会社様の編集室で根を詰めたり、

自分、親、仕事、仲間の用事のかけあし。

この間特徴的なサイクルだ。

6時台の新幹線で行き、16時台の新幹線で戻る。

 

来週も行かねばならない。

震災で中断していた社会活動を細々と再開せねば。

いや、どこかで必ずネットワークとして繋がるはずだ。

 

日々情報に眼を凝らしていると、

我々にできる被災者への支援活動の具体性もだんだんはっきり見えてくる。

皆それぞれできることをやっている。

本当にささやかな助けだが動き出したい。

 

そして次なる作品が控える。

まだ発表前だから何も書けないが、

私自身も大好きな内容だ。

丁寧に取り組みたい。

いつものような作品過渡期ではない緊張が漂う。

同じような演出手法はもう使えまい。

依拠すべきは「これから徐々に形成されていくだろう新しいルール」だ。

それは一般論としても、個別自分自身の問題、作品毎のあり方としても存在する。

無用に萎縮することなくきちんと打ち出したい。

 

 

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再開

2011-03-24 21:31:34 | 日記

        

長らくご無沙汰いたしました。

仕事も忙しかったが、東日本大地震の災禍に圧倒され、
書けなかったのだ。

 

不幸にも亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

ご家族などを亡くされた方々に謹んでお悔やみ申し上げます。

そして被災され、今も苦しんでいらっしゃる皆様、心よりお見舞い申し上げます。

 

私は3月19日まで郷里・名古屋で仕事をしていて、

20日に大阪・新歌舞伎座で舞台「琉球ロマネスク テンペスト」の千秋楽を向かえ、

そして現在、新作の準備に入っている。

楽しみにしていた一日だけの舞台「風街漂流記」は延期になった。

 

個人的にも大きく変化した3月だったが、

そんなことより、目を疑う大震災の現実。

撮影で大変お世話になった気仙沼の惨状。

福島第一原発の惨事。

日々刻々伝えられる「情報」はこれまでの生活様式が根底的な変化を余儀なくされたことを告げる。

自然は人間の営為などまるで嘲笑うかのごとく粉砕する。

とてもブログで何かを語る気分ではなかった。

語る言葉を持たなかった。

毎日唸っていた。

具体的支援もいくつかしたが、被災され家族を失った方々のお気持ちなど、ぬくぬくとした遠い地点で共有できるはずもなく、

逆に中途半端さを恥じるばかりだった。

このまま役にも立たないブログなど閉じてしまおうとも考えたが、

「テンペスト」の終盤近いお客様の表情を見ていて留まった。

雪崩を打って沈静化する状況の只中でも、この芝居を求め足を運び、笑い泣いていただいたお客様が大勢いらっしゃる。

「琉球王朝末期」という舞台設定の中の「国を愛する」という象徴的主題に共感して感動していただいたお客様が大勢いらっしゃる。

私の拙い演出でも「面白かったです」と握手を求めてくれたたくさんの方々。

本当にありがたいことだ。

11日は中断を余儀なくされたが、仲間さんをはじめとするキャスト・スタッフの注意深い連携で千秋楽を迎えられたこと、被災地への義援金を広く呼びかけたことに心から敬服するが、

何よりも支えていただいたお客様に本当に感動する。

最後のスタンディングオベーションで涙した。

 

そしてあらためて再認識した。

私(達)ができる支援は変わらず作品を作ることなのだ。

少しでも気持ちが“前向き”になれるものを。

笑ったり泣いたり驚いたり考えたりできるものを。

どうであれ続く人生を嘆いたり悲しんだり喜んだり、気付かなかったことに気付いたり、

一人じゃないあるいはひとりぼっちと確認したり、

非現実的な事や恋愛や歴史的事実を楽しんだりはらはらしたり、

スクリーンに初めて投影された「列車の到着」に人々が驚愕したように、

作品を皆さんに提供し続けることが責務なのだ。

 

3月24日の朝日新聞夕刊「三毛猫ホームズと芸術三昧」の赤川次郎氏の文章、

大震災以後の世相への発言も全く共感できるが、その中でも

「もちろん被災者にまず必要なのは水や食料や毛布である。しかしさらに不可欠なのは「希望」であり、それを支える精神活動だ。芸術、エンターテインメイトを問わず、創作活動はそのためにこそ止めてはならない。」

ありがたい言葉だ。

もっと勉強して、氏と人々の意に沿う作品を作り上げたいと決意した。

もっと努力して「希望」を提供する作品を作り上げたいと決意した。

どんなに光のない世の中になっても作品を武器に走り続けることを決意した。

 

 

 

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