映画で楽しむ世界史

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ダ・ヴィンチ・コード(8)日本にキリストの墓

2006-06-12 17:37:00 | 講演資料レジメ

青森県新郷村にキリストの墓がある

ダ・ヴィンチ・コードは、初期キリスト教の成立過程で正史に取り入れられなかった様々な話が伝説化し、その伝説に様々な憶測、企み、思索、想像などが加わったものを素に出来上がったもの。カソリック原理主義者は別にして、我々は「火のないところに煙は立たない」程度の感覚で楽しめばいいと思うが・・・。

ところが、驚くなかれ、日本版ダヴィンチコードとも言うべき物語がある。

 昭和3年、新興宗教の天津教を主宰する竹内巨麿が、その教典としている神代文字で記された皇室系譜など文書と、それを武内宿禰(たけのうちのすくね)の孫の平群真鳥(へぐりのまとり)が漢字カナ交じり文に訳したと称する写本群など、いわゆる「竹内文書」を公表した。この文書は、昭和10年公式鑑定に付され昭和10年「偽書」とされ、昭和17年には竹内巨麿などは不敬罪容疑で起訴され・・・うやむやのまま終わる。

この文書では、イエス・キリストは、21歳の時に日本に来て、12年間にわたって今の富山県で言葉や文字、神学を習い、さまざまな修行を重ねる。聖書では21歳から12年間のイエスの記述はまったくないので、このあたりは符合する。33歳の時にユダヤの地に帰ったイエスは、聖書に記述されている通り、自らの教えを人々に説き始める。しかし、ユダヤ教パリサイ派の反感を買い、ローマに反逆を企てる者として磔の刑に処せられたのは・・・実はイエスではなく、彼の弟「イスキリ」だった。

生き延びたイエスは、再び「神の国」をめざす。中央アジアからシベリア、さらにはアラスカを経由し、海路はるばる八戸に上陸、戸来村にやってくる。イエスは「十来(とうらい)太郎大天空」と名を改め、同村沢口の丘の上に居を定めた。そして、ミユ子という女性を娶り、三女をもうける。そこで自ら畑を耕し、作物を作っては貧しい人々に分けてやったという。白髪の禿頭、鼻の高い赤ら顔で長いマントを着て歩く彼の姿を見て、村人は「天狗様」として畏敬した。

こうして彼は106歳の天寿を全うし、その遺体は風葬にされ、骨は4年後に住んでいた家の跡に埋められた。それが「十来塚」であり、そのとき、彼が携えていた弟イスキリの耳と母マリアの頭髪も葬られた。それが「十代塚」である。

昭和10年、新郷村に茨城県磯原町(現・日立市)の皇祖皇太神宮の管長と名乗る人物が現れ、村で一、二を争う旧家・沢口家の家で二つの土まんじゅうを見つけると、「これこそキリストの墓だ」と叫んだのである。

この場所は、十和田湖の東、青森県三戸郡新郷村戸来(へらい)。現在、この村には「キリストの村へようこそ」という看板が立てられ、村の中心部から少し離れた沢口地区の小高い丘に2つの白い十字架が立っている。「十来塚(とうらいづか)」がキリストの墓、「十代墓(じゅうだいぼ)」がキリストの弟イスキリの墓であるという。

この話を裏付ける色々な「証拠」・・・地元の人の方言や盆踊りなどもあって・・・新郷村では「キリストの墓」を観光ポスターにしたり、「キリストの里伝承館」を建てたりして・・・観光振興に努めているという。新郷村のホームページを見ると、人口33,000人程度の村、6月4日にキリスト祭りがあり、写真で見ると墓の周りを浴衣姿の婦人連中が盆踊りを踊っている。

 いやはや、ダ・ヴィンチ、ニュートンやトム・ブラウンも真っ青の凄い話があるもの。この話が本当だとしたら・・・ちょっとほら吹き話を考えてみると、日本人の中でイエスのDNAを持った人がいる、ひょっとしたら皆さんご自身あるいは身の回りの方で・・・だけどその人は「オプス・ディ」に狙われる。そこで映画さながらのハラハラドキドキが・・・。

誰か頑張ってこの話を基に日本版ダ・ヴィンチ・コードを書いたり、映画にしたりして一山当てる人はいませんか。

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