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ダ・ヴィンチ・コード(7)謎のシオン修道士会

2006-06-01 00:08:36 | 講演資料レジメ

ダン・ブラウンの「ダ・ヴィンチ・コード」で「シオン修道会」が重要な役割を演じるが、どうもこの会は胡散臭い。なかなか本当のことが分からないが、百科事典「ウイキペディア」の記事が面白いのでまとめてみる。

 1、作者ダン・ブラウンの主張

小説の前文でブラウンは、シオン修道会が1099年に創設された実在の秘密結社であり、1975年パリの国立図書館で「秘密文書」が発見され、そこでニュートンやボッティチェリ、ユーゴー、ダ・ヴィンチなどがシオン修道会のメンバーとされているとした。

 またブラウンは、シオン修道会に女神信仰を保持する秘密宗教という性格を与え、シオン修道会の究極の「秘密」はイエスの血脈の保持であるという、「レンヌ=ル=シャトーの謎」が主張したアイデアも借用している。

2、あるにはあるシオン修道会

ブラウンの主張するシオン修道会(プレウリ・ド・シオン)は1956年にフランスのアンマスで創設された・・・官報によれば1956年7月20日に同組織は認可を受けている。創立者はピエール・プランタール、組織の目的は「教育と会員の互助」であるというが、実際はプランタールは「謎の秘密結社」にしたかったようである。

1960年代プランタールは友人と、ソニエール神父なる人物がレン・ヌル・シャトーの教会の工事中に発見したという古文書を作り出した。この文書はフランク王国のメロヴィング朝の末裔がいまだに生き残っているという内容であった。

 更にプランタールは、自らの(プレウリ・ド・シオン)が中世の「シオン修道会」(オーデレ・ド・シオン))の末裔であるという喧伝をした。確かに、第1回十字軍のあとでエルサレム王国に「シオン丘の聖母大修道院」が建設され、第2回十字軍の後にはフランスのオルレアンなどに拠点を遷したということは歴史上明らかにされているが、その後自然衰退してしまった。

 プランタールは著述家のジェラール・ド・セードと組んで「プレウリ・ド・シオン」と中世の「シオン修道会」とのつながりを主張する数冊の本を共に著し、更にその主張の「客観的な証拠」を用意しようと考え、「秘密文書」文書群を偽造し、パリにあるフランス国立図書館に寄贈した。これにイギリス人ジャーナリストのヘンリー・リンカーンが着目する。そしてダン・ブラウンも・・・。

 3、胡散臭いプランタール

その後1990年代に入って、プランタールはバブル経済事件(べラ事件)に巻き込まれ、その捜査の過程で彼の文書偽造の経緯がすべて明らかにされてしまった。

プランタールは司法の席で「すべてが自らによるでっちあげであること」を認め、ペラとシオン修道会もまったくの無関係であることを明かした。そしてシオン修道会に関する宣伝活動を一切とりやめ、2000年2月3日にパリで寂しくこの世を去ったという。

ダ・ヴィンチ・コードの内容をエンターテインメントに仕立てあげようとすれば、こういった「怪しい話」も取り込んで、ミステリータッチに脚色するということなのだろう。しかしそうだからといって、イエスやキリスト教の謎が消えるわけではない。

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