映画で楽しむ世界史

映画、演劇、オペラを題材に世界史を学ぶ、語ることが楽しくなりました

シバの女王の末裔か?「アイーダ」

2007-09-06 17:44:37 | 舞台はアフリカ
オペラの中で最も人気があって上演回数も多いといわれるのが「アイーダ」。
第二幕ラダメス将軍の凱旋式で流れるファンファーレは、トランペット奏者が最も張り切るところであろう。サッカー場での応援メロディーとしても一世を風靡した。(今もしている?)

ところで最初このオペラに接した時、エジプトに何故エチオピアの王女が現れるのか不思議に思ったものだ。しかし少し調べてみると、


① エジプトの南、今のスーダンに住むヌビア人はエジプト中王国時代はエジプトに支配され奴隷や傭兵の供給地とされるが、紀元前9世紀には「クシュ王国」が興り一時はテーベあたりまで進出する。またその後は「メロエ王国」が紅海からインド洋貿易を支配する。
② 一方ソロモンとシバの女王の子とされるメレリク1世が建国したといわれるエチオピア王国は、紀元後1世紀あたりから南スーダンをも併せる「アクスム王国」が強大となり、4世紀にはメロエ王国を滅ぼす。(なんとこの王国はキリスト教国教としたというが・・・以後7世にはヌビアとともにイスラム化する)

③ 以上をエジプト側から見ると、エジプトは新王国(紀元前1570-1090)時代、アビュシンベルに神殿を造ったり、ヒッタイトを撃退したりで有名なラムセス2世や次の3世を最後にして急速に国力が衰える。地中海民族やリビア人など頻繁に侵入し統治力を失った王家は外国人傭兵に頼り、かくして末期王朝(前1090ー525)ではリビア人やエチオピア人が入れ替わり立代わりエジプトを支配するようになる。

オペラ「アイーダ」の原作は素人が書いた創作もので歴史背景を詮索するのも野暮な話なのだが、物語の時代を新王国末期から末期王朝時代と設定し、仮にアイーダをエチオピア最盛期の「アクスム王朝」と結びつけようとするとちょっと時期が合わない。しかし別にどっちがどっちと詰めて考える必要はない。要はエジプトの南ヌビアやエチオピアはしょっちゅうエジプトに来ていたということで充分なのだ。

それにしても「エチオピアはシバの女王の末裔の国」(イエメンもそういっている)などというのも興をそそるが、ひょっとしてアイーダはエチオピアのもう一人の有名人なのかもしれない(冗談です)

アイーダの台本は当時発掘を終えたメンフィスの神殿の地下牢から男女の白骨遺体が現れたことにヒントを得ているといわれているが・・・西洋の人はお墓の中から現れる男女セットの遺体という話がお好みのようで・・・赤と黒、ノートルダムのせむし男などのエンディングを思い出す。


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