映画で楽しむ世界史

映画、演劇、オペラを題材に世界史を学ぶ、語ることが楽しくなりました

日生劇場「カエサル」の出来は

2011-01-20 22:46:58 | 舞台はギリシャ・イタリア
塩野七生さんのお好きなカエサルが「舞台演劇」になって日生劇場に登場・・・そのNHK hiで放映された。

今回の関係者は、特に脚本の斎藤雅文氏など、意識されていたかどうか分からないが、素人はついついシェクスピアの「ジュリアス・シーザー」を思い出して比較してしまう。

しかし、先ずは塩野さんの精根込めた大作の流れを要約しなければならないし、西洋史上数あるエピソードを繋いでいって、見せ場・山場を作らねばならない。だから、シェクスピアのあの「言葉の豊穣、劇的盛上げ」に対抗しようというところまではとてもとても。

そういう意味では、今回この時期の公演は原作者・興行側双方が宣伝キャッチコピーにある通り「リーダー不在の現代日本におくる」という気持ちを優先させたとでも理解しておいたらどうだろう。

ともあれ、ポイントは何と言っても「清濁併せ飲む」「太っ腹の政治家」カエサルの魅力。彼の功績は今でいう「構造改革」。当時のローマはあらゆる面で元老院貴族たちの既得権益で物事が進まなくなっていて、何かやろうとすると内紛が絶えない。彼はそこをブレイク・スルーした。

それに対するブルータスは懐疑派・清潔派。自分の先祖ブルータス家は、ローマ建国期の大改革「王政廃止・共和制導入」に功績があった家で、彼の胸中には、自分は共和制ローマの守護の役割があると格好をつけたがるころがある。

もう一人の主役キケロは演説の名人。決めたことを理屈建てするのは旨いが、ことに臨んだ時の決断力はない。

いずれにしても、独裁制、共和制どっちといえども、政治の実態・渦中にいる人間にとっては権力闘争の「スローガン」にすぎないのだ。この話はここで止めよう。

松本幸四郎は、その雰囲気がまじめすぎて、シーザーには向かない。
むしろ、髭を蓄え締まった感じになった小沢征鋭が瑞々しかった。
役割上、渡辺いっけいは個性が出せないまま終わり。

何か歴史教科書的を急いで見直している感じ。(了)

コメントを投稿