映画で楽しむ世界史

映画、演劇、オペラを題材に世界史を学ぶ、語ることが楽しくなりました

「孫文」「宋家の三姉妹」

2010-12-26 18:31:41 | 舞台は東アジア・中国

1、中国の明治維新はいつか

現代の中国人に、建前でなく本音をきいてみたいのだが、中国近代化のための革命は何時始まった、誰が最も貢献者なのか。もっと具体的に言うと、孫文か蒋介石か毛沢東なのかという問題。この3人どれを欠いても今日の中国がありえないのは事実であるが、3人の誰が最も尊敬に値するのか。

ちなみに中国の建国記念日・・・国民党政府の後継たる台湾政府は辛亥革命の10月10日(双十節)を大々的に祝うが、本土では中華人民共和国の成立日10月1日を国慶節として重きをおく。現代の政権はいまだ共産党の一党独裁体制を保持し、政権の正当性=レジティマシーを毛沢東の共産主義革命に依るということであろうか・・・天安門広場の毛沢東肖像画は外せない。何時までこの論理、歴史観でゆくのであろうか。

2、中国現代史における浙江財閥

中国の近現代史を描く映画はなんといっても「宋家の三姉妹」と「ラストエンペラ」。このうち前者には少し注釈がいる。

 上海を中心とした江蘇省、浙江省などで、いち早く近代化に目覚め、清朝の洋務官僚や外国資本との結びつきにより急成長した、金融、産業資本家を総称して「浙江財閥」という。特に宋、蒋、孔、陳の「四大家族」は蒋介石を軸に政治権力と不可分に結びつき、特に北伐、国共の対立分離には大きな役割を果たし政治を影で操ったと言われている。

「 宗家の三姉妹」は、文字通り宋財閥の三人の娘を描くが、それはそのまま中国現代史になる。

①長女・・・藍齢・・・孔家へ嫁ぐ、旦那は南京政府の財務部長(大蔵大臣)

 ②次女・・・慶齢・・・孫文と結婚、彼の死後共産主義運動に理解を示す。

③三女・・・美齢・・・蒋介石と結婚、ファーストレディとして活躍。

3、中国革命史箇条書き

中国の近代化革命は約50年かかって複雑極まりない動きを示すが、これを理解するには4段階ぐらいに分けて(あるいは前後半2段階)、更にその中を各三段階程度に箇条書きし整理していこう。

第一段階、辛亥革命とその挫折

義和団事件などでほとんど半植民地と化し、清朝の統治機構は無能ぶりを露呈するが、さすがの西太皇も晩年は政府の改革に乗り出し日本に倣って、殖産興業、軍備増強、教育改革などを進め、憲法制定、国会開設などの格好をつける。しかし、これらは所詮清朝の延命策でしかなく、漸く覚醒したインテリ層改革派を満足サセルものではない。特にイヤでも海外列強の力を感じ取る南の広州や上海、香港出身者は早くに北京の清朝政府に見切りをつけ革命に立上がる。

その中で最も理念的にしっかりしていたのが、一部では「中国のリンカーン」とも言われる孫文。彼は理想主義的性格が強く準備もないまま無鉄砲な蜂起を繰り返し、政府に追われ続けるが、1905年、日本で革命結社を団結し「中国同期会」という組織をつくる。三民主義「民族の独立、民権の伸長、民生の安定」

 ① 1911年10月10日、辛亥革命=湖北省武昌の新軍が清朝より独立宣言、各地に波及、南京集結、12月孫文が臨時大総統就任、1月1日「中華民国」の建国宣言。

② 北京では北洋軍閥の袁世凱が軍、政の実権を握り、革命派を懐柔すべく清朝皇帝溥儀を退位させ、自身は孫文に代わり臨時大総統に就く。(以上第一革命)

③ しかし袁世凱は北京に居座り皇帝的に振る舞い、議会や革命派を弾圧し始める。孫文は「国民党」を結成、1913年、武装蜂起に立上がるが失敗(第二革命)1915年、帝政に反発した武装蜂起(第三革命)1916年袁世凱死去。

第二段階、軍閥政権と国民革命(第一次国共合作)

① 袁世凱の死後、北京では北洋軍閥の軍人たちが派閥に分かれて権力闘争、直隷派(親英米)安徽派(親日本)、また地方でも軍閥割拠、奉天派、山西派、西南派、

② 1917年、ロシアに共産主義革命、1919年、ソ連政府はカラハン宣言を発し中国に急接近、1921年、コミンテルンの指導で中国共産党結成(陳独秀)

③ 孫文もこの影響を受け、1924年、国民党・共産党との提携を決め、「連ソ、容共、扶助工農」をスローガンとする国民革命を図ろうとする。1925年、孫文死去。

第三段階、国民政府と北伐完結

① 1925年、労働運動の激化(5・30事件)1925年7月、国民党は革命政府としての「広東国民政府」樹立、26年国民革命実現のため、蒋介石による北方軍閥政権の打倒遠征軍派遣、その間

② 1928年4月、国民党内対立(反蒋介石、折紅財閥)、国共対立から蒋介石は上海クーデターを起こし共産党員弾圧、反共を掲げる「南京国民政府」樹立

 ③ 北伐再開、日本の妨害工作を満蒙に封じ込め、当時北京にいた張作霖を追い出して、1928年6月、北京入城、

第四段階、共産党浸透、第二次国共合作・・・別記する

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