映画で楽しむ世界史

映画、演劇、オペラを題材に世界史を学ぶ、語ることが楽しくなりました

「戦争と人間」と「戦争と平和」

2011-08-25 23:03:42 | 舞台は東アジア・中国
五味川純平氏の「戦争と人間」・・・大変な力作かつ大作であることは間違いない。

これが日本の文壇・文学界にどう位置づけられているのか、分からないが、
以下素人が全く勝手に想像を逞しゅうして一筆。

ちょっとオーバーに、一言で言えば、この小説は日本版「戦争と平和」なのだという珍説。


五味川氏は「人間の条件」の成功で、日帝とその結果としての戦争・敗戦を伝えるものとして、
自己の役割に自信を持ったに違いない。

そして「人間の条件」の社会背景をより丁寧に語りたかった。その結果が「戦争と人間」。

これを書くにあたって彼は秘かにトルストイの「戦争と平和」を意識したのではなかろうか。

こじ付けかもしれないが、小説のタイトルも、
先ずはトルストイの「戦争と」と持ってきて、前作に繋がっているいるという意味で「人間」と置いた。

そしてストーリーでも、
○この小説の冒頭の入り方、五代家の家族集合シーンはトルストイのパーティーシーンを見習ったように思われる。

○そしてナターシャをどうするか、先ずは五代由紀子(浅岡ルリ子)とおくと、アンドレイは柘植進太郎(高橋英樹)。
 トルストイの原作の舞踏会のシーンに代わるものとして、浅岡ルリ子にピアノでも弾いてもらって・・・。

○しかし、妹の五代順子(吉永小百合)の方をナターシャとも出来る。とりわけ原作のナターシャの駆け落ちのシーン
 (相手は山本圭)を考えると、ストーリー上は「吉永」とする方がやりやすい。

などなど考えた。

しかし、途中で「戦争と平和」を下敷きとすることは、出来ないと気がついて止めた。

何故?以下勝手に五味川氏の胸中を想像する。

① ナポレオンの時代と第二次世界大戦の時期では、戦争の諸相、・・・原因、展開、規模等々総て比べるべくもない。

② 特に自分は、その戦争に至る経緯(満州帝国)をより詳しく書ける、書きたい。トルストイにはそこがない。

③ そして書き手の自分の国は敗戦国。自分はその敗戦に至る過程が絶対に赦せない。戦勝国のトルストイとは全く違う。

④ だから、トルストイの原作のような、ハッピーな終わり方が出来ない。宗教的な「救い」といった以っていき方も出来ない。

もう「戦争と平和」を意識することは止めよう。
どうしても「平和」は書けない。俺が書けるのは「人間」なのだ。

一体私は何を言っているのだろう。
要は我が国にもトルストイが欲しいだけなのだ。

そんな、さもしい夢はもう止めよう。

(了)

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