映画で楽しむ世界史

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シルクロード紀行(4)柳園から敦煌へ

2011-07-08 15:31:02 | 舞台は東アジア・中国
4、シルクロード旅行(4)砂漠の砂と礫

トルファンから敦煌へ行くには、新疆線の夜行列車で約7時間半、明け方荒野の真ん中「柳園駅」へ降り立つ。そこから128キロ、「田舎の」バスで2時間半ぐらい灰色に荒れた「砂漠地」を行き、やっと敦煌郊外の緑・・・楡・柳・葡萄などに辿りつく。

その関、砂漠の荒れた風景、激しいバスの揺れに悩まされると「シルクロード⇒砂漠⇒月の砂漠」という一般に刷り込まれている先入観、砂漠を美化するようなもの言いに反発を感じ、そういう観念を定着させた人々に文句の一つもいいたくなってくる。

そもそも井上靖の「新編歴史小説の周囲」(講談社文芸文庫)を読むとよくわかるのだが、兎に角、彼は若い時から砂漠が大好きで、大変な憧れを抱いていた。
この本の冒頭を飾る「砂丘と私」では、彼が四高時代に鳥取砂丘に寝そべり、星の流れを愛でながら、自身の生きる意味や将来を考えた様が生き生きと描かれている。
そして「敦煌と私」では、彼は実際に敦煌を訪れる以前に、まったくの机上の調査のみで「敦煌」を書いたということを記している。

「敦煌」は大変な名作、そのことに文句はない。

しかし、常々疑問に思っていたのだが、シルクロードの砂漠ってそんなに美しいだろうか。人の憧れを誘うような景色なのだろうか。今回「シルクロードツアー」に参加して一挙に氷解した。
・・・シルクロード(=河西回廊廊を通って新疆ウイグル・ウルムチまでの中央アジアへの動脈路)の砂漠なんて、敦煌の二、三の山を除いて、全く美しくなんかない。
井上靖や平山郁夫などは、少しシルクロードという言葉や、中国の西域史に入れ込み過ぎで、無意識的にこの「砂漠地帯」を美化し過ぎている。

地図を見て・・・ゴビ砂漠は東西約1600km、南北約900km、南は祁連山脈と天山山脈が、北はモンゴル高原とアルタイ山脈が(やや北西むきに)走り、東西の出入口も高原地帯。

この地形が影響し、この地では卓越風、谷山風が強く、細かい砂は吹き飛ばされでしまう。

そしてこの地の殆どは、砂というより礫、大小の岩石に覆われ、埃舞う荒れ地、東西に走る山脈、丘陵も裸の荒れ山。全体の風景は薄黒い灰色一色。
ところどころに山の雪解け水がオアシスを作り、丈の短い草や柳の木がまばらに生えるのみ。形容詞として「不毛、荒涼、過酷」などという言葉がそのまま当てはまる。
(尚「ゴビ」 とはモンゴル語で「沙漠、乾燥した土地、礫が広がる草原」などを意味する。 ・・・従って「ゴビ砂漠」という言い方は全くの畳語表現である)

しかし敦煌だけは別。
ここは祁連山脈が一旦切れて、低いながら鳴沙山と三危山の狭間で風の進路が変わる。
そして西に向かってトルファン盆地を亘り、再び天山山脈に登ってゆく。
ここで東西から運ばれた軽い砂は篩にかけられたように地表に落ちるのであろう。
だから観光の人馬に踏み荒らされた鳴沙山の砂地も、一晩のうちにすっきりならされ、
朝には綺麗な馬蹄形の丘の連なりに修復されるのである。

要するに、シルクロードの砂漠なぞけっして美しいものではない
・・・敦煌の美しさが、それを補って余りあるという言い方もできるが・・・。

井上、平山といったシルクロードファンがこれを美しく、夢見がちに描き、NHKのシルクロード特番もこの基調の上に成り立った。それを成り立たせたのは・・・第一回で述べた「日本人のシルクロード好き」なのだろう。

しかし今日、この荒れ地も中国にとっては重要なものになってきた。
玉門関付近で石油が出るということもあるし、強風を利用した風力発電が盛ん。
ウルムチからトルファンに向かう道の途中にも大規模な風力発電所地帯がある。
そこに並んだ膨大な数のあの白い風車トンボ・・・狭い日本では無理な光景、
中国は環境問題(脱化石燃料)に真剣に取り組んでおりますとPRするには格好の風景なのだろう。・・・但しトンボに並んで、高速道路が急ピッチで建設中、新幹線を通す計画も。
(了)

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