日本近代文学の森へ (194) 志賀直哉『暗夜行路』 81 「不恰好な白い浴衣」の秘密 「後篇第三 一」 その4
2021.7.10
散歩の途中、偶然見かけた「美しい人」のことが、宿に帰ってからも思い出されて、謙作は落ち着かない。それで、再び外へ出た。
彼は宿へ帰ってからも落ちつけなかった。しかしそれはやはり幸福な気持だった。そしてそれをどうしたらいいのか、そして全体これはどういう気持なのか、と思った。確かに通り一遍の気持ではなかった。
彼は今日もう一度通っておかねば、明日はもう其所にいないだろうと思った。で、自身玄関の下駄を庭へ廻し、再び暗い草原道(くさはらみち)へ出て行った。その時は既に暮れ切ってはいたが、河原はかえって涼みの人たちで賑わった。彼は多少気がひけながらその方へ歩いて行った。
女の人は年とった方の人と縁へ坐って涼んでいた。屋には蚊帳が釣られ、その上に明かるい電燈が下がっていた。並んで川の方を向いている二人の顔は光りを背後(うしろ)から受けているので見られない代りに、此方(こっち)はそれを真正面(まとも)に受けねばならぬので、余り見る事が出来なかった。女の人は湯上りらしく白い浴衣を不恰好に角張らして着ていた。そしてその張った不恰好さもまた彼には悪くなかった。二人は団扇を使いながら、しんみりと話込んでいた。
「落ち着けない」気持ちは、やはり「幸福な気持ち」であったが、それが「どういう気持ち」なのかを言葉にはできなかった謙作だが、それが「通り一遍の気持」ではない確信を得た。どうしても、もう一度見てみたいと、気持ちははやった。
もう一度そこへ行ってみなければ、その人は明日はもういないかもしれない。とにかく行ってみよう。「そう思った謙作は、玄関を飛び出した」、とは書かないところが志賀直哉である。
「で、自身玄関の下駄を庭へ廻し、再び暗い草原道へ出て行った。」と書く。描写が精密なのだ。どうしてそのまま玄関の下駄を履いて出て行かなかったのか。おそらく宿の主人が、あの人、出たり入ったりなにしてはるん? とか思うことを、はばかったのだろう。
外へ出ると、「暗い草原道」で、「暮れきって」いる。しかし、河原は、さっきよりも賑わっている。夕暮れどきの暗さの中での賑わいが、「音」として感じられる。
女はまだそこにいた。この部分の描写が素晴らしい。さっき見たときは、女は七輪で鍋を作っていて、そこに老人もいた。(挿絵は、「日本の文学」(中央公論社)で、石井鶴三が描いたものだが、まさにこのシーンを描いたわけだ。)それから、どれくらい経ったかしらないが、再び行ってみると、老人の姿は見えず、二人の女だけが縁にすわって、「団扇を使いながら、しんみりと話込んでいた。」何を話しているのか分からないが、二人の仲の良さが感じられる。
「女の人は湯上りらしく白い浴衣を不恰好に角張らして着ていた。」とあるが、おそらく、その白い浴衣は洗い立てで糊がきいているのだろう。女はたぶん、そこの住民ではなくて、よそからやってきたので、洗ったばかりの浴衣を出してもらったのだろう。
浴衣のことはよくは知らないが、源氏物語などを読むと、着物の描写の中に「なえたる」という言葉が出てくる。有名なのは、「若紫」の巻で、幼いころの紫の上を初めて源氏が垣根のスキマから覗き見る場面だ。
きよげなる大人ふたりばかり、されは童べぞ出で入り遊ぶ。中に、十ばかりやあらむと見えて、白き衣、山吹などの萎えたる着て走り着たる女子、あまた見えつる子どもに似るべうもあるず、いみじく生ひ先見えてうつくしげなる容貌(かたち)なり。
《口語訳》こざっぱりした女房が二人ほど、それから女童(めのわらわ)が出たり入ったりして遊んでいる。その中に、十歳くらいかと見えて、白い下着に山吹襲(やまぶきがさね)などの着なれた表着(うわぎ)を着て、走ってきた女の子は、大勢姿を見せていた子どもたちとは比べものにならず、成人後の美しさもさぞかしと思いやられて、見るからにかわいらしい顔立ちである。
「萎えたる」をここでは(「日本古典文学全集」小学館)、「着なれた」と簡単に訳しているわけだが、「萎える」というのは、糊のきいた着物の布地が、なんども着ることによって柔らかくなることを意味しているのである。平安時代においては、着物は、こうした「なえたる」ものを着るのが、美しいとされていた。
現代においてはどうなのか、これもよく分からないのだが、ここに出てくる「白い浴衣を不恰好に角張らして着ていた」というのは、「萎えたる」の逆であることは確かだ。だから、「不恰好に角張らして着ていた」というのは、女の着方が下手なのではなくて、まだ糊がきいているので、どうしても「角張って」しまう様を言っているのだ。
つまり、「角張ってしまう」白い浴衣は、「不恰好」だが、そこにはなんともいえない清潔感もあるのだということなのだ。だからこそ、「その張った不恰好さもまた彼には悪くなかった」と謙作は感じるのだろう。これを、「かっこ悪い着方だけど、それもまた味だった」というような読み取り方では、ここの情感は味わえない。
荒神橋まで往ってあがり、今度は対岸を丸太町橋の方へ引きかえして来た。遠く影絵のように二人の姿が眺められた。
橋の袂(たもと)から、彼は東山廻りの電車に乗った。丁度涼み客の出盛るで電車は混んでいた。彼は立ったまま、祇園の石段下まで行って、其所で降りた。
謙作は、対岸へ渡って、もう一度女をじっくりと眺める。「遠く影絵のように二人の姿が眺められた。」とあるが、ほんとうに影絵のように美しい。
まるで川瀬巴水の木版画のようだと前回も書いたが、川瀬巴水の木版画をちょっと紹介しておく。京都の風景ではないが、昭和6年ごろの日本には、全国至るところに、こうした風景はあったのだろう。
「川瀬巴水 木版画集」阿部出版 2009