日本近代文学の森へ (158) 志賀直哉『暗夜行路』 45 幸福感はどこから? 「前篇第二 四」 その1

2020.7.6
春めいた長閑(のどか)な日だった。前の石垣の間から、大きな蜥蜴(とかげ)が長い冬籠りの大儀そうなからだ身体を半分出して、凝然(じっ)と日光をあびている。そういう午前だった。彼もいくらか軽い心持で、前の障子を一っぱいに開け、朝昼一緒の食事をしていた。向い島の山の上には青く、うっすりと四国の山々が眺められた。彼はふと旅を思い立った。そして旅行案内を出し、讃岐行の船の時間などを調べていると、隣りの婆さんが、
「よう、嗅ぎつけおる」こんな事をいいながら前の縁へ来て腰を下ろした。飯時に何時(いつ)でも来る近所の小犬が二疋、濡縁の先に黒い鼻の先だけを見せていた。そのヒクヒクと動く鼻の先だけが何か小さい二つの生物のように見えた。
「金ン比羅さんへ行くには連絡の方がいいのかしら?」
「へえ、今日(こんち)らは大方御本山さんへ参られる者が仰山出やんしょうでの、商船会社の船はこんでいけやすまい」
「二時ですネ」
「へえ、──ああんさん、金ン比羅さんへ参られやんすか」
「ああ。それから部屋はこのままにしといて下さい。盗られても困らないものばかりだから」
「へえ。しゃあごじゃんせん」と婆さんは笑った。
「大事なものは鞄へ入れとくから、それだけ預って下さい」
「へえ。──今日らは鞆(とも)のお月様がよう見えやんしょうの」
「お婆さんは行って見たことがあるの?」
「えーえ」と否定して「先年お四国遍路に出やしての。その機(お)り船で通っただけでござんすけ」
「そう。今晩鞆でお月見をして、あした金ン比羅さんへ行って、それから、あさって、高松で、今度開くというお城の庭を見て来ましょう」
「立派なものじゃそうにごじゃんすのう。岡山のよりええんじゃいいよられやんした」
彼は食事の余りを一つ皿に集めて、それを犬にやった。一疋が切(しき)りに唸って他を威嚇した。
「しっ、しっ」婆さんは腰かけたまま、藁草履をはいた足でその犬を蹴る真似をした。
下の方から、隠居仕事に毎日商船会社の船つき場に切符きりに出ている爺さんが細い急な坂路をよちよちと登って来るのが見えた。
「帰って来た」
「へえ」こういって婆さんは笑ってその方を見ていた。近所の六つばかりになる女の児が自分の家(うち)の小さい門の前に立って、
「お爺さーん」と大声に呼んだ。爺さんは立止り、腰をのして此方(こっち)を見上げた。ぶくぶくに着ぶくれた爺さんの背中は、い<ら腰をのしてもまだ屈(まが)っていた。そして、
「芳子さあー」幅のある気持のいい濁声(だみごえ)で呼びかえした。
「お爺さーん」
「芳子さあー」
こう甲高(かんだか)い声と幅のある濁声とが呼び交わした。そして爺さんはまた前こごみの姿勢に変ってよちよちと登り出した。婆さんは隣りへ帰って行った。
なんと素敵な文章だろう。わずかな言葉を通して広がる光景のなんという鮮やかさ! 解像度の高いカメラで写された映像のようだ。そのレンズは、前の島の向こうにかすかに見える四国の山を適度な柔らかさで写したかと思うと、今度は、縁の先にちょこんと見える子犬の鼻の先を驚くべきシャープさでとらえる。そんな映像の背後には、のんびりしたオバアサンの訛りの強い言葉が流れ、それに応じるいつになく穏やかな謙作の声も流れる。そして、こんどは、坂道をのぼってくるオジイサンのロングショットだ。まるで映画だなあと思っていると、そこに流れる女の子の甲高い声。それに答えるオジイサンの濁声。ほんとうに夢のようだ。
この部分だけで、立派な短編小説だ。この短編小説には、よけいな心理描写は何一つない。けれども、ここにあるのは、人間の「幸福感」そのものだ。とくに、この町に暮らすオジイサンとオバアサンの幸福感を、少女の声が一挙に高め、謙作までをも包み込んでいる。
最初の部分をもう少し細かく読んでいこう。
「春めいた長閑な日だった。」──これは「客観的」な叙述ではない。なんの感情も含んでいないようでいて、実は違う。「長閑な日」という言葉は、そこにいる謙作が「ああ長閑だなあ」と感じたことを示している。たとえばもし謙作が花粉症で悩んでいる男だったら、こうは書けない。つまりこの短い一文で、これからの叙述がある種の「幸福感」に満たされていく予感が漂うわけである。
「前の石垣の間から、大きな蜥蜴が長い冬籠りの大儀そうな身体(からだ)を半分出して、凝然と日光をあびている。そういう午前だった。」──これも生物学的な事実を述べたものではない。蜥蜴の「大儀そうな身体」には、謙作の「大儀」が反映していて、「凝然と日光をあびている」蜥蜴の「気持ちよさ」が、謙作のそれとして感じられる。したがって、「そういう午前」というのは、直前の蜥蜴の描写を指しているのではなくて、「そういう長閑な、気持ちのよい午前」なのだ。
「彼もいくらか軽い心持で、前の障子を一っぱいに開け、朝昼一緒の食事をしていた。」──謙作の気持ちの直接表現が出て来るのが「いくらか軽い心持で」だ。「軽い心持で」は、直接に「障子を開け」にかかるのではないのはいうまでもない。「軽い心持で」障子を開けるなんてナンセンスだ。論理的展開を期待すれば、「軽い気持ちで障子を開けたが、なんとそこにはスズメバチがいたのだった。」なんてことにでもなっていなくてはなるまい。当たり前のことだが、ここは「軽い気持ちの中で」ということなのだ。「前の障子を一っぱいに開け」の「一っぱいに」に、自分を鬱屈させていたものから、解放された気分が込められている。読んでいるほうも、目の前がぱっと明るくなる感じにとらわれる。「一っぱいに」などという表現は、稚拙にみえるが、それがかえって素直な感情の表出に一役かっていることも見逃せない。
「向い島の山の上には青く、うっすりと四国の山々が眺められた。」──これは純客観的な描写のようにみえるが、それでもなお、謙作のどこか晴々とした気分が感じられる。「青く、うっすりと」から来る気分だろうか。(「うっすり」は今ではまったく使われなくなったが「うっすら」と同義。)
「彼はふと旅を思い立った。」──そうした気分の流れのなかで、謙作は旅を思い立つのだ。実に自然な流れだ。気持ちのいい長閑な春の日、冬ごもりから目覚めた蜥蜴のように、そうだ、おれも旅に出てみようか、といった気分が、見事に表現されている。それは次に、婆さんを介して、金比羅宮、四国への連絡船、鞆の浦の月見、高松の城の庭、といった地名があらわれ、すでに旅に出たかのような気分を醸す。その旅への期待の中に、呼び交わすジイサンと少女の声。これが「幸福」でなくてなんだろう。