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日本近代文学の森へ (160) 志賀直哉『暗夜行路』 47 船旅は続く 「前篇第二  四」 その3

2020-07-19 11:21:51 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (160) 志賀直哉『暗夜行路』 47 船旅は続く 「前篇第二  四」 その3

2020.7.19


 

 瀬戸内の船旅は続く。この辺は、珠玉の紀行文だ。


 或る島は遠く、或る島は直ぐ側(そば)を通った。少し人家のある浜辺には出鼻の塩風に吹き曲げられた一、二本の老松(ろうしょう)の下にきっと常燈明と深く刻りつけられた古風な石の燈台が見られた。他の島の若い娘が毎夜その燈明をたよりに海を泳ぎ渡って恋人に会いに来る。或る嵐の夜、心変りのした若者は故意にその燈明を吹き消しておいた。娘は途中で溺れ死んだ。こういうよくある伝説にはどれも似合わしい燈明だった。


 この伝説はまたなんと残酷なことか。若者の欲望が突出してしまっていて、これでは娘の救いがない。この燈台を見て、土地の人は何をどう思ったのか。また謙作はなにを思ったのだろうか。なんの感想もないが、案外、心に深く刻み込まれているのかもしれない。「性欲」の問題は、「暗夜行路」の大きなトピックだから。

 

 阿武兎(あぶと)の観音というのが見え出した。それは陸と島との細い海峡の陸の方の出鼻にあり、拝殿が陸にあって、奥の院は海へ出ばった一本立ちの大きな石の上に、二間ほどに石垣を積み上げて、その上に建っていた。その間五、六間が、かなりの勾配の廊下でつないである。その他は自然のままで、人家もなく、如何にも支那画を見る心持であった。其処を廻って汽船は陸添いに進む。庭に取り入れていいような松の生えた手頃な小さい島がいくつかあって、やがて柄(とも)の津に船は止った。仙酔島(せんすいとう)が静かに横わっている。絵葉書で勝手に想像していた向きとは全く反対側にそれがあったので多少彼は物足らなかったが、とにかくそれは気持のいい穏やかな島であった。町の方は人家でごちゃごちゃしていた。保命酒(ほうめいしゅ)醸造元とか、元祖十六味(じゅうろくみ)保命酒とかペンキで塗った烟突が所々に立っていた。


 「阿武兎観音」「鞆の津」「仙酔島」などが地図上のどこにあるかを確かめながら読んでいくと、実際に旅をしているような気分になれる。

 まさに、今どきのリモート旅行といった趣だが、「暗夜行路」を読みながら、地図で辿るという行為は、ビデオ映像を駆使したバーチャル旅行に参加するのとは本質的に違っている。それは、志賀直哉(まあ謙作でもいいが)が実際に見て、その印象を言語化したもの(テキスト)を読んで、こんどは地図という映像を伴わない一種のテキスト(非連続テキストという)を媒介にして、現実の印象(イメージ)を読者が脳の中に再構成する過程だからだ。これはとてもおもしろい。

 その上で実際にそこに行ってみるというのもひとつの手だが、行かないでおくというのもまた一つの手である。行かないほうが、自分が構成してイメージを壊さずにすむという利点もあるだろう。

 そういえば、源氏物語を最初に英訳したアーサー・ウェイリーは、実際に訪れて幻滅したくないからと言って、日本には来なかったという。もっとも単に長旅が嫌いだったからだという「証言」もあるらしいが、しかし、そういう「証言」もあてにはならない。長旅が嫌いだったことは確かなのだろうが、それだけが日本に来なかった理由とは断言できない。もしアーサー・ウェイリーが源氏物語のイメージを求めて日本に来たら、幻滅したに違いないからだ。

 ところで、ここに出てくる「保命酒」というのは、今でも販売されている薬用酒で、かなり前に、テレビの旅番組かなにかで見たことがある。「養命酒」は全国的に有名なのに、それに似た「保命酒」はほとんど知られていないのも不思議なことだとその時思った記憶がある。

 今調べてみると、なかなか興味深い歴史を持っていることがわかる。


 彼はその晩此処で月見をするつもりだったが、空模様が、とても見られそうもないので、そのまま乗り越す事にした。
 段々身体(からだ)が冷えて不愉快になって来た。彼は船室へ降りて行った。二等というので客は五、六人しかいなかった。その中に混って彼も横になった。船は少しずつ揺れて、ばたんばたんと船の胴を打つ波の音が聴えた。彼は少し睡かったが、眠れば風邪をひきそうなのでまた起きて、持って来た小説本を読み始めた。

 


 謙作はここで月見をしようと思ったということは、すでに出発の時からの予定だったのだが、天候の具合で、あっさりと断念している。

 この「鞆の津」は、普通は「鞆の浦」と呼ばれるところで、万葉集以来、船待ちの港として有名らしい。(さっき調べたところ)

 いつの頃からなのかは分からないが、ここが月見の名所となったらしい。今でも「日本遺産」になっているほどの観光地で、なかなか興味ふかく、瀬戸内の景色というのは、やはりなんといっても日本では有数だろうから、一度は行ってみたいものだ。(自分のイメージもそんなに豊かにはふくらんでいないし。)

 体の冷えた謙作は、また「不愉快」になる。前にも書いたが、志賀直哉の「不愉快」は、有名なので、「あ、また出た!」とちょっと愉快になる。

 


 

 


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