Yoz Art Space

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一日一書 1060 果物・八木重吉

2016-12-25 17:38:28 | 一日一書

 

八木重吉

 

「果物」全文

(詩集「貧しき信徒」所収)

 

半紙

 

 

 

果物

 

秋になると

果物はなにもかも忘れてしまって

うっとりと実のってゆくらしい

 

 

深い詩だなあ。

こんなふうに「うっとりと実のってゆく」晩年であればなあ。

 

 

 


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一日一書 1059 ぽくぽく・八木重吉

2016-12-24 15:04:56 | 一日一書

 

八木重吉

 

連作「鞠とぶりきの独楽」より


 

ぽくぽくひとりでついていた

わたしのまりを

ひょいと

あなたになげたくなるように

ひょいと

あなたがかえしてくれるように

そんなふうになんでもいったらなあ

 

 

「そんなふうになんでもいったらなあ」という重吉の思いは

なかなかそうはいかない、という苦い現実認識のうえにあります。

 

現実にはそうはいかない。

さまざまな思わくや打算が入り込んでしまう。

思いがけない受け取り方をされたり

行為の裏を読まれたり。

 

けれども、芸術的営為というものは

「そんなふうになんでもいったらなあ」という思い以外の何者でもないはず。

 

「ぽくぽくひとりでついている」という孤独な作業。

しかし、それを「ひょいとあなたになげたくなる」というのが、表現。

「ひょいとあなたがかえしてくれる」というのが、共感。

だとすれば、芸術的営為の根源のすべてが、

この詩の中に描かれているというわけです。

 

 

 


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一日一書 1058 寒夜来客

2016-12-23 10:33:09 | 一日一書

 

寒夜来客

 

67×35cm

 

 

寒夜来客當酒竹爐湯沸火初紅

 

姚小全先生が北京から買ってきた料紙に、漢詩の一節を。

漢詩の意味は、先生にちゃんと聞いてくるの忘れましたが

寒い夜に友達が来た。酒のかわりにお茶を沸かして飲むとて

竹爐に火を入れると、ようやく赤い火が燃えだしたよ。

てなことかな。

「竹爐」とは

「竹で袖炉(しゅうろ)のように囲い、その内にいれこにして焼物の炉を入れたもの。

農民などが火を入れて野に携帯する。」(日本国語大辞典)


この後のあるようです。

誰の詩かも、聞くの忘れた。

こんど、きちんと聞いておこう。

 

いずれにしても、漢詩はいいなあ。

 

この紙、500円もするので

ちょっと書くのは勇気がいりました。

けれども、ひるんでいると

紙が無駄にたまる一方なので、思い切って書いたら

うまくできたねと、先生に珍しく褒められました。

 

 

 

 


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一日一書 1057 てくてくと・八木重吉

2016-12-22 10:29:19 | 一日一書

 

八木重吉

 

てくてくと

こどものほうへもどっていこう

 

半紙

 

 

連作「鞠とぶりきの独楽」より

 

素朴だが、幼稚ではない。

それが、重吉の詩。

 

 

 

 

 

 


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一日一書 1056 一陽来復

2016-12-21 14:53:25 | 一日一書

 

一陽来復

 

半紙

 

 

今日は、冬至。

「一陽来復」とは、「冬至」のこと。

 

若いころは、「冬至」というと

一日で最も太陽の出ている時間が短い日、ということで

いいイメージはありませんでした。

しかし、冬至からは、毎日少しずつ日が長くなるんだと思うと

希望があるというか、なんかいいなあと思うようになりました。

 

実は、昔からこの冬至は、

「一陽来復」といって

春がふたたび巡ってくる

めでたい日だったわけです。

 

 

「一陽来復」に関しては、日本大百科全書にこう書いてあります。

 

 

万物の生成を陰と陽の二気に分ける考え方から、冬至をいう。

夜を陰、昼を陽として1年を立春から大寒までの二十四節気に分けると、

冬至が陰の極点となる。したがってこの日から陽がふたたび増してくることになる。

古くはこの日を一陽来復または一陽嘉節(かせつ)として祝った。

冬至と11月1日が重なる朔旦(さくたん)冬至などは、よりめでたいことであった。

こうしたことから、春が巡ってくることや、めでたいことがふたたびくることを一陽来復というようになった。

 

[佐々木勝](日本百科大全書)

 

 

 

 

 


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