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木洩れ日抄 111  劇団キンダースペースレパートリーシアターVol.53「中島敦・光と風の彼方へ」────閃光のような言葉

2024-10-01 21:03:36 | 「失われた時を求めて」を読む

木洩れ日抄 111  劇団キンダースペースレパートリーシアターVol.53「中島敦・光と風の彼方へ」────閃光のような言葉

2024.10.1


 

 昔、まだ教壇に立っていたころ、中学生にむかって、「世界を二種類に分けるとしたら、何と何になると思う?」と聞いたことがある。生徒たちは、「男と女」とか、「陸と海」とか、「生物と無生物」とか、ありとあらゆるものを挙げていたが、「全部違うよ」と、ぼくは余裕シャクシャクで、「答はね、『自分』と『自分以外』だよ。」と言った。生徒はキョトンとしていたが、果たして、そんな独我論的な答が、答と言えるのかどうかあやしいものだ。もっともっと根本的な分類があるのかもしれないが、いまだにぼくはその答を否定することができないでいる。


 「ぼくらは、何でも見ることができるけど、自分だけは見ることができないよね。自分が消滅したら、世界はどうなっているか、ぼくらは知ることもできない。こんなもの、こんなものの『ありかた』って、他にはないでしょ。」みたいなことを得意になってしゃべったような気がする。今となっては、ただただ恥ずかしい。


 「自分」と「自分以外」に、世界を分けるということは、あまりにも「自分」中心すぎる考え方だ。「自分」だけが特別なもので、それ以外のものを並列に置いてしまうということは、「世界の理解」を危うくする。そして、意識の「半分」を「自分」に向ける、つまりは「自分とは何か?」という問題を最高位に設定してしまうところに、いわゆる「近代的自我」の問題があるわけである。

 原田一樹は、この芝居の招待状で、こんなふうに書いている。

 

 近代以降の文学は、「個人」の不安、存在の危うさが共通のテーマでした。少し乱暴な言い方ですが、16世紀のシェイクスピア、イプセン、チェーホフ、漱石、芥川、村上春樹も明らかにそこに創作的衝動の根幹があります。ある意味、中島敦の『山月記』もこの変奏といえます。けれどもその上で、主人公を「虎」にするという運びがあったでしょうか。一人中島敦だけがここに「前近代」という補助線を引いたという気がします。『木乃伊』や『文字禍』はその白眉で、短編ということを差し引けば、今後『ドン・キホーテ』なんかのように、世界文学として再評価されるかもしれません。

 

 ぼくが若いころは「自分」だけが特別な存在だし、その存在のありようは、「自分以外のもの」と、「まったく違う」という意識に捉えられ、疑いもしなかったのだが、数世紀も前から、それこそ「近代」がもたらした最悪の意識なのではないかという不安から多くの文学が生み出されてきたのだ。

 けれども、その不安は彼らの文学によって解消されるどころか、より深刻なものとしていまだにぼくらの心を覆っている。解決の糸口すらないとぼくには思われる。かつてのぼくはその「解決」をキリスト教に求め、信仰にも入ったのだが、自分の意固地な性格も災いして、いまだほんとうの「救い」を得たとはいえない状況にある。

 そういう状況の中で、芝居の終盤に、虚空に向かって放たれたような「私たちもまた、私たちが思う程、私ではありません。」という言葉は、まるで闇を貫く閃光のように輝いた。

 「私」というものは、「私」が思っているほど「私」ではない、という難解な言葉は、ぼくなりに言い換えれば、私たちは、「私」というものが疑うことのできない存在あるいは存在の「ありかた」だと思い込んでいるが、実は、それほど確実なものではないのだ、ということになるだろうか。

 「近代」においては、いかにして「私」を形成するか、いかにして「私」の存在をより崇高なものにするか、といった、「私をどういうものにしていけばいいのか?」が、生きる意味を問うことだった。しかし、もし「私」が、自分が思っているほどたいしたものじゃない、確実なものじゃないということになれば、そんな努力は意味を失ってしまう。別の言い方をすれば、楽になる。いいかげんに生きていけばいい、ということではないにせよ、「自分」が「世界」の半分を占めるという意識は消え、「自分」は「世界」の一部、あるいは断片にすぎない、ということなる。それならいっそ気楽だ。いつもいつも「自分」と対峙して苦しむことはない。もっと感覚を「世界」に向けて解き放ち、生きているという実感を楽しめばいい。

 中島は、そうした生き方を求めて、「前近代」の文学や「脱近代」を目指した文学や(たとえばカフカ。カフカを最初に見いだしたのは中島敦だと言われているらしい。)、老荘思想や、南洋の島の人々の生活にこころを向けた。そこに活路を見いだそうとしていた。しかし、ことはそんなに簡単ではない。「近代的自我」を持ってしまった、あるいは意識してしまった人間が、古代の人のような素朴さに回帰することなど至難のことだ。けれども、たとえ「虎」になろうとも、そこにしか活路はないと苦闘しつつ、中島敦は33歳の若さで死んでいったのだ……

 それが、原田一樹が今回の芝居で描き出した「中島敦」なのだと、ぼくは思う。

 『ある生活』『悟浄出世』『幸福』『無題』『山月記』といった作品を、順番に並べていくのではなく、その核心を剔り出し、他作品のそれと通底させ、そしてもちろん原田自身の考えたセリフや登場人物を加えて芝居として成立させるという困難な作業によって、中島敦の精神の神髄を舞台上に描き出すことを試みた。それが成功だったか、失敗だったかは、だれにも分からない。むしろ、「成功」とか「失敗」とかの概念そのものが、「近代」が生み出したものにすぎないのだ。

 「世界は理解するためにあるのですか?」という女学生の教師に対する問いかけの言葉は、この芝居を貫くもう一つの閃光だ。「理解する」とは、まさに「知性」によるもので、近代以降、多くの人間はこの世界を「理解」しようとして躍起になり、その結果、乱暴にいえば、「科学」が生まれた。今や宇宙の果てでさえ、「理解」されようとしている。いやそれどころか、人間がいなくても「理解」はできるようにすらなっている。読書感想文を、AIが書いてくれる時代だ。

 そのような状況の中で「世界は理解するためにあるのですか?」という問いかけは、ほぼ「世界は理解するためにあるわけはない。」という宣言に等しい。その宣言は、それじゃあ、どうすればいいんだ? という反論を遙か後方に残したまま、疾走する。どうすればいいだと? そんなことは知ったことか。おれが「世界は愛するためにあるんだ。」と言ったところで、おまえたちは、鼻で笑うだけだろう。それが「近代」だったんじゃないか。そしていまなおその「近代」は、亡霊どころか、生き霊として、俺たちにとりついているじゃないか。そう叫びながら、虎になった李徴は闇の中を疾走していく。その疾走感は、中島敦の精神を、坩堝のなかに入れてかき混ぜるような原田一樹の見事な作劇術から生まれたといっていい。

 ぼくはこの芝居を「理解」できたとは言いたくない。「世界」と同じく「芝居」も「理解」されるためにあるのではないからだ。むしろ、この芝居の随所にちりばめられ光を放った中島敦の言葉に、射貫かれ、心揺さぶられた。その言葉を発する役者の声、そしてその「肉体」に、心が震えた。そういうことを前にして、「理解」とは、もはや何ものでもないのだ。

 原田一樹は、中島敦の文学をどう芝居にするのか、ということについて、「まず中島敦が畏れていたことを畏れてみる他はない」と述べている。そうであればなおさら観客は、「理解」や「共感」を早急に求めるのではなく、やはり中島敦と共に、そして戯曲作者と共に、その畏れをじっくりと畏れてみる他はないだろう。そういう意味でも、この芝居の再演をぼくは切に願っている。

 最後に、この芝居によって、中島敦という作家に、今までに感じたことのなかった興味をそそられ、今まで何度も買おうとして買うことのなかった「中島敦全集」を買ったことにまでなったことに、改めて、原田一樹さんに感謝申し上げます。そしてまた、この稀代の意欲作に熱心に取り組み、見事に舞台化を実現した客演の俳優さんとキンダースペースの皆さんの努力に心からの敬意を表します。

 

 

 

 

 

 


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