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日本近代文学の森へ 234 志賀直哉『暗夜行路』 121  リアリズムの真骨頂 「後篇第三  十四」 その2

2022-12-28 10:08:25 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ 234 志賀直哉『暗夜行路』 121  リアリズムの真骨頂 「後篇第三  十四」 その2 

2022.12.28


 

 要の噂はまだ続く。


 「この春休みには敦賀の行きか帰りに京都へも寄るような事を久世君の所へいって来たそうですよ。此方(こちら)の新家庭を拝見しがてらに……」水谷はそういって一人笑った。
 「いやな人!」と直子は腹立たしそうにいい、ちょっと赤い顔をした。
 末松が謙作とは親しい間柄でいながら側(わき)に馴染(なじみ)の薄い直子がいると、平時(いつも)の半分も喋れずにいるのに、初めての水谷が年に似ず何の拘泥(こだわ)りもなくそんな串戯(じょうだん)をよく喋れる事が謙作にはいい感じがしなかった。水谷は色の白い小作りの、笑うと直ぐ頬に大きく縦に笑窪(えくぼ)の入る、そして何となく眼に濁りのある青年だった。紺絣の着物にセルの袴を穿(は)いて、袴の紐を駒結びに結び切って、その先を長く前へ二本垂らしていた。末松とは同じ下宿で今度初めての知り合いで、将棋、花合わせ、玉突、そういう遊び事がうまく、二人はその方での友逹であった。

 


 「いやな人!」というのは、要に対してである。そういって、また直子は「ちょっと赤い顔」をする。二度目だ。しかし、それに対する謙作の反応を書くことなく、筆は、水谷に対する不快感へと向かっている。それは、間接的に、そういう水谷と気安く話す直子への不快感を暗示しているようにも読める。

 


 「奥さん」仙が唐紙の彼方(むこう)で呼んだ。「奥さん、ちょっと、来ておくれやすな」
 直子は急いで立って行った。その姿が隠れると、今までそれを待っていたかのように、末松は花を打ちつける手真似をしながら、
 「やるかい?」といって笑った。
 「いや」と謙作も微笑し、首を振った。二人はまだ中学生だった頃お栄と三人でよくそれをした事があった。
 「道具はあるの?」
 「何所(どこ)かにあるわけだよ。例の古い奴が……」
 「やりたいなあ」末松は如何にもその遊びをしたいらしく、子供らしい調子でいった。
 「何だい、そんなに熱なのか?」
 「末松さんの熱は下宿でも一番高いんです」
 「奥さんはどうだい?」と末松がいった。
 「どうかな」
 直子が仙に襖(ふすま)を開けさせ、林檎の切ったのを山に盛った大きい切硝子(きりこ)の鉢を両手に持って入って来た。
 「花を知ってるかい?」謙作はまだ立っている直子を見上げて訊いた。
 「花って……?」直子は立ったまま首を傾けた。
 「これだ」謙作もその手附をして見せた。
 「ああ、そのお花?」直子は坐り、鉢をいい位置に置きながら、「知っててよ」といった。
 「うまいな!」水谷が浮かれ調子にそういって如何にも乗気な風をした。
 「道具のあるとこ分るかしら?」
 「お引越しの時ちょっと見たんですけど、赤い更紗(さらさ)の風呂敷に包んであるのがそうでしょうか」
 「それだ」
 「持って来るの?」と、よくする癖で直子はまた首を傾けて訊いた。
 「うむ」
 少時(しばらく)して四人は電燈の下の白い布れに被われた一つの座蒲団を囲んだ。

 


 ちょっとしたやりとりだが、情景が生き生きと伝わってくる見事な文章である。

 末松の浮かれた気持ち、直子のかわいい仕草、そして謙作の直子への視線。それらが、見事に交錯して描かれる。

 話は、この後、花札の遊びを、数ページにわたって、こと細かに描写する。花札のシーンをこれだけ細かく描いた小説を読んだことがない。しかし、残念なことに、ぼくには、花札に関する知識が皆目ないので、さっぱり分からない。いろいろ調べてみたが、やっぱりダメだった。

 脱線するが、花札といえば、こんなことがあった。青山高校に勤めていたころ、修学旅行の引率で京都に行ったことがある。その行きの新幹線の中で、生徒が、花札をやっているのを見つけたのだ。ぼくは、すっかり驚いてしまって、ダメだダメだ、花札なんて! と言って止めさせたのだが、生徒はぽかんとして、どうしてダメなんですか? トランプがよくて、花札はダメなんですか? と詰め寄られたような気がする。その時、ぼくはどう説明したのか覚えていないが、とにかくダメだ、花札なんてヤクザのやることだ、ぐらいのことは言ったのではなかったか。

 ぼくは、柄のわるい横浜の下町の職人街に生まれ育ったわりには、(実際、ぼくの町内には、入れ墨をしたオジサン、ジイサンはそこらじゅうにいたし、我が家で雇う臨時職人には、全身入れ墨をした人もずいぶんいた。)そういうものにはとんと縁がなくて、花札をやったことがないばかりか、花札をやっているところを実際に見たこともない。家にも花札1枚なかった。それでも、花札のことを知っていたのは、ヤクザ映画の中で頻繁にみたからだ。だから、「花札=ヤクザ」の図式は、ぼくの中では確固とした信念と化しており、カタギの者が手を出していいものでは金輪際なかったのである。その後も、ぼくは、花札を触ったこともないし、もちろん遊んだこともない。

 ペンキ屋の親方だった父も、そのまた親方だった祖父も、そういう仕事のわりには、バクチにはまったく縁がなく、我が家では、冗談にも賭け事をしたことがない。それは、我が家のタブーに近かったのだ。裏を返せば、それだけバクチが周囲に蔓延していて、それを幼いぼくから懸命に遠ざけたということなのかもしれない。

 そういうぼくの目からすると、世田谷方面のインテリの家庭の生徒が、新幹線の中で花札をやるということは、まさに想像を絶する、驚愕だったわけで、慌てたのも当然だったわけだ。

 けれども、今、こうして「暗夜行路」を読みながら、楽しそうに「良家の子弟」が花札をやるシーンに接すると、そうか、花札というのは、必ずしもヤクザ専用のものじゃなくて、一般市民の楽しみでもあったんだと納得される。

 と同時に、このように屈託なく花札を楽しめるということは、育ちがいいからこそであって、バクチのために地獄をみなければならないような底辺の人間には、やはりそれはあくまで「地獄の入り口」だったのではないか、などと思うのだ。

 さて、本題に戻ると、この花札をやっている最中に、直子がちょっとしたズルをする。これが、この部分の眼目である。その部分だけを引用する。

 


 こんな風に初めてなのであるが、誰れか一人ずつ寝た者が後見についていると、何時(いつ)か直子が一番の石高となっていた。そしてその後に水谷の後見で五光を作ると、これで大概銀見(ぎんみ)は決ってしまった。直子の大きな銀見で、一年済んだ所で、
 「今度は一人でやって御覧。大概解ったろう?」と謙作がいった。
 「ええ、いいわ。今度は一人でやるわ」
 しかし一人になると、直子はやはりよく負けた。結局また誰れか後見をする事になったが、一卜勝負済んで数勘定の時など、直子はよく、
 「私に何か手役なかったこと?」こういって考える事があった。「あったわ、《たて三》でしょ」
 「何いってんだ。そりゃあ、前の勝負だ。慾が深いな」謙作は串戯(じょうだん)らしくそういいながら、直子には女らしい小心で、実際慾の深い所があるようだというような事を思った。
 水谷の親で、親が出るといった。次も出るといった。その次が謙作で、謙作には二タ役がついていたので、出るといい、最後の直子が追込まれる事になった。
 「買ってやろう。何かあるかい」そういって謙作は直子を顧みた。
 直子は扇形に開いた七枚の札を彼に見せて、
 「丹兵衛さんよ」といった。
 「よし。桜の丹だ」こう皆にいって、何気なくもう一度見た時に《かす》の菊がちょっと彼の注意をひいた。彼は手を出し其所だけ扇をもっと開いて見た。それは盃のある菊で、それがあってはその手は役にならなかった。謙作はその盃だけが上の札で完全に隠されてある所から、これは直子が《ずる》をしようとしたのだと思った。
 「ちょっとも気がつきませんでしたわ」直子もちょっといやな顔をしていった。
 「よろしい。それじゃあ、桜の丹があるが、罰としてただだ」彼は何気なくその札を受取り、めくり札に切り込んで、直ぐ勝負にかかったが、「猾(ずる)い奴だな」と直ぐ一と口に串戯(じょうだん)のいえなかった処に何となく、それが実際直子の猾(ず)るだったような気がした。勝負をしながら、彼はその事を考えた。彼は気を沈ませた。そして、思いなしか、皆も妙に黙ってしまったような気がした。

 


 花札のことは分からなくても、こうした「ちょっとしたズル」のことは、よく分かる。

 直子がほんとうにズルをしたのか、それとも誤解なのかは分からないが、しかし、そこに嫌な空気、嫌な気分が、確実に生まれたことは分かる。何気ないところに、ふっと顔を出してくる、人間性。それも、その人間の持つ本質的な悪というような深刻なものではなく、誰だってもっているに違いない小さな悪。けれども、それが、その人間への理解に落とす影は案外濃い。

 そんな微妙な空気の中で、あそびはお開きとなり、謙作と直子は、二人の客を送って外へ出る。

 


 椿寺、それから小さい橋を渡って一条通りの町になる。が、晩(おそ)いので何所ももう店を閉め、ひっそりしていた。直子は毛の襟巻(謙作の)に深く頬を埋め黙り勝ちに謙作の後からついて来た。
 「どうだい。もう帰らないか」と末松がいった。
 「あなたはどうだい?」謙作はいたわるようにいい、直子を振返った。
 「私、いいのよ」
 「そんなら大将軍(たいしょうぐん)の前あたりまで行こう」
 寒い晩で、皆(みんな)が黙ると、凍った路に下駄の歯音が高く響いた。
 「もう少し温かくなったら、一緒に何所かへ行って見ようかね」十年ほど前の春、末松と富士の五湖を廻った事がある、それを憶い出し、謙作はいった。
 「それは賛成だね。僕はこの春、月ヶ瀬へ行って見ようと思ってるよ。君がまだなら、月ヶ瀬でもいいね。笠置の方から越して行くんだ」
 「月ヶ瀬はいいでしょうね。僕もまだ行かないが」と直ぐ水谷もいった。が、二人はそれには答えず、五湖廻りをした時の話などを始めた。
 そして間もなく大将軍という町中にある丹塗の小さい社の前まで来て、其所で謙作たちは二人に別れて引返して来た。直子は何となく元気がなかった。やはり先刻(さっき)の事が直子の心を傷けているのだと謙作は思った。謙作はもしそれがいえる事なら何とかいって慰めてやりたかった。そして彼にもまたそれが自身の事柄のように心を傷けているのであった。
 「疲れたかい?」
 「いいえ」
 カタリコトリ冴えた音をさせながら、野菜を積んだ牛車(うしぐるま)がすれ違って行った。牛は垂れた首を大きく左右に振りながら鼻から出る太い気霜(きじも)を道へ撒(ま)き撒き通り過ぎた。
 「猾(ず)るは悪い」謙作は思った。「悪い事は大概不快な感じで、これまで自分に来た。が、今、自分は毛ほどの不快も悪意も感じていない。これは不思議な事だ」と思った。彼には堪らなく直子がいじらしかった。彼はその事があって、かえってかつて感じなかったほどに深い愛情を直子に感じていた。
 彼は黙って直子の手を握り、それを自分の内懐(うちふところ)に入れてやった。直子は媚(こ)びるような細(ほそ)い眼つきをし、その頬を彼の肩へつけ、一緒に歩いた。謙作は何かしら甚(ひど)く感傷的な気持になった。そして痛切に今は直子が完全に自分の一部である事を感じた。

 


 ため息が出るほど、いい文章である。人間の心理と、情景が一体となって、心の底までしみてくる。末松との暖かい心の交流、さりげなく排除される水谷、そして、どこまでも、いじらしい直子。

 リアリズムの真骨頂である。

 

 

 


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