日本近代文学の森へ (204) 志賀直哉『暗夜行路』 91 「手蔓」 「後篇第三 四」 その3
2021.11.20
お栄がお才という女と一緒に、天津へ行って「料理屋」をやりたいという言い出したことを兄の信行から聞いた謙作は、その「商売」が「余り感心しない」ものだと感じたが、それに反対したところで、別に妙案はない。信行は、お栄はやはり水商売の女だから、どうしても、そっちへ気持ちが行ってしまうんだと言うが、謙作は煮え切らない。
「何といってもお栄さんはやはり水商売の人だね。いくらか昔の経験があるから考がどうしても自然そっちへ入って行くらしい。それでお才さんという人がどういう人か、それが信用出来る人なら、一切任せてもいいが、其所がはっきりしない点で、此方で後の余裕を残しておく必要があると思うよ」
「僕にはよく分らない。他に仕事があるものなら勿論他の仕事を探す方が賛成だが、他にないなら仕方がないし、もしまた自分で急にそんな事をする必要がないという気になれるようなら、二、三年これからも一緒にいてもらって少しも困らないがな。少しセンチメンタルかも知れないが、僕はこんな風にしてお栄さんと別れてしまうのは何だか物足らない」
こう謙作は言うのだが、謙作のお栄に対する気持ちには、なかなか複雑なものがある。自分は結婚にむかって邁進中なのに、お栄との関係をすっぱりと切ることができない。その「関係」といっても、今までの経緯からいっても、肉体関係はないわけだし、かといって、母親でもないわけだから、「母への情愛」ともちょっと違っていて、そうかといって、恋愛でもない。要するに説明できない。
「二、三年これからも一緒にいてもらって少しも困らない」というが、「一緒にいる」というのは、どういうことなのか。結婚しても、女中のように一緒に住んでもらってもいい、ということなのだろうか。しかし、そんなことをしたら、「新しい妻」はどう思うだろう。単なる女中じゃないぐらいのことは、すぐに気づくだろう。それでいいのだろうか。
なんて思うのだが、謙作にしても、そういったことは承知のうえでなお「少しセンチメンタルかも知れないが、僕はこんな風にしてお栄さんと別れてしまうのは何だか物足らない」と言っているわけだろう。
このお栄に対する思いは、この後もずっと尾を引いていくことになる。
「まあ、それは……やはり二、三年後に別れるものなら、今別れてしまった方がいいと俺は思う。それはセンチメンタリズムだよ。やはり何にでも時期というものがあるよ。時期によっては生きる事柄が、それを外して、生きなくなる場合がある」
「つまり本郷から金を貰う事かい?」謙作は結局信行はこの事をいってるのだろうというおかしいような、同時に多少いらいらした心持もして露骨にこういった。
「それも一つだ」と信行は案外真面目な顔をして答えた。「それで、そっちの方は手紙にも書いた通り一切俺に任せる事にして、なるべくお前は立入らん事だ。お前のは強迫観念的に金の事というと損をしておきたがる潔癖がある。慾の深いよりはいいが、利口な事じゃない」
「そんな事あるもんか」
「それはまあ何方(どっち)でもいいが、そこでどうだろう、今いった俺の考にお前は賛成するか、どうか」
「お栄さんのいい出した通りにするという事かい?」
「そうだ」
「そうだな……賛成は出来ないが、仕方がないな。賛成するといえばいやいやの賛成だな」
謙作には「強迫観念的に金の事というと損をしておきたがる潔癖」があると信行は言う。金銭欲を汚いものと感じる謙作は、やはり「いいとこの坊ちゃん」なのだということだろうか。ほんとうに金のことで苦労をしたことがないから、そういう「潔癖」が培われたのだとも言えるが、しかし、兄のほうがよほど恵まれた環境に育っているのに、そういう潔癖はない。そう考えると、やはり、謙作の持っている資質なのだと考えたほうがよさそうだ。
二、三年ずるずると一緒にいて──そんなことができるとしての話だが──それから別れるとなると、「本郷の父」(つまりは、謙作の父ということなっている父、実の父の息子)から、出るはずの金も出なくなってしまうかもしれない。そうなると、お栄がかわいそうだ。だから今すっぱり縁を切れ、という信行の合理主義は、謙作のセンチメンタリズムと衝突せざるを得ないわけだが、だからといって、謙作のセンチメンタリズムが勝つことはない。金がなければ生きていけないからだ。謙作の「賛成」が「いやいやの賛成」であるゆえんである。
さて、本題は、結婚問題だ。
友達の高井は、ずいぶん世話をやいてくれたが、あれっきりだと聞いた信行は、山崎という男の名を出す。高等学校で「ボール」(野球のことか)の選手をしていた男で、信行とは寮が一緒で親しかった。その山崎が、ここの大学病院(つまり、女と一緒にいるジイサンが通っている病院)にいるはずだから、そこから手蔓を作ることが出来そうだと言うのだ。
謙作は、半信半疑だった。信行はそれでもダメだったら、石本に頼んでみるという。石本は公卿華族だから、手蔓を作るには便利なのだそうだ。なるほど、そういった身分の人たちには、強固なネットワークがあるわけだ。
そんな悠長なことをしているうちに、女は国へ帰ってしまうと謙作は不安がるが、信行は、それならそれでもっといい手蔓が出来るといって、まずは、山崎に会うことにして家を出る。
その気になれば、「手蔓」は、いろいろと作ることが出来るものであり。そしてその「手蔓」によって、日本の社会は構成されてきたと言っていいのだろう。