57 ジャリジャリのマグロ
2013.12.14
ぼくが生まれたのは昭和24年だが、考えてみれば、それはまだあの戦争が終わって、たった4年しかたっていないころだったのだ。ずいぶんとすごい時に生まれたものだ。
いわゆる戦後の食糧難というのも、4年もたてばずいぶんと解消していただろうし、第一生まれてすぐは、おっぱいで育ったのだろうから、食糧難も関係なかったのかもしれないが、横浜の下町の職人の家で育ったぼくは、家で出される食事をあんまりうまいと思ったことがない。別にそれは母親が料理が下手だったということではない。素材が悪すぎたのだ。
何しろ、今日はお刺身だよと言われると、ぼくはひどくがっかりした。出てくる刺身は、たいていはマグロの刺身なのだが、これが今思い出しても不思議なほどまずかった。まずいというよりは、変だった。とにかく、この赤身のマグロは、きまってジャリジャリした食感があったのだ。このことを今まで何度となく人に話してきたが、誰ひとり、「あ、そうそう!」と相槌を打ってくれたためしがない。「何、それ?」と怪訝な顔をされる。
「ジャリジャリしたマグロ」と聞けば、おそらく誰でも「冷凍マグロのまだ解凍しきれていないヤツ」って思うだろうが、それが違うのである。冷凍なんてとっくに溶けて、すっかり柔らかくなっているのに、食べるとジャリジャリしているのである。といって、砂が入っているわけではない。そんなに固いジャリジャリではなくて、ジュアリジュアリとでもいったらいいのだろうか、とにかく、今スーパーで買ってくる最低のマグロにもない変な食感で、味はとにかく薄い。
薄いといっても、小学生や中学生の味覚だから、刺身の味が分かるわけもないのだが、とにかく、全然うまくなかったのだ。他の刺身も出たのだろうが、どれも、うまいと思ったことがないので、ひょっとしたら、ぼくは刺身が嫌いだったということなのかもしれない。
カツオは煮たものしか食べた覚えがないが、これも固くてまずかったし、タラも、鍋に入っていたような気がするが、これもパサパサでまずかった。ようするに、魚という魚は、幼い頃のぼくに「うまい!」という感動を与えてくれなかったことは確かなのだ。
その魚は、ほとんど、家のすぐ近くの魚屋から買ってきたものだから、ぼくの味覚のせいでないとすれば、その魚屋は、ろくな魚を置いてなかったということになる。
魚を食べて、そのうまさに驚愕したのは、何と言っても、土佐のカツオのタタキだった。結婚したてのころだったろうか、家内の郷里に行ったとき、家内の親が連れて行ってくれた「徳月楼」(これは宮尾登美子の小説「陽暉楼」のモデル)で、初めてカツオのタタキを食べた。大きな皿いっぱいに盛られたカツオの刺身。これがカツオのタタキですと言われても、タタキなんてアジのタタキしか知らないから、何だ、叩いてないじゃないかと怪訝に思いつつ、添えられたニンニクのスライスを言われるままに挟んで食べたときの衝撃!
いつまでたっても忘れない。まあ、幼いころから、ろくなものを食べてこなかったおかげで、その後の人生では、これに似た衝撃に何度も出会ってきた。一時はその思い出をシリーズで書こうと思ったことがあって、こんなエッセイも書いたが(「わがグルメ事始めはクリームコロッケなりき」「ああ、哀愁の有明のハーバーよ」)、いまだにこの2編を超えるエッセイは書けていない。